第20話克服したいロリっ子、隣がいいギャル、鋭い妹
どうにか立ち直った僕は、来亥さんの監視下に置かれていることを忘れず、静かに教室を後にした。
詰み要素から逃れる下校ルートの家庭科室を過ぎようとした時、ふと室内で小さな人影が見え、思わず足を止めた。
北高に家庭科部はないから、誰かが個人的に使っているのかも。
丁度扉が少し開いてたので、僕は興味本位でこっそり中の様子を窺った。
いるのは1人のエプロン姿の女生徒だった。
小学生並みの容姿に蒼髪ポニーテールの後ろ姿。
僕はその見覚えのある姿に思わず扉を開いて、名前を呼んでいた。
「萌乃ちゃん先輩?」
「え? つ、積木ちゃん!? ななな何でここにいるの?!」
とびっきりの驚きを見せた萌乃ちゃん先輩は、握っていたトマトを勢いで潰し、返り血みたいにエプロンを真っ赤に染めた。
すぐにタオルで拭いてあげたはいいけど、赤いシミが残ってしまった。
「ごめんね積木ちゃん」
「い、いえ……声を掛けたのが僕が悪かったので謝らないで下さい」
「うぅ……ありがと!」
大きな目が涙目に染まりながら、思いっきり抱き着いてきた。
萌乃ちゃん先輩は接触系のスキンシップが多くて、妹の空に何だか姿が重なって、今の状況も妙にほっこりしてる。
とりあえず落ち着いて貰い、椅子に座って向き合って話を聞くことにしてみた。
「そのー……家庭科室で何をしてたんですか?」
「お、お料理の練習……苦手なのを知られたくなかったから、どうしても克服したくて、放課後に1人で色々と練習してたの」
「なるほど……」
自分の意志で苦手を克服したいなんて、萌乃ちゃん先輩は凄い人だ。
普通だったら苦手な事は後回しだったり避けたり、見て見ぬふりでのらりくらりだ。
人ってどうにも難しく考えたり、悪い方向に考えたりするから、苦手と向き合うのに時間が掛かってしまう。
最初の一歩がどうしても踏み出せなくても、案外踏み出してしまえば以外に大丈夫だったりする事が多い。
だから、こうやって行動で示している萌乃ちゃん先輩を、本当に凄く尊敬してる。
「積木ちゃんには見られちゃったけど、皆には言わないでね!」
「はい、元からそのつもりです。ちなみに今は何を作ろうと?」
「カレーだよ」
「か、カレーですか……」
言葉の歯切れが悪いのには、もちろん理由がある。
カレーの材料であろうものが、テーブル上に並べられているのだけど、どれもおかしいんだ。
タケノコ、大根、こんにゃく、モチ巾着、練り物、どう見ても煮物のレパートリー。
小エビ、レンコン、桜でんぶ、酢なんてちらし寿司が過ってしまう。
唯一カレーの材料に使えそうなのが、さっき握って潰したトマトぐらい。
玉ねぎやジャガイモ、ニンジンやカレールーは存在すらしていない。
ここははっきり言った方が萌乃ちゃん先輩の為にはなると思う。
けど、ショックを受けて悲しむ姿が、鮮明に想像できて心が痛んでしまう。
「積木ちゃんは分かってるでしょ? これがカレーじゃないって」
「え、えっと……はい。カレーのカの字もありません」
「うぐ……」
今にも泣きだしそうだ。
パニックのあまり思考が残念になった僕は、萌乃ちゃん先輩の小さな声で我に返った。
「どうすれば上手になれるのかな……」
「は、初めはオリジナル抜きに、レシピ通りが一番かと……」
萌乃ちゃん先輩の無言が怖い。
「も……」
「も、も?」
「盲点だったぁぁあ!」
可愛い、じゃないじゃない。
したらなんだろう、萌乃ちゃん先輩はずっとオリジナルの勘頼りだったのかな。
だとしたら、元々飛び級するぐらいの天才スペックの萌乃ちゃん先輩なら、ちゃんとレシピの食材と調理過程をこなせば、料理の上達はうなぎ登りだ。
一度で全部理解できそうだし、数か月もあれば絶対に凄い腕前になるぞ。
けれども、今は準備不足が否めないから、また別の機会にした方がよさそうだ。
「と、とりあえず今日はカレーの材料がないので止めておきましょう」
「うん! 私、積木ちゃんのお陰で乗り越えられそうだよ!」
「それはなによりです。萌乃ちゃん先輩の前向きに努力する姿も、とても素敵だと思います」
