第2話 親
色々とおかしい。
目の前にいる女の人に〝私の赤ちゃん〟と呼ばれた。
他の誰かではなく、水槽に中にいる俺に向かって確かにそう言った。
言わずもがな俺は成人男性。
自分よりも年下っぽい女性にそんなふうに呼ばれるなんてことは、まず有り得ない。
それを抜きにして考えても視覚で捉えることも難しい細胞みたいな俺のことを〝赤ちゃん〟なんて呼ぶ、この人は一体、なんなんだろうか?
〝無事に産まれてきて〟っていう表現もおかしい。
普通、人間は子宮から生まれてくるものだ。
体外受精だったとしても、最終的には子宮に戻される。
完全に体外で細胞から赤子の状態にまで育てる技術は、倫理的なものも絡むが今の人類には無い。
となると……。
あまりに荒唐無稽だが……この状況で考えられるのは、アニメや特撮なんかで出てくるような培養液の中で育てられている人工生命体――それに転生してしまったのではないだろうか?
この女性は、人造モンスターの研究をしているマッドサイエンティストで、生み出した怪物をヒーローに立ち向かわせる悪役幹部といった感じ……。
――には見えないな……。
だって、さっき俺に見せた彼女の表情からは温かな愛を感じた。
マッドサイエンティストが見せるような猟奇的な愛とは違う。
情報が少なすぎて分からないことだらけだが、ここまでではっきりしている事
は、俺は培養槽の中で育てられている彼女の子であるということ。
そしてこれはやはり、転生ってやつなんだと思う。
ここから見える室内には、古ぼけた書物や薬瓶が並ぶ。
それはまるで錬金術師の部屋のよう。
石造りの壁は現代日本とは懸け離れたものだし、彼女が着ている服もファンタジーRPGに出てくるキャラクターが身に付けていそうなデザイン。
一見するとコスプレに見えてしまうそれを違和感無く平然と着こなしているあたり、ここはそういう世界なのだろう。
それは受け入れたとして……だ。
よりにもよって細胞に転生とか酷すぎだろ。
セオリーとしては、せいぜい赤ちゃんからだろうよ。
こんなのどうすりゃいいんだよ。
このままこの中で育つのを待てば、彼女が言うように産まれることができるんだろうか?
それって、どれくらいかかるのかな?
この培養液の中は眠たくなるほど穏やかで心地の良い場所だが、あんまり長いと退屈だな。
細胞分裂を早める方法とかないんだろうか?
ちょっと力を込めてみるか。
意味があるかどうか分かんないけど。
ぬぅぅぅ……。
体全体で力んでみる。
とはいっても体は無いので、似た感覚でやってみた。
結果は――何も起きなかった。
ただ疲れただけ。
でも疲れたという感覚はある。
そこは不思議だ。
そういえば、一細胞でしかないのに意志があること自体、普通じゃない。
脳が無いのにどこで思考してるんだ?
いや待てよ……。
そうか、意志か。
そもそも肉体が無いのに力んだって意味が無い。
俺がこの場所で自由に振る舞えるのは自身の意志だけだ。
さっきも意識を外側ではなく内側に向けた時、自身の存在を認識できた。
なら、その方法で何かできるかもしれない。
俺は意識を自分の内側へと向ける。
すると小さな細胞の中に熱く流れるものを感じた。
血液とは違う、もっと根源的な力のようなもの。
例えるなら気とか、エネルギーとか、そういった感じ。
でも、それとは違う。
こんなものは前世では感じたことが無い。
なんなんだこれは……。
激しく巡るその流れを意識すると肉体が無いのに熱くなってくる。
あ……これやばい……なんかやばい気がする……。
それは体が引き裂かれるような感覚。
前世で鉄パイプに貫かれた時の感覚にも似ている。
意識がどこかに持って行かれそうだ。
なんかマズいものに触れちまったのか?
でも、どうすれば……。
止め方が分からずに慌てていると、培養槽の外でも変化があった。
「っ……!? あ、あなた! すぐ来てっ! 赤ちゃんの様子が……!」
さっきの女性――というか俺のことを我が子と呼ぶのだから便宜上、母親ということにしておこう。
その母が狼狽え、誰かを呼んでいる。
「どうした!?」
すぐに部屋の扉が勢い良く開け放たれ、男が入ってきた。
母と同じくらいの年齢に見えるその男は、血相を変えて俺の前までやってきた。
「こいつは……成長反応だ……」
緊張した表情で彼がそう言うと、母は息を呑んだ。
成長反応? これが?
俺、ようやく細胞から何かに成長できんの?
にしては……すごく苦しいんだけど……大丈夫なのか?
それを聞いた母は泣きそうな顔してるし、男の方も固唾を呑んだような様子で見守っているし、嫌な予感しかしないんだけど……。
「大丈夫よね……?」
「ああ……
二人は手を取り合い、悲痛な面持ちでこちらを見ている。
てか、母の様子からそうかなーとは思ってたけど、やっぱりあんた父だったのね。
で、乗り越えるって何?
順当に考えたら、この苦しいやつをを乗り越えろってことなんだろうけど、もしそれができなかったらどうなんの?
その疑問と不安に父は明解に答えてくれた。
「この子は絶対に……死なない!」
もしや……と思ったけど、やっぱりそうなのね。
この苦痛を乗り越えないと……俺は死ぬ。
せっかく転生したのに、またすぐに死ぬとかあんまりだ。
生き残れたとしてもどうなるのかは分からないが、成長という希望がある。
死ぬよりかはマシだ。
でも……なんかもう……意識が飛びそうだ……。
さっきから俺の中を四方八方に暴れ回る熱きもの。
多分、こいつが俺という存在を内側から突いて破壊しようとしているのだ。
これさえ抑え込むことができれば……。
意識を集中させると暴れまくっていた流れが一つの円環となり、それが次第に辺を作って三角になってゆくのが分かる。
いい感じだ……抑えられている気がする。
このままこの形で安定させれば……恐らく……。
感覚を研ぎ澄ませ、流れに集中する。
そして自分の中に綺麗な正三角形を捉えた時――、
俺の意識は途絶えた。
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