第34話姉御女子と保健室

 西女の最寄り駅に着くまで、蘭華さんの質問攻めを食らい、僕は心身ともに疲れ果ててしまった。

 異様なプレッシャーも相まって、何倍も疲れたよ。


「おや、もう時間ですか……時が経つのはあっという間ですね」

「で、ですね……」

「それでは積木様、ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう……」


 蘭華さんを先導に、西女の皆さんが最寄駅へと去って行った。

 異様な集団の姿を見送り、ずり落ちそうな体勢のまま大きな溜息が出た。


 最強な完璧詰みは、もう二度と経験したくないぐらいトラウマ級な詰みだったよ。

 そんな中で、スマホの連絡通知音が鳴って、軽くびくつきながらも確認した。


「ち、千佳さんからだ……」


《今日はごめんね。蘭華に釘刺されて、どうしても助けてあげられなかったんだ》


 上級生でさえも蘭華さんに敵わないって事なのか。

 でも、千佳さんは何も悪くはない。

 むしろ巻き込まれてしまったら、千佳さんの立場が西女でなくなるかもしれなかったんだ。


《千佳さんが無事なら良かったです》


 すぐにもじもじとするゆるキャラと、ありがとうの一言が添えられた返事が来た。


 千佳さんのお陰で若干心にゆとりが出来たけど、蘭華さんというとんでもない人と関わってしまった事に、後悔が物凄く押し寄せてきている。


♢♢♢♢


 教室に着くまでの間、まるで抜け殻のように頭が正常に戻らずにいた。


「あ、積っち! はよ!」

「お、おはようございます」

「……なんか元気ないじゃん。どした?」


 愛実さんは最後の大会も近いから、心配させる訳にはいかない。

 僕は出来るだけの平静を装い、愛実さんに安心して貰わないと。


「ちょっとゲームのやり過ぎで寝不足なん」


 言葉を遮るように、愛実さんが僕の手を掴み、真剣な眼差しを向けてきた。


「馬鹿。いつも心配してくれてるのに、私に心配させてくれないなんて失礼じゃん」

「え」

「寝不足じゃないことぐらい、馬鹿な私でも分かるし」


 あの時に感じた不思議な気持ちが、愛実さんの手から伝わってきてる。

 心がホッとして、何故か手を握り返したくなる思いが、少し前面に出てこようとしてる。


 愛実さんに本当の事を話そうと口にし掛けた時、隣席の峰子さんが声を掛けてきた。


「洋、顔色が優れないな」

「峰子さん……その、色々と朝にありまして」


 頼れる峰子さんの姿が、今は双子の蘭華さんに見えて、顔が青ざめていくのが自分でも分かってしまう。

 峰子さんは黙ったまま僕の顔色を窺って、距離をどんどん詰めてきてる。

 近付く度に分かる、峰子さんと蘭華さんの双子である、美しい顔の事実に背筋が少し寒くなった。


「……少し我慢してくれ」

「ちょぉわ?!」


 急に何を言い出すと思えば、軽々しくお姫様抱っこをされた。

 普通男がするお姫様抱っこなのに、絶対的な安定感に包まれてます。


 教室内では女子生徒達がキャーキャー黄色い声、すっかり注目の的になっちゃってる。


「ちょ、峰子師匠? な、何してるんだ?」

「洋を保健室まで運ぶ。愛実は先生に伝えてくれ」

「りょ、了解……じゃなくて!」

「洋、私にしっかり掴まって口を閉じてくれ」


 直後、目にも止まらぬ俊足で、教室を出た峰子さん。

 過ぎて行く景色と凄まじい風音なのに、安定感が物凄くいい。

 そして同時に、豊満な胸の揺れによるドスンドスンボディーブローが、地味に僕を襲ってるけど、峰子さんは全然気付いていない。

 

