第8話

「忘年会の買い出し? この部署で?」


「そ。ビンゴの景品でね。予算は大体10万」


「へ~。結構買うんですね」


 千波は食堂で、千秋と昼ごはんを食べながらそんな話をしていた。


 クリスマスが二週間後に迫る今日この頃。来週は会社の忘年会だ。


 この会社では新年会や忘年会が行われる時に、各部署で役割が割り振られる。店を決めたり買い出しをしたり。愉快な社員が多い部署だと、ちょっとした余興を行うこともある。


 今回はそれが今、千波が所属している部署らしい。


 課長の畑中がおもしろいイベントが大好きなお祭り男だから、と千秋が鼻で笑った。そんな千秋もワクワクが隠しきれていない。顔がニヤケている。


 そういえば前いた部署でも新年会や忘年会が近くなると、お局様連中が何やら忙しそうにしていた。時々、部署の隅に美容グッズや小型家電が置いてあったのを思い出す。それがなんのためなのかは、イベント当日に知ることが多かった。


「結構直近なんですね、買い出しって」


「うん。あまり長いこと会社に置いといてもね……。ねね、若名ちゃんも一緒に行こうよ」


 せっかくなら行きたい。千秋も一緒だし。


 こうしてイベントごとに携わるのは初めてだ。彼女のが移ったのか、急に楽しみになる。


 それが顔に出たのか、千秋は明るい表情で千波の腕を掴んだ。


「帰りは課長がおごってくれるよ、晩御飯。オマケで香椎も来るけど」


「……うっ」


「どうかした? 香椎と一緒は嫌?」


「……別に嫌じゃないですけど」


 千波は視線をそらしつつ、頬を爪でかく。


 大草にあんなことを言われて以来、岳のことをしょっちゅう考えるようになっていた。


 人に言われて意識するなんてらしくもない。


 なんと答えようか迷って言葉を返せずにいたが、千秋にとってはどうでもよかったらしい。というか、最初から連れて行く気満々で断るなんてありえないと思っていそうだ。


「じゃ、夕方に現地集合ね。さっさと買い物して美味しいもの食べよ」


 ”それよりこの前の合コンでさー……”と話し始めた千秋。メガネの男性とは結局うまくいかず、連絡先を交換することもなく解散したらしい。


 それは残念……、と思っていたら”もしかしたらこの先、もっといい男が待ってるかもしれない……!”と鼻息を荒くしていた。


 彼女の前向きな性格と考え方には救われるし、彼女自身のことも救っているのかもしれない。


 合コンの後日談ももっと聞きたいな。晩御飯の時にでも。千波は昼ご飯のうどんを食べ進めた。


 楽しみができたおかげで、午後からの仕事に力が入りそうだ。






 仕事が終わると千波は、千秋と共にそそくさと会社を出た。


 それぞれ車でホームセンターに向かい、空いている駐車スペースに停めた。


 ここは大きなホームセンターとスーパーが同じ敷地に建っている。


 夕方ということもあり、夕飯の買い出しを終えたらしい子供連れと何組かすれ違った。


 広い駐車場を歩いて店内に入ると、畑中と千秋が待っていた。千秋は店に近い所で車を停めることができたようだ。


 畑中はカゴを上にも下にも載せた大きなカートを引いていた。荷物持ちらしい。


「当たり前! レディに大荷物任せて何が男よ」


「……おっしゃる通りです」


 千秋のそんな強気さには畑中も頭が上がらないらしい。


 二人の謎の上下関係を笑ってから気づいた。一人足りない。


「そういえば香椎さんはどうしたんですか?」


「もうすぐ来ると思うよ。僕らで先に回っていようか」


 上司の提案で、不思議な組み合わせの三人で物色し始める。


 周りからはまさか忘年会の景品探しだとは思われないだろう。


「なんでホームセンターで景品探しなんですか?」


 ガラスのポットを遠目に見ながら問うと、畑中がカゴの中を指さした。そこには千秋がさっそく入れたフライパン三点セットが入っている。


 持ち手を外せるから洗いやすい! 保管もラク! と書いてある。千波はフライパンはもちろん持っているが、これは欲しくなる。


「あ~それはね、なんでもあるからだよ。それに結構安いじゃん。だからいいんだよね。なんか良さげなものあったらじゃんじゃん持っておいで」


 畑中にそう言われて三人は散らばり、景品に良さそうなものを探し始める。


 千波も便利なキッチングッズなどの日用品から、モコモコのスリッパやカイロなど、季節物を見つけてはカゴに入れた。


 千秋は選ぶもののセンスがいいし数も多い。だが。


「課長、これは前回もあったからダメ」


「え~……。色違いでも?」


「ダメです。言う人は言いますよ」


「は~い……」


 畑中は選んだものを千秋にちょいちょい却下されている。しょんぼりしながら棚に戻した。


 逆に千波は彼女に、"それめっちゃいい! 目の付け所がいい!"と褒められた。




 千波はゆっくり歩きながら、商品の陳列棚を眺めていた。


 日用品、消耗品、工具、自動車用品、お菓子、非常食などなど。畑中の言う通りなんでもある。


 千波は一人暮らしを始める前、ホームセンターでいろいろ買い揃えたのを思い出していた。


 自宅の近所にもホームセンターがある。引っ越したばかりの時は何度も通った。


 残業の後だと閉店間際で、おなじみの曲を聴きながら慌てて店内を回ったものだ。


(香椎さん来るの……?)


