第7話

 合コン当日。千波は赤いコンパクトカーで橋駅へ向かった。


 日曜日の昼からの約束で、一次会はおしゃれな居酒屋が会場だ。


 千波は半分憂鬱、もう半分は大草とのおしゃべりを楽しみにしていた。


 合コンの雰囲気ってどんな感じなんだろ……と、若干興味もある。


 彼女は空いているコインパーキングに車を停めると、すぐそばにあるコンビニの前へ移動した。千秋とは”一緒に店に行こう”と約束している。時々スマホを見ながら彼女を待った。


 コンビニの扉にはクリスマス仕様の飾り付けがされ、店内には小さなツリーもあった。ツリーにはコンビニのホットスナックの模型が飾り付けられている。


 千波は手袋をした手でバッグからスマホを取り出した。


 今日の彼女は明るいブラウンのコートに、中は白いニットのワンピース。頭には細身の赤いカチューシャ。


 今日も冷えるが、風がないのがいい。


 富橋は風が強い街だ。真冬に無防備で出歩くとすぐに耳が冷たくなって痛くなる。学生時代、体育の授業や登下校で何度それを経験したことか。


 今は好きな格好で寒さ対策できていい。あたたかいと気持ちも明るくなる。


「やっほー若名ちゃん」


 赤いマフラーを巻き直すと、いつもの明るい声で呼ばれて顔を上げた。


 千秋だ。片手をひらひらと振っている。


 その表情は笑顔だが、瞳は闘志が見え隠れしている。今日の合コンに力を入れているのだろう。メイクもいつもより華やかで女らしい。


「こんにちは」


 千波は苦笑いを抑えながら会釈をする。


 そこまで力まなくてもこの先輩は綺麗で素敵なのに。いつものナチュラルメイクの彼女の方が、千秋らしくて好きだ。


 千秋はそんな千波のことを、キラキラとした表情で見つめた。


「わ~どこぞのいいとこのお嬢さん!? めっちゃ可愛いじゃん。カチューシャめっちゃ似合ってる!」


「そんなに褒めても何も出しませんよ」


 苦笑いしながら千波はスマホをしまった。


 千秋は淡い緑のコートと、茶色のバックテールスカート。千波と違って上背のある彼女によく似合っている。


 うねりのあるロングの髪は、ハーフアップにして巻かれている。髪をなでた爪はグレージュに染まっていた。ゴールドのラインが走っている。


「なんか意外ですね……」


 つい本音が出てしまったが、彼女は気を悪くするどころか大口を開けて笑った。


「よく言われる! もっとガサツだと思ってたって」


 店に向かいながら、千波は車で来たことを話したらかなり残念がられた。


 千秋は弟にここまで送ってもらったらしい。


「うっそ~!? 一緒に呑めないの!?」


「はい。送り迎えしてもらう人がいないので」


 バスや電車、という手もあるがどちらも家から遠い。だから呑み会で酒を呑んだことがほとんどない。


「じゃあ今日は、送り迎えしてくれるような彼氏を見つけないとね!」


「いや~……どうしても外で呑みたいってわけじゃないですし」


 酒を呑むのは嫌いではないが、家でゆっくり呑みたい派だ。


「なんだって!? 私は若名ちゃんと呑みたいよ!」


「よかったら今度、ウチに遊びに来てください。その時に一緒に呑みましょう」


「行く! 絶対行く! また弟に送ってもらお」


 千秋はそう言って飛びついてきた。先輩にこれだけ可愛がられるのは初めてで、ちょっぴり嬉しい。


 彼女と一緒に呑んだら楽しそうだ。素面でもこんなに楽しい人だから。


 彼女だったらそのまま家に泊まってもらって、たくさん話がしたい。


 普段ならこんなこと、カヤやズッキ以外には言わない。ここ一か月ちょっとで千秋とは心の距離も縮まっている。初めての年上の友だちになるかもしれない。否、なれたらいいなと思った。