「保健室に着い……洋、顔色が赤らんでるぞ」

「き、気にしないで下サイ……」

「ダメだ。ちゃんと先生に調べて貰うまで、勝手に決めないでくれ」


 いつになく姉御肌な峰子さんは、お姫様抱っこのまま保健室へと入った。


「失礼します」

「あら義刃さん? 積木君とベッドインする気?」

「容態次第では私が一肌脱がせて貰います」

「?!」

「ひゅー大胆♪ 奥のベッド使って頂戴♪」


 本当に保健担当の先生なのか疑問になるかささぎ先生。

 漫画とかでよくあるお色気先生っぽい風貌だけど、あくまでも先生なのだから、そこら辺の自覚を持って生徒と接して欲しい今日この頃だよ。


 そんな心内こころうちを呟いてる内に、ベッドに静かに寝かせられてた。

 そのまま額に手を当てられ、顔をグイっと近付ける峰子さんに、自然と顔が熱くなってしまう。


「熱は……少しありそうだな。一応ちゃんと体温計で測らないとな」

「あ、はい」


 鵲先生に体温計を借りに行った峰子さん。

 ここまでしてくれるのは、どうしてなんだろう。

 すぐに体温計を貰い、腋に挟んで測ってる間、じーっと峰子さんは椅子に座って僕を見ていた。

 今はどうしても蘭華さんの姿が過って、素直に顔を見る事が出来ない。


「……洋。1人で抱え込まなくていいからな」

「い、いえ、そのつもりはなかったんですけど……すみません」


 傍から見れば1人で何か抱え込んで見えるのか。

 顔には出さないように一応努力してても、やっぱり色々と下手くそだ。

 そんなバレバレな僕に対し、峰子さんは優しい顔だった。


「……洋、覚えてるか? 高校入試の当日、試験会場の席が洋と隣だったのを」

「え? あ、はい。ちゃんと覚えてますよ」

「なら、良かった」


 凄く大きなセーラ服の美人に、会場内の誰しもが二度見してて、隣にいた僕が忘れる訳がない。

 今も隣の席同士で、こんな偶然ってあるんだって席替えの時にも思ってた。


 でも、何で高校入試の時の話を、今してきたんだろうか。


「私はあの時、入試当日にもかかわらず消しゴムを忘れててな……洋が何も言わないで、一つ貸してくれたんだ」

「あーありましたね」


 あの時の峰子さんは表情に出てなかったけど、開始早々に手が完全に止まってたんだ。

 だから、ひっそりと峰子さんが受け取れる場所に、消しゴムを置いた。

 結果的に今こうして一緒に高校にいるんだ。


 出来事的に数か月前でも、何だか懐かしい思い出に浸るみたいに、峰子さんは話を続けた。


「それでな、試験終わりに礼を言いたかったが、洋はすぐ帰ってしまって、どうするか困ってたんだ」

「す、すみません。自分の事で精一杯で、消しゴムの件もすっかり忘れてました」

「ふふ……そうだろうと思った」


 本当は試験会場の詰み要素が心配で、終わった直後に逃げるように試験会場を出たんだ。


 クスっと笑った峰子さんは、足を組みながら頬杖をつき、とてもリラックスしてる。

 いつも姿勢を正してるから、今の姿は結構新鮮な感じだ。


 それはそうと、この話題を振ってきた理由がいまいち分からないんだよね。

 悩んでてもあれだし、聞いた方が早そうだ。


「あの……なんで入試の話を?」

「……あの日はな、私にとって大事なきっかけだったんだ」

「きっかけ?」


 確かに入試とかは学生にとって大きな分岐点で、何かしらのきっかけだ。

 とにかく峰子さんの話を大人しく聞こう。


「入試前の私は、自分1人で何でも出来て当然な、そんな慢心で生きてきたんだ」


 峰子さん自身がそんな風に思っていたのが意外だ。

 外見や周囲の反応、普段見せる姿で勝手にその人を決めつけてしまうのが、世の中の印象付けだ。

 本当の中身なんて知らない人が多いし、決して珍しいことじゃない。

 むしろ、そっちの方が普通なんだと思う。


 けれど、峰子さんは打ち明けるぐらい、当時のきっかけが大きかったんだ。


「でも、入試の時に洋が教えてくれた。助け合いや思いやりが、人を変えるきっかけになるんだと」

「い、いや、僕は何も……」

「洋ならそういうと思った」


 ニカっと白い歯を見せ、軽く笑った峰子さんは、嬉しそうに言葉を続けた。


「1人じゃどうしようもない時だってある。そう教えてくれて。私がこうして変われたのは、洋のお陰なんだ」


 自分と向き合った峰子さんだからこそ、説得力がある言葉だ。

 僕が消しゴムを貸したことは、ホントに些細な事だ。

 けど、峰子さんにとっては気付かされた大事なきっかけになったんだ。

 だからこそ、僕は率直な思いを伝えないといけない。


「もし、そうだったとしても峰子さんは凄いと思います」

「私が?」

「はい。きっかけが目の前にあっても、口だけで何もしない人が多いです。でも、峰子さんはこうして変われています」


 きっかけをどうするかは、結局その人次第だ。

 些細なきっかけで変われた峰子さんは、頬を掻いて何だか照れ臭そうだった。

 何だか可愛らしいね。


「なんだろうな……洋に言われて、やっと変われたって実感がした。ありがとうな」

「もっと自分を褒めてあげて下さい。変わったのは峰子さんなんですから」

「ふふ……そうする」


 丁度会話の切り良いところで、体温計の音がピピピと鳴った。

 熱は元々ないからきっと大丈夫だろうと、峰子さんと一緒に確認をした。


「37度弱……微熱か……洋、やっぱり午前中は休んでいた方がいい」

「あー……とりあえず1時間目は休ませて貰います」

「その方がいい」

 

 流石に今の状態で授業を受けられないし、今回ばかりはお言葉に甘えさせて貰おうかな。

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