元気にやる気満々の姿をみたら、誰だって応援したくなるよね。
ニコニコと微笑ましく思う僕とは反対に、萌乃ちゃん先輩は顔を真っ赤にさせていた。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。何でもないよ!」
「ならいいですけど……とりあえず片付けしましょうか」
「はーい!」
さっさと片付けを終え、食材は僕が持ち帰ってもいいことに。
萌乃ちゃん先輩の問題解決はしたけど、やっぱり初めは助っ人がいた方が気の持ちようも変わると思う。
でも、萌乃ちゃん先輩はそもそも誰にも知られたくないんだ。
事情を知ってしまった僕で良かったら、助っ人になるけどちゃんと教えられるかどうかが問題だ。
ぐるぐると葛藤する中、袖をクイクイ摘ままれ、上目遣いの萌乃ちゃん先輩が何か言いたげだった。
「どうしました?」
「わ、私が上手に作れるまで、時々でいいから付き合ってくれますか?」
「あ、僕なんかでよければ勿論です」
即答してしまうぐらいに、お願いが可愛すぎた。
萌乃ちゃん先輩は目を輝かせて、ちっちゃな手で手を握ってきた。
「積木ちゃ……ううん! 洋お兄ちゃん♪ ありがとう!」
「ぐは!?」
この言葉の破壊力はヤバい。
空に言われるお兄ちゃんとはまた違う、別の良さだ。
感じたことのない幸福感に包まれ、僕は一瞬だけ別次元へと飛ばされていた。
恐るべし萌乃ちゃん先輩の言葉の力。
これからは、より気を付けないと。
「洋お兄ちゃん? おーい?」
「はっ」
「一緒に帰ろ?」
「え? あ、はい」
ギュッと手を握られたまま、仲良く話をしながら下校する僕ら。
が、最寄り駅の道中で早々に、萌乃ちゃん先輩と別れることに。
時間があっという間に過ぎた感覚だった。
まるで夢心地だ。
「バイバイー! 洋お兄ちゃん!」
「はい、また明日です」
太陽スマイルのバイバイは明日の活力になるなと、しみじみ感じた。
♢♢♢♢
帰宅車両に乗り込んでしばらく、西女の停車駅で千佳さんの姿が見えた。
千佳さんも僕の姿が見えたみたいで、乗車してすぐに隣に座ってくれた。
まずは待たせてしまったことの謝罪をしないと。
「千佳さん。お待たせして、すみませんでした」
「平気。このぐらい待てなきゃ君の隣になれないでしょ」
「えーっと……ん? いつも隣ですよね?」
「そうだね。でも、今はこの隣でいいの」
千佳さんの言う隣は、何か違うんだろうか。
いつものように柔らかな笑みで見つめてくれる千佳さんは、やっぱりつかみどころがない。
それぞれが降車駅で降り、帰路の途中で姉さんの後ろ姿が見え、声を掛けた。
「姉さん」
「ん? 洋じゃない。おかえりなさい」
「ただいま。今日は遅かったんだね」
「えぇ。友人の恋愛話に夢中で時間を忘れていたわ」
「へぇー珍しいね」
色恋沙汰がサッパリな姉さんだから、コイバナに興味ないかと思ってた。
学校での姉さんと、家の姉さんはやっぱり違うんだね。
帰宅後はいつものように姉弟仲良く夕食を済ませ、お風呂を先に頂いた。
リビングでは空が相変わらず、食い入るようにテレビを見ていた。
ただ今日は珍しく、目を細めて悩ましい声を上げている。
テレビに視線をやると生放送番組ゲストが凪景で、映画の宣伝をしてる最中だった。
「んー……気のせいかな……」
「どうしたの?」
「凪景さん、朝の生放送にも番宣で出ててね? その時は役の顔って感じだったんだよ」
「うん」
「でも、今は全く別人に見える感じ……んー……」
「言われてみれば……」
いつも見ている凪景とは違って、僕が出会った渚さんを見ている感じだった。
きっと凪景という人物を、ちゃんと割り切れたんだと思う。
「やっぱり空は観察力が鋭いんだね」
「えへへ~褒めても嬉しいだけだよ~♪ 一緒に観よ♪」
僕の胡坐に納まった空は、ゆらゆらと上機嫌に甘えてきた。
やっぱり萌乃ちゃん先輩と姿が重なって、いつも以上にほっこりと癒された。
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