「今度忘年会があるじゃん? その日迎えに行ってあげるよ。たまには外で呑もうよ」


「弟さんですか? さすがに申し訳ないですよ……」


「あ、違う違う。香椎だよ」


「香椎さん?」


 意外な名前が出てきたせいで顔が引きつる。心臓が反応してトクン、とスイッチが入った。


 まるで彼を意識しているような反射行動に、顔が赤くなっていないか心配になる。


「ウチの部署の何人かは会社に車を置いて香椎に乗せてもらってるんだよ。アイツは一人モンのくせにデッカい車に乗ってるんだ。横溝さんもいつも一緒だよ」


「いや……大丈夫です。やっぱり悪いですよ」


「だーいじょうぶだって! アイツにそんな遠慮しなくていいよ!」


 ガハハと笑う千秋に肩をバシバシと叩かれる。


 本当はそんな理由ではないが、この心の内はまだ言えない。


 そうこうしてる間に店の前に到着した。


 店は素焼きのレンガを積み立ててできており、大通りに面した芝生にはテラス席があった。しかし、この時期だからか外には客はいない。


 店に入ると、店内も洋風な造りでおしゃれだった。ここにもクリスマスツリーが飾られている。てっぺんの星が大きくて立派だ。


 壁にはドライフラワーを額縁に張り付けて飾られている。それもシールのようにぺしゃんこにしたものではなく、立体的なままだ。


 入ってすぐの所はロビーのようになっており、暖炉まである。そこにはいくつかソファや椅子が置かれ、同じ会社の女性社員がいた。


 皆、普段見ないような恰好だ。千秋に気がつくと会釈したり、手を振った。千波に向けられたものもあり、慌ててペコッと頭を下げた。


「今日は貸し切りだって横溝さんが言ってた。あとは若いモン同士で楽しんで~って」


 はーい、と声がバラバラと返ってくる。


 扉で仕切った奥が会場のようだ。ドアの丸く切り取られた部分のガラス越しに人影が見える。


「男性陣は?」


「いい感じのイケメン揃いですよ……!」


「ケンちゃんもいた気がするんだけど」


「ちょっとあってね。それよりさっすが横溝さん!」


 彼女たちは拍手したり、手を合わせて喜んでいる。一部、見慣れた顔がいることを不思議に思っている者もいるようだが。


 これが彼氏がほしい女子たち……。千波はその雰囲気に圧倒されながら、千秋のコートを引っ張った。


「皆さん慣れてるんですか?」


「ん~かな~? 年に何回かやってるからね」


「へ~……」


「別に難しいことはないよ。楽しいしね」


 千秋は、だんだんと表情が強張ってきた千波の顔をのぞきこんだ。


「さっきから浮かない返事だね? 別に変な人はいないよ。横溝のおばちゃん、人を見る目は確かだから優良物件ばっか呼ぶよ」


 優良物件と聞いて腰が引けてきた。まさか東大卒とか若い取締役とか出世頭とか、とにかく将来有望な人を連れてくるんじゃ……。普通に生きていたら縁がなさそうな人ばかり。


 千波がとうとう押し黙ると、千秋は笑いとばした。


「若名ちゃんが想像したような人は来ないよ! 人間として優良な人のことだから」


「なるほど……。お局様みたいな妖怪とかモンスターではないわけですね」


「言うねぇ若名ちゃん。ま、おおげさに言うとそういうこと」


 ニヤッと口を真横に伸ばした千秋は、千波の腕を引っ張って奥の部屋へ連れ出した。




 扉を開けると、笑顔の男性陣に迎えられた。千波に気づいたらしい大草が手を振った。


 客席がある空間は広い造りで、テーブルが横一直線に置かれている。その左右には椅子。隅には同じデザインのテーブルと椅子が整頓して置かれていた。普段はバラけて置き、大人数の時にはこのように対応しているのだろう。


 男女で分かれて向かい合って座り、自己紹介をして。


 各自飲み物を頼み、店チョイスのアラカルトが続々と運ばれる。


 千波はガチガチに緊張していたが、時間が経つにつれて笑顔を浮かべられるようになった。


 それも大草のおかげ。 宣言通り彼は千波の隣に来た。


 他の男性陣は千秋や部署内の先輩と話している。女性陣の中には見たことがない人もいた。聞けば社内の他の部署の人らしい。横溝の世話焼きには驚かされるばかりだ。


 最初は誰かしら共通の話題を上げ、全員で話すことが多かった。しかし、酒が入って一時間が経つ頃には、気が合う者同士で話すようになっていた。席はバラけ、中には窓のそばに立って話し込んでいる者も。


