第二話 結界? 最初からありませんでしたよね①

 聖女召喚からの怒涛の一日を乗り越えた翌日、まだ日が昇りきっていない時間にも関わらず、ロベルトが僕の部屋へと押し掛けてきた。


「聖女様、本日はさっそく結界の修復を行いますよ」

「ふあぁぁぁ。えっ、まだ朝じゃないか」

「ええ、朝ですよ。普通の人は起きる時間です、普通の人はね。そう言うことなので、さっさと準備してください」

「聖女だから、普通じゃないんですよぉ……。わっ、な、何をするんだよ」


 僕が華麗に二度寝の準備に入ろうとした瞬間、布団を引きはがされてベッドから引きずり出された。引きずり出したのがロベルトであれば、セクハラと訴えるところなんだけど、それをしたのは、黒髪黒目でキリッとした雰囲気のメイド服を着た少女だった。


「まったく……。聖女様の考えていることはお見通しなんですよ。どうせ、俺が強引に起こそうとしたら、セクハラとか言うつもりだったんでしょう?」

「昨日、色々と大変だったんだし、今日くらい遅くまで寝かせてくれてもいいじゃないか。それより、彼女は何なの?」


 僕は、幸せな睡眠を華麗に妨害してくれた女性を指差して、ロベルトに尋ねた。


「彼女は聖女付の神官ですよ。そんな格好をしていますけど、こう見えて優秀な神官です。俺ほどじゃありませんけど、一通りは何でもできるはずです。もちろん、侍女の仕事も問題ありません」

「本日より聖女付の神官に任命されました、ミーナと申します。なにとぞよろしくお願いいたします。神官としては大司教にはわずかに及びません。しかし、侍女としては、大司教より遥かに優秀でございます」


 どうやら、ミーナはロベルトが自分を見下していることに腹を立てていたようで、軽く意趣返しをしていた。もちろん、言われなくてもロベルトが侍女としての仕事など全くできないことは想像がついていたので、驚くような話ではない。むしろ、自分の仕事に誇りを持っているという点では好ましいとさえ言える。


「わかりました。ご存知かと思いますが、聖女のユーリです。色々と大変なこともあるかと思いますが、よろしくお願いします」


 僕とミーナが固い握手を交わす。それを見ていたロベルトが不満そうに唇を尖らせていた。どうやら、僕とミーナがすぐに打ち解けたことに嫉妬しているように見える。


「まあいいでしょう。起きたなら急いで準備してください」

「えーっと、何の準備?」

「俺の話聞いてました? 結界の修復をするんですよ。結果を出すんです。処刑されてもいいんですか?」


 ロベルトが嫌味まじりに言ってくる。というか、さらっと処刑とか言うなよ。ミーナも引いてるじゃないか。そんな感じだから警戒されるんだよ。


「……まあ、もう何も言いませんよ。ミーナさん、準備のお手伝いをお願いしますね。終わりましたら声を掛けてください。俺の方も準備を進めておきますので」

「かしこまりました。大司教」


 そう言ってミーナは、ロベルトに恭しく頭を下げた。彼が部屋から出ていくと、僕の方に向き直った。


「やっと行きましたか。ユーリ様、ご苦労様でした。あれの相手は大変だったでしょう。それでは準備をしますね」


 ミーナも内心ではロベルトのことを快くは思っていないようだ。まあ、上司と部下という関係では仕方ないのかもしれないな。などと思っている間に、ミーナは僕に次々と法衣を着せていく。


「えっと、まだ着るの?」

「はい、まだ半分も着ていませんよ」

「いやいや、多すぎじゃない? なんで、こんなに着なきゃいけないんだよ」


 僕は着る法衣のあまりの多さに、思わずツッコミを入れてしまった。その間にもミーナは僕に法衣を着せていた。だけど、僕が不満を言ったことを気にかけてくれたのか、一冊の書物を差し出してきた。


「こちらは、結界修復の儀式における文献をまとめたものとなります」

「なるほど、ここに法衣も書かれているっていうことか」


 僕は文献をパラパラと見る。そこには結界修復に着用する様々な法衣が描かれていた。それらは全て、僕が着せてもらっている法衣だった。


「そうなんだけど……。この法衣、時代が違うよね」


 そう、確かに全て結界修復の儀式の衣装なんだけど、どれも文献の時代が違う。最初の方に着たものは千年以上昔の文献のものだった。


「はい、ですが……。結界修復の歴史は古く、我々には何が正しいのか分からなくなっていたのです。それを大司教が過去の文献を整理してまとめたのが、こちらなのですが、どの文献も内容がバラバラでして、学者の間でも意見が割れておりました」


 どうやら学者たちは、自分の派閥の権威を高めるために、それぞれ別の法衣が正統であると主張したようだ。そこには、どうせ誰も正解などわからないのだから、自分たちの主張を否定することもできないだろう。そんな浅はかな考えが見え隠れしていた。


「そんな中、大司教は『この文献は全て正しい。だから、全て着るのが正統だ』と仰られたのです。お互い主張はすれど、長年にわたって結論が出せないことに疲弊してきた学者たちは、自分たちの主張が否定されないことから、大司教の提案を受け入れたのです」


 その結果として、僕は何十枚もの法衣を着る羽目になってるんだよね。ロベルトは上手くやったと思ってるんだろうけど、土下座して謝罪してもいいレベルだ。そうこうしているうちに着替えも終わったが、そこで僕は新たな問題に直面する。


「う、動けないんだけど……」


 あまりの服の重さに、足をプルプルさせながら立つのがやっとだった。身動きのできない僕に代わって、ミーナが外で待機しているはずのロベルトに声を掛けると、すぐに中に入ってきた。何故か手に台車を持って。


「いかがですか、教会の歴史と伝統の重みは、緊張で足が震えているではありませんか」

 身動きのできない僕に、ロベルトはナチュラルに嫌味を言ってくる。

「こうなった原因はロベルトのせいじゃないですか。これじゃあ動けませんので儀式はできませんよ。まあ、仕方ないですよね」


 僕は動けないことを理由に儀式ができないと主張したが、彼はおもむろに台車を組み立て、僕を台車に乗せると後ろから押していく。


「ちょっと、何をやってるんですか」

「いえ、聖女様を儀式の会場にお送りしているのですよ」


 さも当然のように台車を押していくロベルトを睨みつけるが、動じることなく淡々と儀式へと向かっていく。このままでは僕が儀式をしなければいけなくなってしまう。それだけは何とか回避したいが、回避どころか身動きできない状態ではどうしようもなかった。


「随分手慣れてますよね」

「それは前の聖女様も、歴史と伝統の重さに耐えかねて、こうして私が送って差し上げましたからね」

「どう考えても、歴史と伝統の無駄に積み重なった法衣の重さに耐えきれない、とでも言ったんでしょ」

「……どうでしょうかね」


 ロベルトはあくまで惚けるつもりらしい。これ以上は言っても無駄だと思った僕は大人しくすることにした。その間も台車は廊下を進んで下り階段のあるところまでやってきた。


「この先、地下に入った奥の部屋に結界の宝珠があります」

「えっ、このままですか?」


 僕は台車の上から地下への階段を覗き込んだ。階段だけだと思っていたけど、よく見ると隣がスロープになっていて、二本の線のような凹みができていた。

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