第33話 息子として
確かに油断していた。
目の前の事に囚われ過ぎていて、戦況を多角的に見ることができていない。
これも経験不足というやつか。
しかし、まだ戦いは終わっちゃいない。
いつまでも寝ていては本当の意味でくたばってしまう。
俺は痛みを堪えて立ち上がった。
「へえ、まだ立ってくるのかい」
蜘蛛男はやや驚いたふうに言った。
ということは、彼にとって先ほどの一撃はトドメのつもりだったのかもしれない。
予想外に俺が耐えたということだ。
身体強化の効果はかなり有効に働いているとみていい。
だが、だからといって戦闘が長引けば長引くほど、体力の少ないこの体では加速度的に不利になってゆくばかりだ。
なので、短時間で勝負を決めるしかない。
今できる全力で挑む。
そうなると、後衛タイプである俺は遠距離からの魔法攻撃に頼るしかない。
しかし、さっき食らった通り、奴の動きは素早い。
距離を詰められたら接近戦が苦手な俺は不利になる。
そうならない為には……。
俺は後方に飛び退いて距離を取ると、すぐさま水属性を付与した魔力を練り上げる。
現出した水の塊はうねりを上げながら大きく膨れ上がり、瞬く間に目の前を覆い尽くしてゆく。
それは圧倒的な水量で相手を押し潰す荒波――ハイドロプレッシャー。
奴の素早さを封じるには、俺との最短距離を埋めればいい。
それにはこのような広範囲魔法が有効だ。
「いけ!」
俺の意志に呼応して水の塊が高波となって蜘蛛男を襲う。
奴が圧死するイメージが脳裏に浮かんだ。
その刹那だった。
高波の中央に縦一閃の煌めきを見た直後、波が真っ二つに割れたのだ。
「なっ……」
同時に波は勢いを失い、魔法としての状態を維持できずに消失してゆく。
水魔法が完全に消え去った向こう側に現れたのは、剣を構えている蜘蛛男の姿だった。
しかもその剣は普通ではない形をしている。
糸を巻き付けたようなそれは……。
「まさか……」
「ご名答、糸でできた剣さ」
奴は自分で吐いた糸を武器に変えることができるらしい。
そして、その剣を見て思い出した。
雨が降っている中でも、切れずに形を保っている蜘蛛の巣をたまに見ることがある。
蜘蛛の糸というものは、そもそも雨に濡れても切れないくらい水に強いものなのだ。
まさか、それがこんな場面でも適用されるとは思いもしなかった。
ということは、奴に対して水属性魔法は効かない可能性がある。
ふと奴を見るとニヤリと笑ったような気がした。
まずい。
間を与えては距離を詰められる。
なら、水が効かないのなら火だ。
俺は即座に火属性魔法を構築する。
そして先ほどの水魔法と同じように広範囲に影響を及ぼす魔法を作り上げる。
それは辺りを火の海で埋め尽くす――ブレイジングインフェルノ。
俺の手から噴き出した炎が、火の壁を作りながら蜘蛛男に迫る。
これならば可燃性の高い奴の剣では切り裂けない。
そう確信した直後だった。
高波の如き炎を蜘蛛男は信じられないような跳躍力で飛び越えたのだ。
「……!」
しかも奴は着地と同時に稲妻のような速さで距離を詰め、斬撃を浴びせてくる。
俺は咄嗟に五つ首の水竜を発現させ、その一つが正面で攻撃を受け止める。
接近戦で有効な魔法としてディアナに教わったハイドロサーペント……もといハイドロドラゴンだ。
だが、奴に水魔法が通用するはずもない。
いとも簡単に竜の首が切り落とされる。
やられる……!