 千秋はロックオンしたようで、メガネの男性の横を陣取っていた。彼の手元のグラスが空に近づくと、すぐに注文のタブレットを渡す。


 大草と千秋の行動を観察しては”すごい……”と率直な感想をつぶやいた。


 男性陣は一流企業や有名な企業で働く人ばかり。やっぱりそういう意味での優良物件だ……と腰が引けていたが、人間としてもいい人ばかりだ。笑顔やちょっとした気遣いでその人の人となりがうかがえる。きっと会社内でも好かれているだろう。


(ホント、お局様なんかと違う……)


 千波がジュースをストローで飲みながら千秋たちのことを見ていた。


 千波も男性の何人かに話しかけられたが、優しい表情をした人ばかり。しかも彼らが話す内容も楽しい。


 皆楽しそうだ。女性陣は始め、気合が入り過ぎていたが徐々にリラックスした表情を見せるようになっていた。


 自然な笑顔に惹かれる男性もいるのだろう。徐々に相手との距離が縮まったり、砕けた口調で話す者もいる。


 すると、横で大草が頬杖をついた。


「なんか僕だけ普通だね? 宅配のあんちゃんて」


「いいじゃないですか、親近感があって」


「ホント? ならいいかな~」


 彼は笑ってノンアルのビールを煽った。彼も車で来たそうだ。


「若名さんはさ、会社で千秋さんと仲良いの?」


「はい。ちょっとしたことで今の部署に来たんですけど、その時から」


「へ~。仲良くしてくれる人がいるのって嬉しいね」


「ですね」


 笑い合うと、大草はサーモンがのった皿を持ち上げた。オリーブオイルがかけられ、ハーブが添えてある。カルパッチョ風だ。千波も先ほどすすめらて食べたがおいしかった。サーモンが口の中でとろけ、噛む前になくなってしまうようだった。


「男の人は? よく話す人とかいないの?」


「いるっちゃいますけど……一方的に話しかけてくると言いますか、なんと言えばいいのか……」


 パッと岳の姿が思い浮かんだが、素直に認めたくない。


「でも嫌じゃないんでしょ?」


「え?」


 岳に話しかけられて嫌かどうかなんて、考えたことなかった。いつの間にか当たり前のことになっていたから。疑問に思うのはしょっちゅうだが。


 固まった千波に大草は笑った。サーモンを一枚口に入れると、手を組んで肘を膝に乗せた。


「言い方、嫌そうじゃないからさ。話しかけられても拒否はしてないんでしょ?」


「はぁ……?」


 まるで見たことあるかのような口ぶり。それもありえるかもしれない。彼は荷物を届けるついでに、課長の畑中と雑談しているから。


 千波は”社外の人だし……”と、ヤツの名前を出すことにした。


「香椎さんって分かります?」


 大草は当たり前のようにうなずく。やはり知っていた。


「うん、岳君ね。彼が新人の時からよく話しかけてきたよ」


「岳君って……。ケンちゃんさん、いくつなんですか? 千秋さんともタメ口で話しているし」


「僕は26。岳君は23で千秋さんは25だったかな」


「へ~。ケンちゃんさん、すごく若く見えます」


「よく言われる! ……っと、それで岳君がどうかした? よく話す人なの?」


「……そうです」


 つい、声が不服そうになり口が尖った。グラスを持つ手の力が強くなる。


 岳のことは"ほらやっぱり~"とからかわれるのが嫌で、さすがのカヤとズッキにも話せていない。


 大草には話そう、と思えたのは彼が聞き上手だからだろうか。


 いつもの千波は聞き役が多い。しかし、彼の前だと口数が増える。


「……あたしが嫌いな先輩ともだし、とにかく誰とでも仲良くできるんです。悪いことじゃないけど……。あたし、そういうところひねくれているから八方美人って思っちゃって。それにあたしに思わせぶりなこと言うの、その気がないならやめてほしいですし。からかってるだけって分かったららこっちだってイラッとするから」


 大草の体は千波と同じ方を向いているのに、顔は千波のことを見つめている。話上手な上に必要な沈黙を作ることもできる人のようだ。


 彼ははうんうん、とうなずきながら聞いていた。


「ふむふむ。……若名さん、先に言い訳させてね、男はそういうこと聞くとアドバイスしたがる生き物だから、今からムダなこと言うかもしれない。だから頭半分で聞いてもらっていい?」