 ”いやー遅れちった!”と軽い調子で現れる彼の姿が思い浮かぶ。


 やっぱ行かなーいなんて選択をした可能性もあるかもしれない。最近の彼は外回りが多く、一日中姿を見ないこともザラにある。


 彼と一緒にいる時間が楽しいものだと感じるようになっている。当たり前の日常だ、とも。だから無くなってしまうと寂しい。


 彼女は立ち止まり、動物の形をしたクッションをモコモコとさわる。


(バカみたい、香椎さんのことでこんなこと考えるとか……)


 彼に対してそんな感情を持つようになった自分に驚いた。目を伏せ、らしくない自分に自嘲する。


 すると、隣に気配を感じた。


 隣に立った者も千波と同じようにクッションにふれる。


「何これめっちゃ手触りいいじゃん。チナ気に入った?」


「香椎さん……!?」


「遅れてごめん。タイミング悪いよな~。渋滞にはまってた」


 千波は驚いて一歩下がった。今まさに考えていた人物が隣に現れたのだから。


 岳は明るい色の頭をかきながら苦笑いを浮かべている。


「課長のカゴの中、だいぶいっぱいになってたな」


「もうほとんど選びましたよ」


 心の中での彼への思いは変わっても、態度はぶっきらぼうなまま。


 しかし、岳の態度も変わらない。気を悪くするどころかかますます笑顔になる。


「チナのセンスがいいって課長も千秋さんも褒めてたぞ。確かにいいモンばっかだったわ」


「別に……」


 褒められたのが嬉しい。だが、やっぱりそれを表に出すことはできない。


 岳は千波がさわっていた犬のクッションを持ち、彼女の頭にのせる。笑顔の彼がまぶしくて目をそらした。そんなにまっすぐ見つめられると、心臓の高鳴りを見抜かれてしまいそうだ。


