リザードマン
水下 心
トカゲ病
男は、巨大なトカゲ達をじっと眺めていた。
そのトカゲ達は、平均して全長が一・七メートルほどで尻尾がない。その代わり、名字と名前が記された名札を首から提げていた。正確には、それはトカゲではない。骨格が歪み、筋肉が衰弱し、腱が最早その機能を果たさなくなった、人間の成れの果てである。
リザードマン症候群、それはウイルス感染性の流行病であった。罹患した者の肉体を著しく弱体化し、自力での移動を不可能としてしまう病である。
この病に罹った者は、まず背中が大きく曲がり、うつ伏せのまま身動きが取れなくなる。次第に骨格が歪み始め、最終的には、全身がスライムのように軟化し、身体全体が重力により上から押しつぶされる。前後に長い流線型へと変形したその頭部は、トカゲの容貌と酷似していた。そのため、その病は一般にトカゲ病と呼ばれるようになった。
ここはトカゲ病患者の収容施設である。唐突な流行病に対応するべく、三ヶ月前に突貫で用意された隔離用の施設であった。ここに収容される患者の内、若年から中年の男性が実に全体の八割を占めている。
彼らの多くが元は会社員であり、勤務中に感染したものと考えられている。感染者の属性に偏りがある原因には、過労による免疫力の低下が理由として挙げられている。
男は、収容施設の職員であり、夜間見回り業務の最中であった。収容施設の職員は、トカゲ病に感染することはない。一般の者には接種できないほど高価な予防ワクチンを、施設で働くに当たって接種している為である。忽ち、格子越しに一匹のトカゲに男の目が留まった。そのトカゲは、まだ人間であるかのように啜り泣いていた。
「どうした、もう寝る時間だぞ」
男が声を掛けると、トカゲは嗚咽を止めて応じた。
「すみません、喧しかったでしょうか」
文字通り腰が低いトカゲの様子に、男は少し興が湧いた。
「いや、構わない。少し話さないか」
「私の話で良ければ」
トカゲは、つい一週間前に収容されてきたそうである。なるほど、まだ話す、泣くといった身体機能が生きているのもそのためか、と男は納得した。トカゲ病に罹患して二、三週間ほど経過すると、筋力の衰退によりこれらの機能が失われてしまうのである。
トカゲには家族があった。妻と娘を持つ中年の一会社員であった。
「しかし、私は家族と話すことはおろか、最早一目見ることすら叶いません」
「それが悲しいのか」
「どうなんでしょうね?私にはもう何も分かりません。私は家族を養うべく働いてきた筈だった。それがある日を境に何にもなくなってしまった。私の人生はなんだったのでしょうね?」
「さあな」
「私にとっては、最早何事もどうでもいいんです。始めは不運な自身の運命を呪いました。しかし、人間としての尊厳を失った私にとって、全ての物に存在価値がない。私の家族がどこで野垂れ死のうが、私は興味を示さない」
「じゃあなんで泣いてたんだ」
「憎いんです、なにもかもが。感染しないあなたが憎い。私を遠ざけてのうのうと生き延びる私の家族が憎い。社会が、憎くて仕方がない」
トカゲは、覇気のない低い声で言った。
「私は、全ての人間が平等であることを望みます。わたしと同じように、その存在意義を平等に失って欲しいのです」
「そうか」
「あなたは、憎くないんですか」
「どういうことだ」
「とぼけないでください」
男は、自身の憎しみに気がついていなかったわけではない。世間で、施設職員やトカゲ病患者がどのように扱われているか、男は身を以て知っていた。
自己責任だ、感染予備軍だ、奴らに近づくな、などといった言葉があらゆる場面で彼らに投げかけられていた。ニュース番組がトカゲ病の症状や感染対策を面白可笑しく報道していた。
電車内で背筋が曲がっているサラリーマンの写真がネット上に晒し上げられ、本人は周囲の人間からのバッシングを苦に自殺した。
安全圏から、収容施設は人権侵害だと宣う者もいた。真に受けて施設職員へのリンチを実行した者を、どこぞの大学の教授だかが賞賛した。
男は、去来した痛みを飲み込んだ。
「まあ、仕方ないだろ、俺達はこういう役割なんだから」
そんな偽りの言葉は、しかし、トカゲの溜飲を下げるには十分であった。
「取り乱して済みません、少し落ち着きました」
「いや、いい。時々話さないとお前達が人間だって忘れてしまうからな」
二ヶ月後、男と話し込んだトカゲは死んだ。その頃になると、ウイルスは変異し、属性を問わずあらゆる者がトカゲ病に感染するようになった。連動して、施設職員やトカゲ病患者への迫害は嘘のように消え去った。男には、この変化は大変グロテスクなものに感じられた。男は、患者と話さなくなった。代わりに、死に絶えるトカゲ達に、暗い快楽を感じるようになった。
リザードマン 水下 心 @sasashita
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