第19話百合を求める眼鏡女子

 午後授業は何事もなく進み、ホームルームも終えて放課後となった。

 クラスメイト達の気の抜けた声が教室内に広がり、友達と帰ったり、部活に励みに教室を出て行ってる。

 僕も帰り支度を済ませていたら、スマホに連絡通知が入り、相手は千佳さんからだった。


《一緒に帰れる?》


 放課後のタイミングになったら連絡してくれるって、朝に言われたんだよね。

 早速返事をし掛けた時、机に強く手が置かれ、返事する手が止まった。


 寒気を催す空気、見下ろされる威圧感。

 この2つの要素を持ち合わせた人物は彼女しかいない。

 恐る恐る視線を上げた先には、やはり来亥さんが立っていた。


「な、なんでしょうか?」

「教室に残れ」

「え」

「荷物を置いてくるから勝手に帰るなよ。いいな?」

「は、はい」


 強制居残りの理由も分からないまま、来亥さんは教室を出て行った。

 癇に障るようなことに思い当たる節はないけど、朝に見たシャーペンを折る勢いの睨みつけは、間違いなく何か意味が含まれていた。

 今から怖くてしょうがない。


「つ、積っち? 来亥さんと何かあったのか?」

「そ、それが僕にもサッパリ……」

「マジか……な、なんだったら、私も一緒に残るか?」

「い、いえいえ。気持ちだけ貰っておきます」


 愛実さんまで巻き込むにはいかないし、これは僕の問題だ。

 何が待ち受けているかは皆目見当もつかないけれども、無断で帰る勇気もないんだ。


「じゃ、じゃあ気を付けてな?」

「ありがとうございます。何かあれば連絡しますね」

「っ! おぅ! いつでも積っちの力になるからな!」


 上機嫌で元気満タンな愛実さんは、大きく手を振りながら去って行った。

 本当に人思いで優しくて、愛実さんには頭が上がらないや。

 心がポカポカ温まる中で、右肩をちょんちょんと突かれ、峰子さんがジーっと僕を見ていた。


「洋。緊張の和らぐツボを押すから、手を借りたい」

「助かります峰子さん」


 心地の良いツボ押しに軽く強張っていた体が解れ、だいぶ楽になった気がした。

 峰子さんの寛大な気遣いを見習わないと。


「これで大丈夫だ。まだ緊張するようだったら、さっきの場所を自分で押してくれ」

「はい。何から何までありがとうございます」

「ん。じゃあ、私は帰るよ」


 去り際に頭を撫でてくれ、どこまでも姉御肌な峰子さんにひたすらに感謝をした。

 そんなこんなしている内に、教室内の生徒は数人だけになり、来亥さんが来る頃には2人きりなのは確定だ。


「……あ、千佳さんに連絡しないと……」


 せっかく千佳さんの方から連絡してくれたけど、今回は一緒に帰れないと伝えよう。

 急用が出来たと伝えて早々、千佳さんから秒で返事が来た。


《君の為に待ってる》

「千佳さん……早く行かないと、もっと待たせ」

「独り言か」

「ひょ?! く、来亥さん!?」


 急に戻ってきたから、変な声が出てしまった。

 先程以上の圧に、眼鏡越しの眼力が恐ろしすぎて、僕は自然と緊張の和らぐツボを連打していた。

 緊張よ、どうかなくなって下さい。


「手の動きが鬱陶しい。今すぐやめろ」

「は、はい!」


 ごめんなさい峰子さん、僕は来亥さんの前では、従順な子犬に成り果ててしまいます。


 そんな来亥さんにじわじわと壁際へと追い詰められ、逃げ場が完全になくなっていた。

 無言の圧力が何よりも怖い。

 どうか神様、僕を生かして帰して下さい。


「積木。お前は何故、私の邪魔をする」

「な、何のことですか?!」

「とぼけるな。私は今な……百合を学んでんだ」

「ゆ、ユリ?」


 花の話と、僕がどう関連付けられているのか、さっぱり分からない。

 来亥さんの見上げる眼光が未だかつてない程に、怒りに満ち溢れていた。


「今日なんか特に酷かった! あれはただのくそハーレムじゃねぇか!」

