第16話 人気女優の隠れたい理由、ツボ押しの姉御女子

 まさか今目の前にいる方が、怪演新人女優の凪景さんだったなんて、一体誰が予想できただろう。

 僕自身、こうして初めて芸能人と会ったのだけど、凪景さんがここまで隠れたい理由を聞いても平気なんだろうか。

 ダメもとで聞いてみて、もし拒絶されたら素直に引き下がって謝罪しよう。


「あの……どうして北高近くに?」

「ここらで夏ドラマの撮影してんのよ。その北高ってとこも、撮影現場になる筈よ」

「ほんとですか?! 凪景さんが北高に……」

「あほ面ね……それに、凪景は芸名よ。本名はなぎさ景奈けいな


 世間一般で本名公表していないのに、ここで軽々しくカミングアウトしてるよ、この人。


「い、いいんですか? 色々と一般人の僕に教えて?」

「君、そんな言いふらす感じしないし。そもそも、この芸名って好きじゃないから、渚って呼んで頂戴」


 軽く不機嫌になった渚さんは、まっすぐ遠い目で頬杖をついた。

 もしかして今こうして隠れてるのも、凪景であることに関連してるのかも。

 僕なんかが聞いても相手にされなさそうだけど、話を聞くぐらいは出来る。


「……あ、あの……現場で何かあったんですか?」

「なんでそう思う訳」

「げ、芸名呼びされたくなさそうですし、あの高い塀を飛び越えてましたし……ここにいる理由もあるんで、なんとなくです」

「ふーん……まぁ、そうかもね」


 決して視線を合わせず、小さな溜息をついた渚さんは、肩の力が少し抜けているようにも見えた。


「……君は、私が芸能界に入った理由を知ってるかしら」

「り、理由ですか? んー……知らないです」

「まぁ、そんなものよね」


 気付いた時には渚さんが芸能界で活躍してたから、わざわざ理由をさかのぼらなくても、僕はいいと思ってる。

 でも、今の渚さんがこうなってるのは、芸能界に入ったのが原因なのかもしれない。


「その……知らないんで、どんな風に入ったか教えくれますか?」

「えぇ……私がアナタぐらいの時、1人でブラブラしてるところを事務所にスカウトされたのよ。軽い気持ちで入ってからはオーディションも運良く合格し続けたわ。色んな媒体での露出も増えて、その度注目されて今があるわ……怖いぐらいに、とんとん拍子よね」

