第20話 蜘蛛

 デカすぎるだろ……。

 その土蜘蛛は想像していたものを遥かに超える大きさだった。

 黒蟻も相当デカいと思っていたが、それの比ではない。

 例えるなら動物園で見た象くらいの大きさはあった。


 全ての足に鋭い爪が生えており、まるで刀のようだ。

 あれで突き刺されたら一溜まりも無いだろう。

 八つの目はそれぞれ違う方へ向き、周囲の様子を窺っている。

 目の下には猛獣のような牙が生えており、そこから赤い血が滴っているのが見えた。

 恐らく食事の直後だったのだろう。


 そんな醜悪な姿に圧倒されていると、クルトの方から動いた。

 彼は剣で斬り掛かる。

 すると土蜘蛛はその巨体からは考えられない身軽さで、それを避けた。

 更には大きな腹を持ち上げ、尻の先から粘着性のある糸を乱射してくる。


 これに対してクルトは魔角を展開する。

 自身の両脚を包み込むように魔角が連鎖すると、急激に敏捷性と跳躍力が上昇したように見えた。

 それで土蜘蛛が噴射した糸を絶妙な角度でかわしてゆく。


 あれは……身体強化魔法??

 彼からは何も聞いていないが、火属性以外にもそんなことができるのか?

 魔角の可能性に魅せられている中、クルトは土蜘蛛の攻撃をかわしつつ、たまに隙を突いて斬撃を繰り出す……ということを続けている。


 しかし、剣での攻撃は刀のような鋭い足によって悉く弾かれ、なかなか決定打となる一太刀を浴びせることができない。

 そんなもどかしいとも取れる攻防を観察していて、何かがおかしい事に気づいた。

 先ほどから火属性の魔法を一度も使っていないのだ。

 この状況で敢えて得意なものを封印する。それには何か意味があるはず。


「ねえ、アイラさん、パパはなんで火の魔法を使わないの?」

「それは土蜘蛛の特性を考えてのことだ」


 彼女は魔装障壁を張りながら答えた。


「奴が吐く糸は非常に可燃性が高い性質を持っている。ここでクルトが火の魔法を使えば、ただでは済まなくなるからな」


 あの糸にそんな性質があるなんて……。

 俺一人で何も知らずに対峙してたら、火の魔法を使ってたかもしれない。

 それを想像するとゾッとする。

 やはり知識は大切だ。


 もし壁面びっしりに埋め尽くされた糸に引火でもしたら、炎が爆発したかのように燃え広がるだろう。

 そうなってしまった場合、アイラの魔装障壁のお陰で直接焼け死ぬようなことはないのかもしれないが、鎮火にはそれ相応の時間がかかる。酸欠か一酸化炭素中毒、または周囲の熱にやられてしまう可能性が高いだろう。


「しかも土蜘蛛の体皮は熱にも強いときている。巻き添えを狙った捨て身の攻撃さえも意味を成さないということだ」

「……」


 なんだよ……それじゃ、クルトにとっても非常に相性の悪い敵じゃないか。

 余裕っぽそうに振る舞っていたが、本当に大丈夫なんだろうか?

 少し不安になってくる。


 実際、戦いは膠着状態だった。

 クルトの攻撃を全ての足を使って器用に防御する土蜘蛛。

 彼は反撃の糸を機敏に避けながら隙を窺っているが、次第にその手数も少なくなってきている。

 状況的にはさっきの黒蟻と一緒だ。

 このままではいずれスタミナが切れてしまう。


 クルトには見学だけだと約束したが、ここは援護した方がいいのではないだろうか?

 約束については魔装障壁から出さえしなければ許してくれるはず。

 それに援護と言ってもさっきみたいな直接的なものではなく、クルトに攻撃の隙を作ってあげることが目的だ。

 彼もそれを狙っているようだし、助けになるだろう。


 そうと決まれば、その方法だ。

 まず火属性の魔法は使えないのでそれは除外。

 水属性のみで、できる事を考える。


 土蜘蛛は八本ある頑強な足を全て使い、クルトの攻撃を防いでいる。

 その足を一本でも止められれば隙を作ることができるはずだ。


 俺は想像を膨らませる。

 構築するのは土蜘蛛の足を拘束する為の魔法。


 まずは魔力を圧縮し、水とは思えない硬度を作り出す。

 形状は蛇のように長く。

 その先には獣のように対象に喰らいついて離さない牙。

 そしてそれは土蜘蛛の八本の足に対応する為、同数必要だ。


 そこから導き出される形状は、八本の長い首を持った水竜。

 まさにヒュドラを思わせる姿だ。

 対象に噛み付いたら離さない水の拘束具。

 名付けるなら〝ウォーターバイト〟。

 そのイメージが固まる。


 俺はかざした右手に魔角を展開すると、そこへ魔力を流し、水属性を付与する。

 手の前で魔角が連鎖し始め、魔法発動への準備が整う。

 土蜘蛛を視界に捉え、狙いを定める。

 その瞬間だった。

 視界から土蜘蛛の姿が煙のように消えたのだ。


「……!」


 どこへ行った?