「ほ、本当に何を言ってるんですか?」

「鈍感系とか古いんだよ! いつの時代に生きてんだお前は!」


 ハーレムやら鈍感系だとか言われても、全くそんな自覚はないんですけど。


 きっとこうやって怒っているのは、来亥さんが漫画題材集めの為に、ありとあらゆる情景に眼光を光らせ、インプットしている事に関係してる筈だ。


 とにかく今言えるのは、私の情景収集を邪魔したお前は悪だ、ということになる。

 確実に制裁が下されるのは目に見えている。


「瓦子とその友人らのキャッキャウフフなやり取りを奪いやがって……許さん。絶対に許さん!」


 今までの場合、休み時間になれば愛実さんの周りに友人達が集まっていた。

 ただ、今日は愛実さんが僕にずっと話し掛けてくれ、昼休みを除いて友人達は一度も来なかった。


 何故こうなったかは分からないけど、来亥さんにとっては死活問題だったんだ。

 

 だから僕の出来る事は謝罪のみ、でないと事は治まらない。


「ご、ごめんなさい! 全面的に僕が悪かったです!」

「謝罪は求めていない」

「じゃ、じゃあ僕は何を?」

「今から言う、条件を呑め」

「じょ、条件ですか……」


 3年間の高校生活を捧げ来亥さんの使い走りになる、だったらどうしよう。

 まだ詰んでいる方がマシに思えてきた。


「常日頃、お前の話に聞く耳を立てていると、異性とかなり交流がある事が分かった」

「え」


 体質的に詰んでしまうから異性との交流は確かに多い。

 けど、改めて来亥さんから言われて、物凄く嫌な予感がしていた。


「そこでだ。お前の交流を最大限に生かし、キャッキャウフフな百合展開を私に報告しろ」

「な!?」


 嫌な予感が見事なまでに的中してしまった。

 しかもキャッキャウフフな展開の事が、花のユリじゃない百合だってことを今更ながら理解した。

 

 だからと言ってどうする事も出来ずにいる僕に、来亥さんは自分のスマホを向けてきた。


「おら。さっさと連絡先教えろ」

「は、はい」


 逆らえる筈もなく、意のままにスマホを向け連絡先を交換。

 これでもう逃げられない。


 絶望を心で噛みしめてる中、スマホに連絡通知が。

 相手はなんと、今目の前で眉間にしわを寄せてる来亥さんだ。

 きっと、連絡を絶った暁には人生終わらせてやる、とか書いてありそうだ。

 恐る恐る内容を確認した僕は、衝撃の内容に目を疑った。



《来亥六華だよ♪ 改めてよろしくだよ♪ 積木君♪》


「……何かの冗談ですか?」

「あ? 普通の挨拶だろ」


 目の前にいる本人と、スマホ越しの貴方が同一人物だと、一体誰が納得できるだろうか。


 現実じゃ控えめな性格だけど、SNSじゃ真逆の性格になるのはよく聞く話だ。

 けれども、来亥さんの場合は当てはまらない。

 だって両方クセが強すぎて、僕の脳が理解したがらないんだ。


「いいか積木。少しでも百合展開があれば忘れん内に報告しろ。私はいつもお前を見張ってるからな」

「い、イエスマム……」

「分かればいい。用件は済んだ、さっさと帰れ」


 足早に去った来亥さんを見送り、教室にポツンと残された僕は、緊張の糸が切れた。


 数分の出来事だったのに、数日分の疲労が凝縮されていた感覚だった。

 連絡先を交換した以上、来亥さんの手から逃れられないと今更になって実感した。


 そんな静かになった教室内にスマホが鳴り、相手は来亥さんだった。


《今日は付き合ってくれてありがとう♪ 私のわがままも聞いてくれて本当に嬉しかったよ♪ これからもよろしくね♪ 六華♪》

「……よろしく……お願いします……」


 1人きりになった教室で僕は、スマホに向かってただただ頭を下げるしかなかった。

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