第32話 実力

 室内を覆う大量の糸。

 その中に埋もれていた彼女達は眠るように目を閉じていた。

 だが魔力の反応は感じられるので、まだ生きている。

 どうやら気を失っているだけらしい。


 その点は安心できたのだが、当然そこから救い出さなくてはならない。

 やはり、先に目の前のこいつを何とかしないと助け出す間が得られないか……。


 俺は蜘蛛男を見据える。

 すると奴はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。


「僕はこれから食事の準備をしないといけないんだ。だから邪魔されると困るんだよね」

「なら尚更、邪魔をしないといけないな」

「やれるものならね」


 奴はそう言うと、再び牙を打ち鳴らし始めた。

 口の周りにオレンジ色の火花が飛ぶ。


「!」


 奴は先ほど、指に巻き付けた糸に火を灯していた。

 なら、あの糸は非常に可燃性の高い物質でできているということだ。

 この部屋は壁から天井まで、その糸で覆い尽くされている。

 ということは……。


「っ……!」


 状況を悟った時、俺は床を蹴っていた。

 奴の動きを止めようと、飛び掛かる。 

 だが、その刹那だった。


 奴が四方に向かって吐いた糸に火花が引火する。

 途端、爆風と共に炎が吹き上がった。

 部屋全体が一瞬にして炎に包まれたのだ。


「くうっ……!」

「あはははははっ」


 蜘蛛男は笑いながら後方へ飛び退くと、そのまま窓をぶち破り、外へと脱出する。

 代わりに外から大量の空気が室内に入り込み、燃え上がる炎が勢いを増す。

 既に熱風が肌を焦がし始めている。


 まずい……このままじゃ……。

 俺は天井にいるディアナとイーリスに目を向ける。

 まだ炎は二人を飲み込んではいないものの、高い位置にいる彼女達は真っ先に高温と煙にやられてしまうだろう。

 考えている暇は無い。


 俺は即座に魔角を展開し、水属性を付与する。

 これだけの炎を抑えるには順当な消火では間に合わない。

 一気に鎮火させる。


 頭上に掲げた手の上に水流が蠢く球体が形成され、膨張してゆく。

 そのまま水属性の魔力を殺傷能力の無いギリギリまで高め、注入し続ける。


 これくらいでいけるか?