 今はまだ、知られたくない。


「……なんですか」


「いや? チナにも可愛い趣味があるんだな~って。似合うよ」


 可愛い……。いや、それは趣味のこと。自分自身のことじゃない。


 反応らしい反応を返せずに押し黙っていたが、岳は気にせず笑う。


「買えば? 癒しになることない?」


「ん~……」


 千波が迷っている間に岳はそれを手にして歩いていた。


「ちょ……香椎さん……」


 確かにクッションは欲しい気もするが、自分の買い物をここでするわけには。思わず岳の腕を引いた。


 振り返った岳は驚いた顔で固まった。ちょっと嬉しそうなのが癪だ。


「チナが俺にさわった……!」


「何に感動してるんですか。そのクッション、さすがに景品にするのは……」


「何言ってんの。俺が個人的に買うんだから」


 拍子抜けした。岳が買うのに何を勘違いしたんだか。千波はスッと手をはなした。


 岳が名残惜しそうな表情をしたが、また見上げることはできない。


 彼にためらいなくふれてしまったことが恥ずかしい。




 軽い荷物は千波と千秋が持った。重いものは畑中と岳。これも千秋が決めた。


「全部僕の車に乗せよう。後で会社に行って置いてくるから」


 ホームセンターから近くに停めてある、畑中のワゴン車に荷物を運ぶ。


 小学生の息子が二人いる彼は、家族でデイキャンプに行くのが趣味らしい。店内でキャンプ用品コーナーを通った時にそう教えてくれた。だから大きな車を買ったのだと。


 先に電気ストーブ、加湿器などの小型家電を積み込んだ岳が振り向いた。千波に向かって走ってくる。


「ほら、チナ。荷物貸しな」


 彼女が持っている袋には冬に使えるグッズが入っている。


 彼の指の先が袋の持ち手にふれた。千波は思わず袋を引っ込め、首を振った。


「大丈夫です。これくらい運べますから……」


「いーから」


 結局、岳が奪い取るように袋を持った。その時に軽く指がふれ、と頬がカァッと熱くなる。


 優しくされて、指がふれてときめくなんて少女マンガみたいだ。最近、久しぶりに買った少女マンガ雑誌の主人公たちを思い出した。


 しかし彼は特に気に留めず、さっさと車へ走って戻っていく。


 それを目の前で見た千秋は視線で畑中に訴え、自分も荷物から解放された。


 試行錯誤しながら全て積み込むと、畑中は背中を伸ばした。コキッと音が鳴る。


「さて、と。どこでご飯食べようか? ファミレスでいっぱい食べる?」


「ファミレスって言っちゃってるじゃないスか……」


「いーじゃん。安くて美味しいから」


 ということでホームセンター近くのファミレスに行くことに決定し、また現地集合となった。


 岳は手の平で車の鍵を弄びながら、千波のことを横目で見つめた。


「チナ、俺の車に乗ってく?」


「結構です」


「えーなんでだよ」


「香椎に襲われたら嫌だからじゃない?」


「襲わねーよ!」


 千秋は車が少なくなった駐車場に笑い声を響かせ、自分の車へ向かった。


 来たばかりの時はオレンジだった空は、すっかり紺色に変わってしまった。閉店時間が近いからか辺りに車は少なく、愛車がよく見えた。


「車停めた場所、香椎さんと近いんですか……」


「あ、マジ? 言っとくけどたまたまだからな? 狙ってないぞ?」


「はいはい……」


 数台離れた位置に、畑中の車に負けない大きさのワゴン車が止まっている。それが香椎の愛車らしい。千秋に聞いた通りだ。


 それじゃあファミレスの駐車場で、とあいさつをして車を停めた場所に向かおうとした。


 すっかり夜だが、それでも客は何人かいる。その中にはカップルも。不意にカップルに目が行き、つい立ち止まった。


 ホームセンターから出てきた彼氏は、大きくて平たいダンボールを持っている。その横で彼女は小さなビニール袋を手に提げていた。


 千波は、彼女にほほえみかける彼氏の横顔に既視感を覚えた。


 よく見ようと目を細めた瞬間、カップルが街灯に照らされる。


「あ……」


「チナ?」


 声が出てしまった。


 先に歩いてた岳だが、千波が来ないことに気がついたのか戻ってきた。


 顔を近づけた岳が目に入らないほど、千波はカップルを食い入るように見ていた。


(空人……君)


 ついこの間、吹っ切った相手。いや……吹っ切ったはずの相手。


 彼が恋人に向けるほほえみは、千波が今まで見たものなんかよりずっと優しい。


 彼とお似合いの可愛い彼女が空人にほほえみ返す。その瞬間ガラスが割れるような、悲しく痛い音が響いた。ように感じた。


 正確には自分の恋心が砕かれた音だった。


 冷たい風が頬に容赦なく当たる。手袋をし忘れた指先が熱を失っていく。


 瞳からはじわじわと涙がこみ上げてきた。


 あの時、空人に背を向けた時には出なかった涙。それが今さら。


「……香椎さん。あたし、これで帰ります」


「えーなんで? 課長がおごってくれるのに?」


 千波は肩にかけていたバッグのひもをかけ直した。うつむいたら涙がポタッッ落ちてしまいそうだ。見られたら絶対面倒なことになる。


「……お疲れ様でした」


「っておい。理由を話していきなさい」


 涙を見られないよう、岳から離れるために早足で歩いた。


 後方確認せずに道の真ん中に入った瞬間。


「────チナ!」


 岳の叫ぶ声が聞こえたと思ったら腕をつかまれた。勢いよく引っ張られ、彼の腕の中に収まる。


 背中がぶつかり、息を呑んだ。横で車が通り過ぎていった。


 車のライトに照らされたはずなのに全く気がつかなかった。


「あっぶね……。バカチナ! ちゃんと後ろ見ろ!」


「……ごめん、なさい」


 あともう少しで事故が起きていたかもしれない。岳がいなかったらどうなっていたことか。


 今さら恐怖を感じ、体が震えた。


 岳は腕を広げると千波を解放した。珍しくいつものようなしつこい追求がない。


 彼ははわずかに腰をかがめ、千波と視線の高さを合わせようとした。


「注意力散漫になるほどのことがあったのか。大丈夫か?」


 ふるふると無言で首を振る。すぐにも声を出し、泣きそうなのをこらえるのに必死だった。


「お疲れ様です……。さっきはありがとうございました」


 頭をペコッと下げると、今度こそ彼から逃げるように立ち去った。




 千波は車の中でハンドルにもたれかけ、うなだれていた。


 岳の車の気配がなくなってから、ずっとこうしていた。


 あの後、何かを察したのか岳は無理に誘うことはしなかった。"気をつけろよ"とだけ言い、千波を帰した。畑中と千秋には岳から伝えておいてくれるらしい。


(空人君……)


 高校時代に好きで、この間心の中で別れを告げた相手。


 もう忘れたはずだった。きっと二度と、思い出さないだろうと思っていた。なのに。


 今さらになって悲しみがこみ上げてきた。これで後悔はない、と清々しい気持ちになったはずだった。


(あたし、失恋したんだ────)


 やっと気づいた。あの時の自分の状況に。フラれたのではなく、自分の中で終わらせただけの恋だけど。


 もし高校生の時に千波が自信を持っていて、空人にたくさん話しかけられるような勇気を持っていたら。今、彼の隣に立っていたのは自分だっただろうか。


 しかし、二人で並んで歩く姿をうまく想像できない。


 隣にいてほしいのは空人ではないのか。


 警備員が車に近づいてくるまで、千波の心は底知れぬ闇に沈んでいた。

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