「そうですね」


 話を聞く限りだと、成功者の道をまっしぐらに進んで、人生謳歌してる感じだ。


「でも、それって私じゃなくて、凪景の人生なのよ」


 そうか、そういうことなんだ。

 渚さんはどんな時でも凪景を演じなければいけない、凪景が切っても切り離せない中で過ごしているんだ。

 SNSやテレビで皆が見ているのは、当たり前だけど怪演新人女優の凪景だ。

 そんな一般人の僕らの期待にずっと応え続けるのって、とても大変で重荷だ。

 しかも一つ間違えれば、皆が敵に回ってしまうのが芸能界だろうから、余計に神経をすり減らしてる筈。


「何をしてもどこにいても、凪景が私に纏わりついて……もう凪景でいたくないのよ!」


 声を張り上げる程、渚さんは凪景と離れたい、それが本心なんだ。

 一度芸能界に入れば、引退してもどこかで指を刺されて芸名呼びをされ続ける、それは確かに苦しくて呪いみたいになってる。

 どうにかプライベートとハッキリ区切りを付けたとしても、必ずどこかで凪景が姿を見せるのだから、拒絶したくなるのも無理はないと思う。


 僕の今までの渚さんの認識は、当たり前だけど凪景という女優として見えていた。

 こうして話を聞けた今は、渚さんには本当に悪いことしてしまったと、痛感している。


「ごめんなさい、感情的になり過ぎたわ……こんなこと、芸能界目指してる人が聞いたら、非難に罵詈雑言が殺到しそうね」

「そんなことないです」

「……何でかしら」

「良い所だけしか見ないで、中身まで知ろうとしない人が世の中の大半ですから。そのことを改めて渚さんが教えてくれました」


 さっきまでの僕がそうだったんだ、ちゃんと反省しないといけない。

 勝手な印象でその人を決めつけてしまう、それを多くの人が無自覚でやっている。

 芸能人なら人一倍、そんな外面だけの印象付けの格差が激しくなっているんだ。

 だから保身的になるのも無理はないんだ。


 結局のところ自分は自分で守るしかない、そんな思いが渚さんや芸能人は強い筈だ。


「……君って変な人ね。私がこんな女だって、ガッカリはしてるでしょ? それに良い所は見つからなかったわよね」

「あります。沢山の人を笑顔にしてくれている事実には、変わりないと思ってます」

「笑顔……」

「演技も表情も渚さんにしか出せませんし、凪景の代わりもいません」


 切り離せなくても、いくら否定しても、人を幸せにしてくれる事実は確かなんだ。


 愛実さんも凪景の話をしてる時、とてもウキウキで楽しそうで、幸せな笑顔だったんだ。

 僕の妹の空も、画面越しで凪景に憧れて、自分磨きをするようになって毎日が笑顔で楽しそうなんだ。


 結局女優の凪景も、渚さんがいなくては成り立たない理想の人物に過ぎないんだ。


「はぁー……私が休憩時間に逃げ出したのが馬鹿馬鹿しいみたいじゃない……」

「す、すみません」

「何で謝るのよ。たく……現場に戻るわ」


 ひょいっと身軽に降り、スカートを手で払う渚さん。

 よくよく改めても数歳年上なのに、僕ら高校生と違和感ないぐらいに制服姿が馴染んでいる。


 ツインテールのウィッグを被り直した渚さんは、僕に大きな目を向けながら距離を縮めてきた。

 まじまじと見て思う、きめ細かな綺麗な肌に、それぞれバランスの取れている顔のパーツが、この渚さんであり凪景なのだと。


 それにしても美しすぎて、逆に目が離せなくて、目に焼き付いてしまう。


「アンタの名前」

「……え?」

「一応感謝してんだから、名前ぐらい教えなさいよ」


 渚さんが僕の名前を知りたがってるだと。

 ただ隠れ場所まで連れてきて、率直な意見を伝えてただけなのに、こんな機会は滅多にないだろうし名前ぐらい別に大丈夫か。


「つ、積木洋です」

「つみきよう……積木洋……覚えたわ。いい、積木洋」

「は、はい」

「くれぐれも本名で私の事、呼ぶんじゃないわよ」

「肝に銘じておきます」

「そ……じゃあ、ありがと」


 渚さんは来た道を戻り、後ろ姿のまま軽く手を振ってくれていた。

 朝から濃密な時間を過ごしたけれども、時間を確認したら校門の閉まるギリギリの時間帯だった。


♢♢♢♢


 駆け足で北高へと向かい、校門の閉じる数分前までには着く事が出来た。

 軽く息を整えながら二階まで上がり、1-Bクラスの教室の扉を静かに開くと、教室内は僕以外の生徒が全員揃い、ちょっと恥ずかしかった。


 それはそうと、いつもなら自分の机に突っ伏している愛実さんが、今日は起きていた。

 僕が来たのにもすぐ気付いて、わざわざ後ろ向きに座り直して、満面の笑顔見せてくれた。


「よ! おはようーさん! 積っち!」

「お、おはようございます、愛実さん」

「今日は随分と遅かったな? 寝坊か?」

「まぁ、ちょっと色々ありまして」


 いくら愛実さんであっても、渚さんと出会ったことは口外できない。

 ドラマ撮影のネタバレにでもなれば、瞬く間に校内中に広がってパニックになるかもしれない。

 口を滑らせたのが僕だってバレるのも時間の問題だし、バレれば今後顰蹙ひんしゅくを買って高校生活を送るだろうから、余計に言えない。


 そんな僕の曖昧な態度が気に食わなかったのか、愛実さんは頬を膨らませて拗ね顔になった。


「むぅ……」

「洋、遅刻ギリギリなんてらしくないな。昨日は眠れなかったのか?」

「峰子さん。別にそうではないんですけど……」

「……その自覚がないだけかもしれない。洋、少し手を借りるからな」


 峰子さんに手を取られ、僕より大きな手でツボ押しを始めた。

 絶妙な押し加減に、じわじわと体が温まるのを実感できてる。


「ほぁ……じょ、上手ですね」

「よく両親にやってるんだ。今のは睡眠の質を高めるツボなんだ」


 流石峰子さんだ、こんな僕にでも平等に接してくれる姉御肌に感服の一言だ。


 ツボ押しを終えてからはツボの位置を丁寧に教えてくれ、アフターフォローも抜かりなかった。


「ありがとうございます、峰子さん」

「私がしたかっただけだから。ただ授業中に寝たらダメだからな」

「了解です」


 惚れ惚れする人柄に浸りながら、椅子の向きを直し、正面を向いた。

 愛実さんが僕の机で突っ伏したまま、うずうずと視線を向けて、何か思い立った顔に。


「そうだ!」

「?」

「積っち積っち! 私、ストレッチなら一緒に出来るぞ!」

「いいですねストレッチ。でも予鈴鳴ったので、またの機会で」

「そ、そうだな。くぅ……」


 キュッと目を閉じて、なんだか悔しそうなまま正面を向いて戻った愛実さん。

 ストレッチは運動に効果的だし、眠る前にしてもいいって聞くから是非とも教えて貰いたいな。


 朝から色んな事があるなと、ツボ押し効果も相まって眠くなってきた束の間。

 重く突き刺さる視線が、右斜め上の席から感じ、恐る恐る確認した。


「ひぃ?!」


 思わず声を上げてしまったのも無理はない。

 だって来亥さんが凄まじい眼力で僕を見ながら、シャーペンを握り潰そうとしていたんだ。

 間違いなく僕に向けられてるし、この握っているシャーペンはお前だ、と無言で訴えているようにも見える。


 何もしていないのに、どうして睨まれるのかが分からない。

 理由が分からないままモヤモヤ状態でホームルームが始まり、授業中もモヤモヤが消える事は無かった。

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