 真面目な顔で言われ、千波はうなずいた。


「思わせぶりなことを言われてその気がないならやめてほしいとか、からかってるだけって思った時にイラッとしたって……案外好きなんじゃない? 岳君のこと。恋愛的な意味で」


「え゛」


 自分でも薄々気づいていた感情。押し殺す、というより向き合おうとしなかった自分の気持ち。


 岳に笑顔を向けられる度、優しい言葉をかけられる度、自分の心に花が咲く。むずがゆい気持ちになって、もう少し隣にいたいと背中を目で追いかけてしまう。


「待った。言いたいことは分かってる。絶対そんなことはない、でしょ?」


 千波が黙り込んだのを、重い否定だと勘違いしたらしい。大草は笑いながらグラスに口をつけた。


「はは。でもね、岳君のこと話してる若名さん、ちょっと楽しそうだよ」


 こんな風に分析されたのは初めてだ。なんて観察力なのだろう。


 千波の仏頂面の裏で、本人も気付こうとしなかった感情なのに。


「香椎さん……か~……」


「うんうん。適当で軽そうな男に見えるかもだけど、実際はそうじゃないよ」


「……それ、友だちにも言われました」


「雰囲気の奥かな~。確かに雰囲気だけだと"コイツ……"って思うけど。でもその先を見ると"コイツ信用できそうだな"って分かるよ」


 大草はグラスにビールを注ぐと、ビンを静かに置いて千波に笑いかけた。


「好きな人ができたら、後悔する前につかまえなよ。若名さんは自信持てないのか自分を貶すようなことを言うけど、それじゃ自分がかわいそうだよ。自信持って褒めてあげなきゃ。若名さんは自分で思ってるより可愛いしいいコだし、仕事熱心で魅力がある女の子だよ」


 大草がニコッと笑い、首をかしげた。曖昧に微笑み返すと、彼は顔を寄せた。


 驚き、近づかれた分だけのけぞってしまった。


 彼は一度だけ視線を合わせた後、目を伏せてささやいた。


「正直、相談……若名さんはそういうつもりで話したわけじゃないかもしれないけど、嬉しかった。ぶっちゃけ君のこと狙ってるから。その気になったらいつでも言って」


 冗談なのかなんなのか。千波は熱くなる頬も隠さず、まじまじと見つめ返した。


 今の大草の言葉は岳の思わせぶりな言動と違い、ド直球だった。


 返事はしなかった。曖昧な笑みを浮かべただけで、首を横にも縦にも振ることができなかった。






 宣言通り、千波は一次会で帰った。千秋たちはカラオケに行くらしい。


 大草も帰るようだが、千波にしつこく迫ってくることはなかった。また会社で、とにこやかに見送られた。


 コインパーキングに向かいながら、なんとなくぼんやりと先ほどのことを考えていた。


 あんなことを言われたのは人生で初めてだ。魅力がある女の子、なんて。


 地元では散々バカにされた容姿。はっきりと”一番可愛くない”と言われたこともあるのに。


 千波はアパレルショップの前を通り過ぎつつ、ショーウインドウに映った自分の姿を見た。


 社会の厳しさを知って変わった顔つき。老け顔だとばかり思っていたが、歳相応になりつつある気がする。どちらかというと顔相応の歳になった、か。


 社会人になってから太った、と焦ったこともあるがよく見るとただ、肉づきがよくなった体。プロポーションが抜群というわけではないが。


(……もしかして"じゃないけど"が良くないのか。すぐに暗いこと言うとこ……)


 この歳になってから思い知る自分の性格。自信が持てない故に生み出されたものだろうか。


(自信が持てないから香椎さんのことも……)


 近くを通り過ぎるカップルの笑い声が響く。ただ談笑してるだけだろうが、今の千波にはバカにしているように聞こえてしまう。クリスマスが近いのに、たった一人で街中を歩いてる彼女のことを。


 千波は道の端で立ち止まった。コインパーキングまでまだ距離があるのに。


(あたし、どうしたいんだろ……。彼氏ほしいの? 結婚したいの? 本当は……カップルがうらやましいんじゃないの?)


 自問したが、答えは出そうにない。


 ただずっと、頭の中で岳のいろんな姿や声が再生され、合コンに参加したことを忘れかけていた。

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