第31話 擬態

 俺の目に入ってきたのは、いつもと変わりないアルムスター家だった。

 この密集した町の中でも広めの敷地を持つ、やや贅沢な造りの邸宅。

 少し前にそこを出てきたばかりだが、今もその時のままの状態で目の前に佇んでいた。


 ただ少し違うのは、やたらひっそりとしていることだった。

 夜も遅いのでそれも当然だが、ディアナの性格からして寝ずに俺達の帰りを待っていてもおかしくはない。

 なのに今は明かりの一つ点いておらず、不自然な静けさが漂っていた。


 俺はすぐに家の入口に近付き、扉をノックする。

 しかし、中からの反応は無い。

 それだけで普通ではないことが分かる。

 なぜなら、少なからずメイドであるイーリスが応対に現れるからだ。


 改めて魔力探知を行うと、建物内に三つの魔力反応がある。

 確かにディアナ達は中にいるようだ。


 しかし、扉には鍵がかかっている。

 どうにかして中に入りたいが……。


 そこで真っ先に思い付いたのは建物の裏手にある小窓の存在だ。

 地下室から一階へと上がり切った階段横に、体の小さな子供なら通れるくらいの小窓がある。

 俺はそこから度々、夜中に抜け出して一人で魔法の練習をすることがあった。

その小窓は元々建て付けが悪く、コツを掴めば外からでも入ることができるのだ。


 そこからの侵入を決めた俺は早速、家の裏手へと回る。

 慣れた手付きで小窓を外し、あっさりと内部へ入り込むことができた。


 そのまま一階のリビングへ向かうが、室内は真っ暗で人の気配は感じられない。

 二階が怪しいと踏んでいた俺はすぐに階段を目指す。

 が、その時、足下に何かが転がっていることに気が付く。


 林檎パイだ。

 ディアナが作ってくれたそれが無惨にも踏み潰されている。


「……」


 嫌な予感が確信に変わった。

 何故、今まで気づけなかったんだ……。

 くそっ……!


 俺は急いで階段を上った。

 最初に向かったのは両親の寝室。

 そこで暗闇の中に佇む人影を見つける。

 窓辺から入る月明かりを浴びて浮き上がったシルエットは、小さくて儚い。


「ルクス……」


 俺はその背中に思わず呼びかけていた。

 すると彼は暗がりの中でゆっくりと振り返る。


「あ、にぃに。おかえり、はやかったね」

「……」


 普段と変わらない雰囲気で彼は投げ掛けてくる。

 だが俺は、それに対し素直に答えることはできなかった。


「ディアナとイーリスはどうした?」

「ディアナ? イーリス……って? あ……ママとメイドさんのことか。にぃにがいつもと違う呼び方をするから、分からなかったよ」

「……」


 年相応にあどけない言葉しか発してこなかったルクスが突然、流暢にしゃべり始めたところで俺は覚悟を決めた。


「いつまでそんな芝居をするつもりだ」

「おや?」


 ルクスが目を細めるのが分かった。

 俺がネロ・アルムスターを脱ぎ捨て、中身の自分で言い放ったからだ。


「いつものにぃにと違うね。誰だい? 君は」

「名乗る必要なんてない。お前こそ、皮を被っていないで正体を現したらどうだ」

「何のこと? ……って言いたいところだけど、もう無理だろうね。分かったよ、見せてあげる。僕の本当の姿を……」


 言うや否や、彼の身に異変が起こった。

 体中の肉という肉が膨れ上がり、急激に肥大化してゆく。

 瞬く間に大人の男性と変わらない大きさにまで成長したその体は、黒ずんだ体皮に覆われてはいるが人間のそれと然程変わりはない。

 ただ、人と大きく違っていたのはその頭だった。


 幼いルクスの顔が縦一文字に割れたかと思った瞬間、中から虫を思わせるたくさんの脚が伸びてきて頭部を飲み込む。

 そこに現れたのは、巨大な蜘蛛そのものを首の上に据えたかのような頭だった。

 こいつに敢えて名前を付けるのなら、蜘蛛男と呼ぶべきだろう。


「どうだい? 望み通り、本当の姿を見せてやったよ」


 ルクス……いや、蜘蛛男は口元に生えた牙を小刻みに動かして笑う。

 まさか、こんな醜悪な姿があの少年の裏に隠れていたとは……。

 声も幼いものから青年のものに変わっている。


 偽装魔法で身を隠す魔物もいるが、こんなふうに姿そのものを人間に偽装できる魔物もいるのか……。

 探知できなかったのも人間の姿に擬態していたからだろうか?


