第22話 少年

 明くる日、我が家で保護していた少年が目を覚ました。

 それを聞いた俺は、彼がいる部屋に駆けつけた。


「ママ、あの子が目が覚めたって、パパから聞いて……」


 中に入るなりベッドの上で半身を起こしていた少年と目が合った。

 幼いながらも端整な顔立ち。

 そしてどこか虚ろで生気が抜けたように見える。


「今起きたばかりよ。仲良くしてあげてね」

「うん」


 ベッドのそばに座っていたディアナは、立ち上がると俺に席を譲ってくる。


「僕、ネロ。よろしくね」


 椅子に座るなり、彼に向かって手を伸ばす。

 すると少年は少し戸惑いながらも、俺の手をそっと握り返してくれた。

 印象深かったのは、その手が冷たかったことだ。

 体力を奪われ、かなり憔悴した様子だったから、その影響だろうか?


「君、名前は?」

「……」


 少年は無言で首を横に振った。


「思い出せないらしいの……」


 代わりにディアナがそう答える。

 記憶喪失か。

 あまりに大きな心的外傷を負うと、そこから心を守る為に脳が記憶を封印することがあると言われている。彼の身にも同様の事が起こったということなのだろうか?


 あんな凄惨な現場に囚われていたのだから無理も無い。

 あの場で両親が亡くなっていたのだとしたら尚更だ。

 しかも、見た目の俺よりも幼さないのだから、そのショックは計り知れない。


「焦らなくて大丈夫、ゆっくりでいいからね」


 塞ぎ込んだ様子の少年にディアナが優しく声をかける。


「それにね、ここは自分のお家だと思ってくれていいのよ」


 彼女は既にこの子を引き取る気でいるらしい。

 それは彼も同じだった。


「はっはっはっ、そうだぞ」


 話を漏れ聞いていたのか、豪快な笑いと共にクルトが部屋に入ってきた。


「息子がもう一人増えたようなもんだ。家族は多い方がいいからな」


 子供を授かれない彼らからしたら、養子を迎え入れることはむしろ大歓迎なのだろう。

 俺に弟ができたくらいの感覚なのだ。


 だが、急にそんなことを言われても当の本人は困惑するだろう。

 自分が何者かも分かっていないうちに、他人に今日から家族だ、と言われても何が何やらという感じだと思う。

 実際、少年はどう答えていいのか困った様子だった。


「あなた、焦りすぎよ。困ってるじゃない」

「そ、そうか……?」


 ディアナの突っ込みにクルトは頭を掻いていた。

 状況的に少年を受け入れることはもう決まりだろう。

 しかし、そうなるとこのまま名前が無いというのも不便だ。


「パパ、ママ、思い出すまで何か呼び名があった方が、この子も助かると思うんだけど……どうかな?」


 俺がそう提案すると、二人はきょとんとしていた。

 だが、すぐに反応する。


「それもそうね……」

「なら、良い名があるぞ。ルクスなんてどうだ?」

「あら、いいわね。あなたはどう?」


 ディアナは少年に尋ねる。

 彼は逡巡したように全員の顔を見渡していたが、最後には恥ずかしそうに頷いてくれた。


「じゃあルクス、改めてよろしくね」


 俺がそう言うと、彼の顔に僅かだが笑みが窺えたような気がした。


「よし、そうと決まれば早速、歓迎のパーティだな」


 クルトは独りでやる気満々の様子。


「林檎パイを焼いてもらわないと。ディアナの林檎パイは最高に旨いんだぞ」

「ちょっと……何言ってるの? まだルクスは病み上がりなのよ? そういう重たい食事は、もう少し落ち着いてからで……」


 グゥゥゥ……


 ディアナが言いかけた時、絶妙のタイミングで腹の虫が鳴る音が聞こえてきた。

 無論、音の主は俺じゃない。

 ルクスだ。


 当の本人も自分の腹がそこまでの音を出すとは思ってもみなかったようで、ポカンとしていた。


「この調子なら、いけるんじゃないか?」


 クルトが口元を綻ばせながら言った。

 するとディアナもそれに釣られるように表情が緩む。


「そうね……。じゃあ、準備しましょうか」


 これには俺も内心で小躍りしていた。

 斯く言う俺も、ディアナが作る林檎パイの虜の一人なのだった。

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