第30話 違和感
「すまない……俺は考えを改めなければならないようだ」
ようやく我に返ったクルトは、ぼそりと呟いた。
「別にネロのことを過小評価していたわけじゃないんだ。ただ経験が少ない中での実戦は荷が重いと思って……」
「わかってるよ。パパはいつも僕の身を心配して言ってくれているんだものね」
クルトは俺の言葉を受けて破顔した。
「うおーっ、ネロぉぉっ! なんて出来た子なんだ! パパは嬉しいぞ!」
彼は俺を力強く抱き締めると、自分の頬を俺の顔に擦りつけてくる。
「ちょっ!? わかった! わかったから!」
髭がチクチクするって!
あと、そんなに強く抱き締めて大丈夫なのか心配になってくる。
「そっ……それよりパパ。腕は大丈夫なの?」
「え? 腕? ……いっ!? いてててて……」
クルトは今頃になって悶絶し始める。
そりゃ骨が折れてるかもしれないんだから当然だ。
しかし親馬鹿さ加減が行き過ぎて、怪我をしていることを忘れていたらしい。
そういう所は彼らしいといえばそうだ。
悪く言えば脳筋、良く言えば自分に正直に生きているってことだ。
それはさておき、彼の怪我をなんとかしないと。
この世界には病院とか医者はいるのだろうか?
やっぱり魔法がある世界だから治癒魔法?
聞いてみた方が早いか。
「パパの怪我を治せる魔法とかってないの?」
「治癒魔法のことか? あるぞ」
あるんだ。
じゃあ、早くそれで……と思ったのだが、それができるならとうにやってるはず。
何か事情があるのだろう。
「馴染みの診療所があるから、そこへ行こう」
「ジゼルの所だな。私が肩を貸そう」
「すまない」
アイラはクルトの体を支え、立ち上がるのを補助する。
彼らに聞いたところ、教会に登録している魔壊士の中で治癒魔法が使える者は数えるくらいしかいないらしい。
魔法ができるなら全員が使えるわけじゃないのだ。
クルトはゆっくりと立ち上がると、辺りをぼんやりと見渡す。
「それにしても派手にやったな……」
彼の言う通り、辺りには先ほど俺が倒した大ムカデの残骸が無数に飛び散っていた。
元が何だったのか分からないくらいに細かい肉片になっている。
唯一、形状を残していたのは頭部と尻尾の先くらい。
「あとで連絡して大きな部位だけでも回収させよう。魔物の生態研究に役立つからな」
「研究って、どうやってやるの?」
「死体に微量の魔力に流すことで、その魔物の特性や習性なんかが分かったりするんだ」
魔物の死体にはそういう使い方もあるのか。
それならもっと形を残す倒し方をすれば良かったな……。
とは言っても、あの時はあれが最善だったか……。
大ムカデの体が思いの外、脆すぎたというのもあるかもしれないが。
そういえば、クルト達や他の魔壊士が厳戒態勢で挑んでいたわりに然程手応えがなかった。
いくら俺が異例の第七魔角級だからって、あれほど警戒していた敵がこんなものなのだろうか?
どうも違和感を覚える。
件の魔物は一人ないし二人程度の人間しか捕食せず、常に狩り場を移動していたということだった。
それは黒蟻や土蜘蛛のように大々的に人を襲うと簡単に足が付くからだ。
魔物にとって重要なことは常に安定した食事の確保じゃないだろうか?
だからこそ、なるべく人目に触れずに行動する必要がある。
そうすることで長期的に食事にありつけるのだ。
しかし、今倒した大ムカデにそこまでの知能があるとは思えない。
かなり粗雑な感じがしたし、何より隠密で行動するには体があまりにも大きすぎる。
いくら偽装魔法があっても、あの図体では街中で痕跡を残さずに移動するのも難しい。
もしかして、敵は他にもいるんじゃないだろうか?