脳天から真っ二つに斬られるイメージが脳裏をよぎる。
反射的に残り四つの首を額の前に集約させる。
次の瞬間、脳を突くような衝撃が額を突き抜けた。
「……っぁ!?」
それから何が起こったのかは覚えていない。
気が付いた時には、俺は庭にある石壁に体ごと突き刺さっていた。
恐らく俺は、あの攻撃でここまで吹っ飛ばされたのだ。
あまりの衝撃で瞬間的な記憶が抜け落ちている。
「う……うう……」
全身に激痛が走る。
石壁を破壊するほどの衝撃だ。
身体強化がかかっていなければ、ミンチ肉になっていてもおかしくはない。
咄嗟に繰り出したハイドロドラゴンも多少はクッションになってくれたのかもしれないが、それでもいくつかの骨は折れていそうな感覚がある。
体を動かそうにも自由が利かない。
俺は意識が朦朧とする中、反省する。
また同じミスを犯してしまった。
あまり知られていないが、蜘蛛という虫は元来、跳躍力のある生き物だ。
種類によっては自身の五十倍の高さを飛べるという。
その高い跳躍力と風を読む力を駆使し、あらゆる場所に巣を張るのだ。
なんでこんな場所に蜘蛛の巣? と思うことが良くあるだろう。あれは、そういうことだ。
目の前の男は蜘蛛なのだ。同じ特性を持っていてもおかしくはない。
それを失念していたのだ。
「こんなもんなの? 第七魔角級ってやつは」
霞む視界の先で蜘蛛男が嘲笑っている。
「君の家族が、みんなで寄って集って君を褒めるからどんなに凄いものかと思ったけど、たいしたことないね」
俺は何も言い返せなかった。
言い返す気力さえない。
クルトに言われた通りだ。
後衛タイプの俺が、いくら前衛の真似事をしたって接近戦では打ち勝つことができない。
剣術を教わりたいなんていう特性を無視するのは愚かな選択だった。
ディアナに教えを請うた近接戦用魔法についても同じことが言える。
いや、最早そんな次元の話ではない。
俺はいつの間にか第七魔角級という名前の上に胡坐をかいていたのだ。
この結果はそんな驕りから招いたこと。
思い返してみればいい。
元を返せば俺は、ただのサラリーマンだったはずだ。
平凡で何の目的も無い、ただただ無意味な日々を消費するだけの人間。
そんな凡人が、ちょっと変わった力を得たところで、そうそう何かが変わるわけもない。
中身はいつもの俺なのだから。
少し夢を見ていた自分が恥ずかしい。
恐らく……というか確実に、俺はここで死ぬ。
目の前の蜘蛛男にトドメを刺されて。
それも仕方が無い。
二度死ぬことになるが、今度も転生できるんだろうか?
まあ、転生したとしてもまた同じような結末を迎えることになるのだろうから、そんな苦しい人生なら、このまま消えて無くなった方が清々する。
「さて、どう調理しようかな」
蜘蛛男は剣を自身の肩に置き、楽しそうに言う。
「あ、そういえば君って確か、ホムンクルスだよね? そんな話を聞いた気がする」
そんな事はどうでもいい。
殺すならさっさと殺して、俺をこの痛みと苦しみから解放してくれ。
「ホムンクルスって食べたことないんだけど、美味しいのかなあ? 不味かったら嫌だなあ」
そう言いながら、奴は俺に顔を近付けて匂いを嗅ぎ始める。
すると、すぐに顔を顰めて後退った。
「うわ……駄目だ……凄く不味そうな匂いがする。僕の本能がこいつは食べちゃ駄目だって言ってるよ。やっぱり人間とは違うんだね。出来損ないの臭いがする……」
あーそうかい。
魔物にすら拒否されるとか……。
まあ、俺らしいといえばそうか。
「これは完全に生ゴミだね。ゴミはさっさと処分しないと」
蜘蛛男は剣を俺の首筋に向ける。
「それなりに楽しかったよ。にぃに」
奴は皮肉っぽく言うと、剣を振り上げる。
いざその時になると、やはり怖い。
「バイバイ」
刃が空気を切り裂く気配と同時に歯を食いしばる――。
その刹那だった。
「っごは!?」
蜘蛛男は背後から何らかの衝撃を受けて前につんのめった。
飛んできた水の塊が、奴の背中に当たって弾けたように見える。
俺と蜘蛛男は、ほぼ同時にそれが飛んできた方向に目を向けた。
そこは我が家の二階。
壁が破壊され、大きく開口部が出来上がっているそこに人影が見える。
ディアナ!?
彼女はイーリスの肩を借り、こちらに向かって腕を伸ばしていた。
彼女が水魔法を放ったのだ。
しかし、全開で魔法が使えない彼女の攻撃は蜘蛛男にとって気を逸らす程度でしかない。ノーダメージだ。
それどころか、無理をして強い魔法を放ったものだから、彼女自身も既に限界を迎えている様子だった。
「うざいなー。あとで美味しく食べてあげるから、それまでおとなしくしててよ」
ブツブツと文句を言う蜘蛛男を尻目にディアナは叫んだ。
「ネロっ!」
「……?」
ディアナの苦痛に耐えながらも力強い声が辺りに木霊する。
「私はあなたが存在してくれているだけで幸せなの! 誰が何と言おうと、あなたは私の息子よ! だから……生きてっ!」
私の息子か……。
魔伝子上はそうなのかもしれないが、正直あまりそういった実感は無いんだよな……。中身の俺は他人だし。
でも……素直に嬉しいと感じた。
それは確かだ。
初めて自分という存在を肯定してもらえた気がしたから。
「まったく……僕を無視して勝手にしゃべらないでくれるかな」
蜘蛛男は苛立ちを露わにしていた。
奴は牙を打ち鳴らしながらディアナの方を見上げる。
そして――、
「うるさいよ」
そう言い放った直後、奴の口から炎を纏った糸が吐き出された。
直後、轟音が響き渡る。
「!?」
周囲の景色がオレンジ色に染まった時、
家の二階が爆炎に包まれていた。
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