 それにしても、その姿……虫という共通点はあれど、これまでの怪物っぽい姿とは懸け離れた容姿をしている。

 頭を除けば、人に近い二足歩行の生き物だ。

 こいつも魔物なのか?

 もしかして、これがクルトの言っていた――。


「魔人……?」


 異様な姿を目にしたことで反射的に思わずそう呟いていた。

 すると蜘蛛男はクスリと笑った。


「そう言ってもらえるのは光栄だけどね。僕は普通の魔物さ。魔人様とは違う」

「……」


 魔人じゃない?

 しかも奴は魔人と、目上に対する言い方をした。

 ということは魔人よりも位が低いということになる。

 しかし、だからといって大ムカデとは違い、流暢に言語を操る知能がある。


 ということは中級上位以上、魔人以下。

 上級の魔物という線が濃厚だ。

 上級魔物は確か、第六魔角級相当。

 等級だけで言えば格下だが、クルトが言っていたようにランクに囚われることは危険だろう。


「それにしても残念だよ。あんまり派手にやると食事に有り付けなくなってしまうから、ゆっくりじっくり味わってゆこうと思ってたのに、これじゃあ台無しだ」

「やはり、お前の仕業か」


 蜘蛛の頭では表情までは分からないが、奴がほくそ笑んだような気がした。


「なかなか良い手だろう? 人間の子供に成り済まし内部に入り込む。あとは好きなだけ食べ放題なんだから。君に見つかりさえしなければ……の話だけどね」


 蜘蛛男は首を傾け、こちらを睨んでくる。


「どうして僕の擬態を見破れたんだい?」

「それを素直に教えてもらえるとでも?」


 質問に対し、質問で返した。

 見破り方を教えても何の得にもならない上に、魔物側にとっては利益になってしまうのだから、そうなるのも当然だ。


 実際、ルクスの存在を疑うことができたのはほんの些細なことだった。

 目を覚ました彼と初めて相対した時に、握手を交わした。

 その際に、普通ではない冷たい手の感覚に違和感を覚えたのだ。

 しかもそれが大ムカデの死体に触れた時と全く同じ感覚だった。


 その背筋を貫くような冷たい感覚。

 それが魔物特有のものだと気付いた時、ルクスの顔が真っ先に浮かび上がったのだ。

 しかし今は理由なんてどうでもいい。


「そんなことより、二人はどうした?」

「二人? ああ、そのことか。それならもう食べちゃった」

「……!」

「って言ったらどうする?」

「……」


 蜘蛛男は俺の反応を見て楽しんでいるようだった。


「嫌だなあ、そんな怖い顔しないでよ。慌てなくても彼女達なら、すぐそこにいるじゃないか」


 奴はそう言って視線を天井へ向ける。

 しかし、暗がりで良く見えない。


「少し明るくしてあげようね」


 蜘蛛男は人差し指を口元に持って行くと、口から糸を吐き出し指先に巻き付ける。

 そして、すかさず牙を噛み合わせ始めた。

 その度に牙の周りで火花が散る。

 まるで火打ち石のようだ。


 指に巻き付けた糸にすぐに引火して炎が上がる。

 それを松明のように掲げた時、天井の様子が暗闇に浮かび上がる。


「っ!? これは……」


 天井一面に綿のように張り巡らされた蜘蛛の糸。

 その分厚い綿糸の塊の中に大きな繭のようなものが二つ、磔になっている。


 それぞれの繭の中に浮かぶ人間の顔。

 それはディアナとイーリスだった。

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