第三話 伝説の災厄をもたらす黒竜①
王都の遥か北にある黒竜山脈の中でも、ひときわ高い山の中腹にある洞窟の中には、かつて王国に災いをもたらしたと言われる漆黒の竜が長い眠りについていた。その黒竜は結界が消失したことで、感じ取ることができるようになった気配により目を覚ました。
「この気配は……。我の番の気配ではないのか? この方向は王国の……」
黒竜が永いこと待ち望んでいた番の気配。それは遥か南にある王都の方角を指し示していた。そちらの方へ意識を集中させると、先ほどよりもはっきりとした形で番の気配を感じ取ることができた。
「まさか、あのゴミのような結界の中に隠しておったか。まったく、忌々しい人間どもめ」
彼にとって、王都にある結界など取るに足らないものであったのだが、その結界をよもや番の気配を隠すために使っていたとは流石の彼も予想すらしていなかった。しかし、その結界が消失した今、彼には番の気配をありありと感じ取ることができていた。
「だがしかし……。ついに、ついに見つけたぞ。我が番よ。すぐに我が迎えに行ってやろう。楽しみに待っておるがよい」
巨大な漆黒の翼をはためかせて、周りの木々を暴力的な風圧によってなぎ倒しながら、彼は大空へと舞い上がる。そして番の気配のある方向に照準を定めると猛スピードで飛行を始めた。しかしながら、黒竜の眠っていた山は王都から最寄りの街ですら、馬車で五日はかかる距離である。いくら彼のスピードが速かったとしても、丸一日はかかる。そんな無謀な距離を飛んでいこうとしている彼の隣に一匹の竜がやってきた。
「誰かと思えばファーじゃないか。目覚めたなら連絡くらいくれよ」
「エミルか。そんなことを言っている場合ではないのだ。我の番となるものが見つかったのだぞ」
仲間の竜であるエミルこと銀龍エミリアル・ストームが、彼に声を掛けてきた。しかし、番のことしか頭にない彼は、煩わしそうに答える。
「それはまた……。でも、そんな調子で大丈夫なのかい? ずっと寝てて何も食べてないんじゃないのか?」
「大丈夫だ、問題ない」
「そうか……。それじゃあ、頑張ってな」
そう言って、別れようとした直後、黒竜は突然失速して地面へと墜落していく。
「まったく、世話が焼けるぜ」
そう言って、エミルは黒竜を下から支えながら、地面へと軟着陸した。その衝撃に意識を取り戻したのか、黒竜がエミルに問いかける。
「我は……。意識を失ったのか? 空腹で……?」
「そうだ。まったく、相変わらず世話が焼けるな。それで、本当に大丈夫なのか?」
「すまぬ。一番いい肉を頼む……」
エミルはやれやれと言った様子で飛び立つと、強い魔物を探し始めた。ほどなくして、彼の目の前には狩られたばかりの角竜の死体が置かれた。それを見た瞬間、黒竜はわき目もふらず貪り、その様子をエミルは微笑ましい顔をして見守っていた。
「焦らなくても、肉は逃げないぞ」
「肉は逃げなくても番は逃げるかもしれないじゃないか」
「やれやれ、お前をそこまでご執心にするヤツがいるなんてな……。ちゃんと俺にも紹介してくれよな」
「……断る」
「えぇー、肉を取ってきてあげたじゃん。別に取ったりしないって」
「見せるだけだからな」
そう言って再び角竜を貪り始める。その姿にエミルはたまらなく興味を惹かれる。そもそも、寿命が長く、敵もほとんどいない彼らにとって、普段は非常に退屈なものだった。それだけに恋愛話には食い付くヤツが多い。今のところ知っているのはエミルだけだが、これが広まったら大勢の竜たちが押しかけて来るに違いない。その時に黒竜がどういう反応を示すか、エミルの興味は尽きない。
「助かった。これで我の番を迎えに行ける」
「頑張ってこいよ。みんな楽しみに待ってるからな」
「大きなお世話だ……」
黒竜は憮然とした表情で大空に飛び立つと、再び王都へと向かった。
翌日、王都は巨大な黒い影に覆われていた。王都の人々は恐怖と混乱から、我先にと避難しようと走り回っていた。そんな王都の様子を国王リチャード・フォン・イリアスは城の上から静かに見下ろしていた。そして、一度目を瞑ってから黒竜を仰ぎ見る。
「こんな時に結界が消失するとは……。ロベルト大司教は何をやっておるのだ」
「恐れながら、ロベルト大司教は豊穣の儀式のために王都の外に出ております。それに、結界では黒竜を追い返すことは難しいかと……」
「分かっておる。まったく、こんな時に……。使えぬ男よ」
国王はままならぬ状況に、ただため息を吐くことしかできなかった。
一方、王都の上空に到着した黒竜は困惑していた。
「いない、だと? どういうことだ……」
確かに結界はきれいさっぱり無くなっている。しかし、王都にいるはずの番の気配を探るために旋回しながら探っていても、南の方に気配を感じるだけだった。
「ここにいない? まさか、さらに南にいると言うのか……」
突然感じ取ることのできた番の気配から、結界の張られていた王都にいるものと思い込んでいた黒竜は少しだけ動揺したが、同時に王国が番を自分から引き離そうとしていると考えていた。
「ぐぬぬぬ。許せぬ、許せぬぞ。このような矮小な国の分際で、我と番を引き離そうとは……」
怒りの感情が覇気となって黒竜の身体からにじみ出る。それは王都にいる人々を畏怖させ、震え上がらせるばかりではなかった。結界が消失したことを好機と見て王都を襲撃しようとした魔物たちすらも怯えて逃げ出すほどのものであった。
「ふん、まずは番を見つけることが先決だ。命拾いしたな、矮小なる者どもよ」
迷惑極まりない怒りを撒き散らして気が済んだのか、黒竜は王都の上空を南へと飛び去って行った。
その様子を見ていた国王は、いまだ震える身体に鞭を打って近くに控えていた宰相に話しかける。
「黒竜──あの災厄は何もせずに飛び去って行ったようだな。これは結界によるものではないのか?」
「恐れながら陛下。大司教からの報告によれば、聖女の不調により、結界の修復に失敗したと報告が上がっております」
「ふん、どうだかな。あの災厄すらも撃退しておるのだぞ。結界以外に何があると言うのだ。まったく、あのタヌキめが……」
国王は忌々しいメガネ男の姿を思い浮かべながら苛立ちを募らせていた。
「どういうことでしょうか、陛下」
「簡単な話だ。結界の修復には成功していたのだ。しかも、遥かに強力な形でな。だが、その聖女の力が我らに知られれば、我らが聖女を囲い込むと思ったのだろう。だから失敗したという報告を上げて時間稼ぎをしたのだ。相変わらず食えないヤツだ」
「な、なるほど。それでは王宮に呼びつけて隠匿したことに対する罰を与えると」
宰相の言葉に、国王は不満そうに鼻息を荒くして拳を固く握りしめる。
「ふん、そんなことする訳がなかろう。経緯はどうあれ黒竜を退けたのだぞ。それに見合った褒賞を与えねば、他の臣下に示しがつかぬわ。よいな、大司教と聖女が戻り次第、彼らを速やかに捕獲せよ。そして、王宮へと連れてくるのだ」
「はっ、御意に」
国王の命令に宰相は跪くと、そのまま国王の元を去った。
「さて、ロベルトよ。お前がいくら聖女を匿おうとも、ワシらから逃れられるとは思わないことだ……」
国王は獰猛な笑みを浮かべながら、黒竜の飛び去った方向を見つめていた。
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