第34話 閃耀

 燃えている。

 我が家が。

 先ほどまでディアナとイーリスがいた場所が。


「今度こそウェルダン良く焼きに仕上がったんじゃない?」


 嬉しそうに言う蜘蛛男の言葉に、俺はようやく現実を直視した。

 あの爆炎の直撃を受けた……。

 恐らく彼女達はもう……。


「お前……」


 俺は静かに蜘蛛男を睨む。

 本来なら、こういう時は腸が煮えくり返る思いになるのだろう。

 だが今の俺は、〝目の前のこいつを殺す〟ただその思いだけになっていた。


「あれ? まだそんな目ができたんだ。驚きだね」


 奴はそう言うが、既に俺のことなど眼中に無いのが伝わってくる。

 負傷して動けない人間など脅威に感じなくて当然だ。


 幸い体内にはまだ充分な魔力が残っているが、実際のところ骨が折れている今の俺には、精々あと一回行動する分の余力しかない。

 もちろん、その行動自体も機敏な動きはできないだろう。


 チャンスは一度だけ。

 それをどうやって活かし、見極める?


「さあ、さっさとゴミを始末してディナーを頂こう」


 蜘蛛男は石壁にめり込んだまま動けない俺に剣先を向けてくる。

 奴の顔にある八つの目が愉悦を湛えているように映る。

 その姿を見ていて、俺はふと思い当たった。


 もしかして……この方法が上手く嵌まれば……。

 そう考えたら、自然と笑みが溢れていた。


「ん? この状況で何を笑ってるんだい? 絶望が過ぎておかしくなったのか?」

「いや、その逆だよ」

「あ?」

「勝利を確信したのさ」

「……」


 蜘蛛男は何を言われたのか理解できずに一瞬反応が遅れた。

 そして、


「はっはっはっはっ、何を言い出すのかと思えば。やっぱりおかしくなってるじゃないか。誰が見たって万に一つも君にそんな可能性は無いよ」

「それはどうかな? この戦いが始まった時、既に結果は出ていたのさ」

「……どういう意味だい」

「その大層な八つの目。さぞかし色々な物が良く見えるのだろうね」

「当たり前だ。この目は僕の自慢の一つだ。どんな獲物だってこの目で捉えて逃がさないのだからね」

「その御自慢の目が、もう役に立たないのだとしたらどうする?」

「は? 何を言ってる?」

「既にその目には、視力を奪う遅効性の魔法をかけてあるってことさ」

「!? そんな事が……? いや、有り得ない!」


 明らかに動揺の色が窺えた。


「さっきも言ったろ? この戦いが始まった時から俺の勝利が決まっていたって。お前は擬態を見破られたと同時に魔法にかかっていたのさ」

「ふん……嘘を吐かないでくれるかな。君にそんなことをする暇は無かった。どうせ苦し紛れのハッタリだ。それに、もしそれが本当だったとしても、そんな体じゃ何もできやしないだろ」

「別に信じるか信じないかはお前の自由だ。だが、そろそろ効果が現れ始める頃合いじゃないか?」


 蜘蛛男は自分の手や体に目を向け、状態を確かめる。


「ふん……何も変わらないじゃないか。馬鹿馬鹿しい」

「そうかな? じゃあ、アレはどう見える?」


 俺は燃え盛る家の方へ目を向けた。

 すると、蜘蛛男もそれに釣られるように同じ方向へ目を向ける。


「ただ家が盛大に燃えているだけじゃないか。弾ける火花の一つ一つまでもが良く見えて、綺麗なもんだよ。これが何だって言うんだ……い?」


 奴は話の途中で異変に気付く。

 視線を戻した直後に俺の姿が見えなくなっていたのだ。


「っ!? どこだ? どこに消えた!?」

「ここだよ」


 蜘蛛男は返答に反応して真下に顔を向ける。

 その瞬間だった。

 足下に入り込んでいた俺は、突き上げるようにして奴の口内に拳を突っ込んだ。


「ほごぉぁっ!?」


 蜘蛛男がおかしな悲鳴を上げる。

 だが、このままでは腕を食い千切られかねない。

 すかさず魔角を何重にも展開し、腕の周りを火属性の膜で覆う。


「ふぁにがふぉこっふぁ(何が起こった)!?」

「別にたいしたことじゃないさ。お前が俺の言葉に惑わされただけのこと」

「……!」


 蜘蛛男が瞠目するのが分かった。

 視力を奪う魔法をかけたというのは勿論、嘘だ。

 当人も口にしていた通り、ハッタリだと分かっていたはず。

 だが、一度耳にすれば無意識下に〝もしや〟という思いが生まれる。

 それが有りもしない魔法を現実に顕現させる。


〝もしや〟という思いが視線誘導に釣られ、視界から消えた俺を目の当たりにして本当に視力を奪われたのだと錯覚するのだ。


 それには前世の知識も役に立っていた。

 蜘蛛は元来、視力の良い種が多いが、真下だけは見え辛いらしいのだ。

 もしかしたら、こいつにも同様のことが言えるのではないかと思い、視線を外した一瞬の隙を突き、真下へと潜り込んだのだ。


 これらは下手に知能があるが故の弊害だ。

 これが中級上位以下の魔物だったら通用しないだろう。

 まさにクルトが言っていた知能を逆手に取る戦法が功を奏したのだ。


「さて、俺が何の意味も無く、わざわざお前の気持ち悪い口に腕を突っ込んだわけじゃないのは分かってるよな?」

「……」

「お前の腹の中はあの糸で一杯なんだろ? そこに火を点けたらどうなるかな?」

「!?」


 途端、奴は取り乱したように俺の体を振り落とそうとしてきた。

 その狼狽えようからして間違い無く有効であることが分かる。


 なんとかして引き剥がそうと掴み掛かってくるが、俺はすかさず空いている方の手でハイドロドラゴンを組み上げ、出現した五つ首の水竜を手足のように使って防ぐ。

 糸が使えない今、奴には水属性の魔法も有効だ。


「それじゃ、そろそろ消えてもらおうか」

「ふぉっっっっ!?」


 蜘蛛男は必死になって暴れた。

 しかし、奴の四肢は噛み付いたハイドロドラゴンにがっちりとホールドされ、身動き一つ取れない。


 俺は口内の手に魔角を連鎖させ、膨大な魔力が注ぎ込まれた魔法を構築する。

 それは爆炎を巻き起こす灼熱の拳――イグナイトナックル。


「っぁ……!?」


 発火。

 そう命じたと同時に蜘蛛男の体が瞬間的に膨れ上がる。

 透けた皮膚からは紅蓮の光が漏れ始める。


 そこで俺は奴の胸を蹴り飛ばし、水竜が突き放す反動を借りて離脱する。

 そして地面に着地したとほぼ同時だった。

 蜘蛛男は真っ赤な火柱を上げて爆発した。


 黒煙が立ち上る場所にもう奴の姿は無い。

 跡形も無く粉々に爆散していた。


 燃え続ける家の炎が、爆発の影響で抉られた地面を照らしている。

 なんとか倒すことはできたが、虚しさが残る。


 僅かな間だったが世話になった我が家の無惨な姿。

 そして、優しかったディアナとイーリスの姿が思い浮かぶ。


 ともかく消火しないと……。

 そう思い、水魔法を構築しようとした時だった。

 炎が発するオレンジ色の光に照らされ、こちらに向かって歩いてくる二つの人影がある。


「あ……」


 すぐに分かった。

 それはイーリスの肩を借り、俺に微笑みかけるディアナの姿だった。

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