もう一度、魔力探知をしてみるか。
さっきは二重探知の開始直後に間近で魔物を発見してしまった為、それ以上の範囲をまだ検索していない。
今度はもっと広範囲に、それこそこの町全体を調べてみようじゃないか。
俺はすぐさま魔角を展開する。
今度は最初から二重に魔角を張り、連鎖を開始する。
俺を包み込むように広がった魔角は、この都市国家フェルガイア全域の魔力情報を伝えてくる。
この町に住む人々の魔力が無数の点となって俺の脳内に入り込んでくる。
そこに魔物らしき魔力の反応は感じられない。
対象が大ムカデ以上の高度な偽装を行っているのなら、感知できない可能性はある。
ならば、と魔角を三重にして探知してみる。
だが結果は同じ、特に気になる魔力は見つけられなかった。
やはり、この大ムカデが犯人だったのか?
俺は傍らに転がっている大ムカデの頭を見ながら思う。
……。
…………。
………………。
やっぱ、しっくりこないな……。
そういえばさっき、魔物の死体に魔力を流して習性や特性を探ることができるって言ってたな。
それ、俺にもできないかな?
もし可能なら、そこから何か手掛かりが掴めるかもしれない。
「ねえパパ、この大ムカデ、ちょっと調べてみてもいい?」
「調べる……って?」
「さっき、パパが言ってたじゃない。魔物の死体に魔力を流して生態研究をするって」
「ああ、そうだが、調べると言っても一朝一夕でできるわけじゃない。様々な角度から条件の異なる魔力を注ぎ、返ってきた反応を情報として集約した上で総合的に判断していかなければならないんだからな」
なんか物凄く地道なやり方なんだな。
魔力を流してパッと分かるわけじゃないのか。
そういう所は、近代的な研究法と一緒か。
「まあ、試しに無属性の魔力を極微量流してみるといい。全ての魔物に通ずる一般的な反応が返ってくるはずだ」
クルトが言うには、例えば火属性の魔力を流してなんらかの反応があれば、火に対しての抵抗力があると考えるのだそうだ。
しかし火属性の内容も細分化されてる上に、他属性との兼ね合いもあったりして、実際にはもっと複雑なのだとか。
今は無属性魔力を流してみろと言われた。
そうすると、魔物にしか存在しない反応が返ってくるのだという。
「じゃあ、やってみるね」
手をかざし、魔角を展開させようとした時、クルトが口を挟んでくる。
「そうじゃない。直接、触れないと駄目だ」
「えっ、触るの!?」
まさか直接、魔物の死体に触らなくてはいけないだなんて思いもしなかった。
死んでいるとはいえ、なんか気持ち悪いし嫌だなあ……。
とはいえ、新しい扉を開くことは俺の成長にも繋がってくる。
なんでもチャレンジしてみないとな。
そう思って恐る恐る、大ムカデの頭に手を伸ばそうとした時だった。
「ちょっと待った!」
クルトが慌てて制止の声を上げる。
「こいつはまだ教会にも情報が無い魔物だ。念の為、魔角基で触れた方がいい。魔物によっては牙や皮膚に毒があるものもいるからな」
「!?」
そういうのは早く言ってよ。
危うく触っちまうところだったじゃないか。
俺は改めて魔角基を展開したままの手で大ムカデの頭に触れる。
その直後、氷のように冷たい感覚が全身に走った。
流す魔力は極微量でいいという話だったので、ちょっと触れただけでも既にそれは達成されたのだと思う。
この異様に冷たい感覚。
これが魔物特有の反応なのだろう。
しかし、違和感を覚える。
前にこれに似た感覚に触れた気がする。
なんだろう?
記憶を辿るうちに、とある過去の光景に行き着く。
その刹那、悪寒で身が震えた。
「……!」
ずっと感じていた違和感の正体に気付いたのだ。
これって……もしかして……。
そう思ったら、体が勝手に動いていた。
「パパ、僕ちょっと行ってくる」
俺は飛び上がったように走り出した。
「えっ!? おいっ!! 行ってくるって、どこに!?」
「パパは怪我の治療に行ってて!」
「そうじゃなくて! お前っ……何を……!?」
後方にクルトの声が遠退いて行く。
彼は慌てていた。
息子が急にどこかへ走り出したのだから当然の反応だ。
だが、今の俺には悠長に説明をしている暇は無かった。
俺は身体強化の魔法を使い、夜の町を疾走する。
その行き先は――、
我が家だ。
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