 姿を追うように周囲に目を向けようとするも、そんな暇は無かった。

 なぜなら、鼻先が触れるほどの眼前に、ギョロリとした紅い目が現れたからだ。


「っ!?」


 俺は思わず仰け反った。

 一瞬で奴に間合いを詰められたのだ。


 なんて速さだ……。

 全然見えなかった。


 幸い魔装障壁があるお陰で攻撃を食らうことは無かったが、その鋭利な爪の先端が障壁に突き刺さり、今にも引き裂かれそうになっていた。


「くっ……!」


 これにアイラがすぐさま反応し、魔力を高める。

 すると彼女の左肩から腕に沿って魔角が連鎖し始める。

 その魔角がアイラの左腕全て覆うと、彼女は意を決したように飛び出した。

 土蜘蛛に向かってショルダータックルをかましたのだ。


 その衝撃で土蜘蛛の巨体は大きく吹っ飛ばされた。

 華奢な体からは想像もできない力だ。

 多分、左腕に施された魔装がそうさせているのだろう。

 普通なら腕の骨が砕けてもおかしくないのだから。


 十メートルほど吹っ飛ばされた土蜘蛛は、身を回転させながら起き上がる。

 既に反撃の体勢に移っていた。

 だが次の瞬間、その動きがピタリと止まった。


 何が起きた?

 そう思ったと同時だった。

 土蜘蛛の巨体に一本の縦筋が入る。

 直後、奴の体が真っ二つに裂かれた。


 頽れた巨体の背後から、剣を振り下ろした体勢で佇むクルトの姿が現れる。

 アイラの攻撃によってできた隙を突き、彼がトドメを刺したのだ。


「ったく、手こずらせやがって……」


 クルトが剣を収めながら愚痴を溢すと、アイラが口元を綻ばせる。


「時間かかりすぎだ。瞬撃・・のクルトの名が泣くぞ?」

「うっさい! ちょっと活きの良い個体だっただけだ」

「それなら仕方ないな」

「ふんっ」


 まるで子供のようなやり取りで会話する二人。

 それだけ馴染みがあり、信頼している間柄なのだろう。


 一方、俺はといえば、クルトを手助けしようとして上手く行かなかった。

 まさか、土蜘蛛があれほどの素早さを持っているとは思わなかったのだ。

 あの巨体で敏捷性が高いなんて想像すらできなかった。

 これもクルトの言う経験不足からくるものだ。


 もし魔装障壁が無かったら、俺はあの瞬間、やられていたかもしれない。

 そう思うと、もっと努力を重ねなければと心に強く感じた。

 そんな事を考えていると、クルトが俺を見てくる。


「大丈夫だったか?」

「うん、平気。全部、アイラさんのお陰だよ」

「ネロは褒めるのが上手だな。将来はきっとモテるぞ。誰かさんとは大違いだな」


 アイラはそう言いながら横目でクルトを見る。

 すると彼はムッとした表情を見せる。


「……ともかく、これで全て片付いたと思う。後始末は教会の人間に任せて、俺達は引き上げよう」


 これで町の人間が襲われることが無くなった。

 ただ魔物が存在している限り、その平穏も一時的なものだ。

 いずれまた別の魔物が町へ入り込むことは避けられない。

 それがこの世界の人間に課せられた現実。

 魔壊士に託されたものがとても大きなものだと感じる。


「さあ、戻ろう」


 クルトの一声で皆揃って踵を返そうとした時だった。


「あ、あの……」


 今まで一言もしゃべらずに怯えていたフィーネが、ここに来て口を開いた。

 彼女は全ての魔物が倒されたというのに未だ緊張が抜けていない様子。


「どうした? フィーネ」


 母親であるアイラが尋ねる。

 するとフィーネは壁の一部を震える手で指差す。


「あれ……」


 彼女の指摘した先に目を向けると、そこには糸でグルグル巻きにされた町の人達の死体が並んでいた。

 土蜘蛛の食料として捕らえられた人達は、死後数日経っているのだろう。

 皆、ミイラのように肌が萎れているか、肉が腐っているかのどちらかだった。

 土蜘蛛にとっては、それが熟成された美味しい状態なのかもしれない。


 フィーネは何故、そんな死体を指差したのだろう?

 違和感を覚えてつぶさに窺うと、その理由が見えてきた。

 無数の死体の中に、見過ごしてしまうほどの小さな存在を見つけた。


 それは俺やフィーネとそう変わらない年齢に見える少年。

 しかも他の死体と違って肌に張りがあり、綺麗な状態。

 恐らく捕らえられてから、そう時間が経っていないのだろう。


 そう思った直後だった。

 少年の瞼がピクリと動いたのだ。


「あの子……生きてる!」

「なんだって!?」


 俺が指摘するや否や、クルトは少年に駆け寄った。

 そばで状態を確認し、刮目する。


「本当だ……まだ息がある。助けるぞ! アイラ、手伝ってくれ」

「ああ」


 彼らが手際良く剣で糸を切り裂くと、中から少年の小さな体が溢れ落ちる。

 それを受け止めたアイラは振り返り際、フィーネの目を見据える。

 そして――、


「良く見つけたな」

「……!」


 その一言を受けて、フィーネは一瞬、驚いたように目を丸くしたが、すぐに顔を綻ばせた。

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