 水球が一抱えほどの大きさになった時、意識する。

 途端、水球が破裂し、水滴一つ一つが無数の水の矢となって爆散する。

 全方位に向かって放たれた水の矢は、引火した炎を食い破り、瞬時に消火を完了させた。


 同時に蜘蛛の糸から解放されたディアナ達が天井から落ちてくる。

 水の矢の掃射によって糸が破損したのだ。

 真下にいた俺は彼女達の体を両腕で抱き止める。


「ぐっ……!?」


 しかし、いくら身体強化をしているからといって、子供の体で大人二人を抱き止めるのには無理がある。

 せいぜい床への直撃を緩和するくらいだ。

 俺はそのまま体重に任せるように二人の体を床へと降ろした。


 息はある、目立った外傷も無い。

 大丈夫そうだ。

 彼女達の安全を確認してから、俺はぶち破られ大穴の開いた窓辺へと立った。

 そこから見下ろすと、庭の真ん中でこちらを見上げてきている蜘蛛男の姿がある。


「あーあ、折角のグリルが台無しだ。僕、良く焼いた方が好みなんだよね」


 この状況でまだ食事の心配をしている。

 それほど余裕があるということなのだろう。


 周囲では騒ぎを聞きつけた住民が家々から顔を出し様子を窺っていたが、そこにいるのが魔物だと分かった途端、皆、戸をピシャリと閉めて閉じ籠もってしまった。


 ここは自分がなんとかするしかない。

 第六魔角級の魔物を相手にできるのは、この国には俺しかいないのだから。

 俺は二階の壁に空いた穴から飛び降りると、蜘蛛男と対峙する。


「あれ? もしかして僕と本気でやる気なのかい? にぃに」


 奴は口元にある二本の触肢をわしゃわしゃと動かしながら、せせら笑う。


「その呼び方は止めてもらいたいな。気持ち悪い」

「えー、じゃあなんて呼べばいいんだい?」

「そうだな、蜘蛛男スレイヤー……なんていうのもいいかもしれない」

「……」


 そこで蜘蛛男は、あからさまに苛立った様子を見せた。


「君は分かっているのかい? 今の僕は食事を邪魔されて、とても不機嫌なんだ」

「だろうね」


 わざと焚き付けるように言うと、いよいよ奴は苛立ちが最高潮に達したようだった。


「どうやら食事の前に君を始末しなくてはならなそうだ。子供は食べる所が少なくて好かないんだけど、まあちょっとした前菜が増えたと思えばいい」

「そんなものまで食べようとするなんて、随分と卑しいんだな」

「ほざけ!」


 蜘蛛男が吠えた直後だった。

 奴の口から、まるで槍の形に紡がれた糸が放たれた。

 狙いは俺の胸。


 だが、あの糸が可燃性が高いことは知っている。

 ならば――。


 俺はすかさず魔角を展開し、炎弾を放つ。

 そして飛んで来た糸の槍を正確に撃ち落とした――――はずだった。

 どういう訳か引火した糸槍は燃え尽きるどころか火力を増し、俺に向かってきたのだ。


「!?」


 俺は横に飛び退いて、これを咄嗟に避ける。

 糸槍は勢い衰えることなく地面に突き刺さり、炎を上げて土を抉る。

 あれをまともに食らっていたら即死だった。


「あれれ? なんか焦ってる? さっきまでの大口はどうしたのかな?」

「……」

「まだまだ、こんなもんじゃないよ?」


 そう言い放った直後、奴は糸槍を速射してきた。

 しかも今度はただの糸槍じゃない。

 火打ち石のようなあの牙で、糸槍に直接着火しながら放ったのだ。

 炎の槍がマシンガンのように連射される。


「くっ……!」


 俺はそいつを必死で避けた。

 数が多いだけあって身体強化をしていても、さすがにキツい。

 実際、足下に炎がかすめ始めている。


「ほらほら、もっと早く動かないと丸焼けになっちゃうよ」


 蜘蛛男はこの状況を楽しんでいるようだった。

 このままではいつかは疲弊して、完全に捉えられてしまう。

 そうなる前に戦況を変えないと……。


 奴の炎は俺の水魔法で消火できることは立証済みだ。

 だったら、あの攻撃にも有効である可能性が高い。

 しかし問題は、奴の手数の多さに避けることが精一杯で、魔法を構築する間が得られないことだ。


 懸念は他にもある。

 万が一、消火できたとしても糸槍自体の殺傷能力を奪えない可能性もあるということ。

 表面の火だけ消しても、芯には槍が存在しているのだから当然だ。

 それでは折角、魔法を構築しても無駄に終わってしまう。


 攻撃こそが最大の防御などと良く言うが、その攻撃をさせてくれない現状では、防御に徹し、隙を窺うしかない。

 アイラのような魔装障壁が作れれば一番いいのだけど……。


 ん……障壁……?

 そうか!

 あるぞ、定型魔法が扱えない俺にも作れる障壁が。


 攻撃魔法をそのまま防御用に転用すればいい。

 属性を与えた魔力に敢えて複雑な状態変化を指定せず、手元で安定させるのだ。

 攻撃力のある魔法は、それだけで強い防御力を持っている。

 火魔法で例えるなら、それを放たず手に持って盾代わりにするような感じ。

 正面から水魔法を撃たれてもそいつをかざせば、ある程度のものは防御できるはずだ。


 しかも、攻撃魔法として放つ必要が無いので魔法構築時の余計な指定がいらない。

 それだけ早く、魔法を発現できるのだ。

 その方法なら奴の攻撃の合間を縫って構築できる。


 方向性が定まったところで俺はすぐに行動に移す。

 飛んで来た炎槍をかわし、魔角を展開。

 魔力を注ぎ、水属性を付与する。

 そこで次の炎槍をかわしつつ、更に魔角を重ねていく。

 それを繰り返すと数回。

 構築した魔法を発動させる。


 これで!

 迫る次弾の炎槍に向かって腕を伸ばす。

 すると手の前に、強固に安定した水の盾が現出した。


 炎はその盾に吸い込まれるように消えてゆく。

 魔力を相殺したのだ。

 残された糸槍だけが弾かれて足下に転がる。

 物理的な攻撃にもしっかりと有効なことが分かる。


 魔角を重ねた効果が上手く出ているな。

 思い描いていた通りになり、自信が生まれた矢先だった。

 目の前から蜘蛛男の姿が消えたのだ。


「残念」

「!?」


 突如、耳元で声がして体に電気のようなものが走った。

 気付けば蜘蛛男の顔が真横にあったのだ。


 いつの間に!?

 そう思うや否や、腹に衝撃を受ける。


「ぐふっ……!?」


 蜘蛛男の重い拳が俺の腹に突き刺さったのだ。

 そのまま俺の体は十数メートル吹っ飛ばされる。

 子供の体だから尚更、良く飛んだ。


「うう……」


 息ができない……。

 あまりの苦しさに声すら出ず、その場にうずくまる。

 身体強化の魔法がかかっていなければ骨も内臓もやられていただろう。


 奴は悶える俺の姿を嘲りの目で見る。

 そしてこう呟いた。


「油断しすぎだよ」

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