脱・AI

一河 吉人

脱・AI


 私のおばあちゃんは、それなりに名の知れたナレーターだった。


 いや、名前を知っていたのは一部の好事家だけだったろう。表に出るのが苦手で、仲のいいご近所さんにすら隠していたくらいだ。だけどタイトルを聞けば「ああ、あの!」と誰もが反応するような、有名番組を幾つも担当していたベテランだった。


 子供の頃から大の映画好き、でも生来の恥ずかしがりで役者は無理。そんな彼女が声優を目指したのは自然な流れだった。おばあちゃんは努力した。その甲斐あって見事プロとして仕事を始め、そして即引退した。やっぱり恥ずかしかったらしい。


 声優は裏方と言っても人気商売、声のお仕事に加えトークイベントやライブと活動は幅広い。顔出しに馴染めなかった彼女を、今までの努力は裏切らなかった。会社の勧めもあって軸足を移したナレーターで、おばあちゃんはそれなりの売れっ子になった。


 そんな彼女が老いて再び声優に舞い戻ったのは小さい孫にいいところを見せる、つまり私のためだった。大多数の女児と一部の大人たちに大人気の、女の子のバトルと友情の有名アニメシリーズ。何度か断ってきた仕事を、おばあちゃんは引き受けた。5人の主人公、うちサブリーダー格の子の母親役だった。


 これは完全に偶然らしいんだけど、おばあちゃん演じる母親役の娘、その名前がなんとゆかり――そう、私の名前と同じだったのだ。


 もちろん、私はそのヒロインを大好きになった。普段は元気溌剌なキャラクターが好みな私がお淑やかで文化的な彼女に夢中になるんだから、子供とは現金なものだと我ながら思う。


 おばあちゃんがお母さんになったのは変な気分だったけど、私はとにかく嬉しかった。自分が特別な存在になったような気がしたからだ。苦手だったスカートにも慣れたし、伸ばした髪を編み込むのだって上手くなった。画面の中の子とおんなじ髪型、でもおばあちゃんに結ってもらうのが一番嬉しかった。「私はけい、歴史から消された女」というのがママの持ちネタになった。


 私は番組の中の彼女たちのように、突然プリンセスに変身してしまった。毎日が楽しくてしかたなかった。だから、私もおばあちゃんみたいになりたい! と思うようになったのは、ごく自然なことだと思う。


 今でも思い出せる、保育園の卒業アルバム。下手糞な自作の表紙のそれに書いた、「将来の夢:ナレーター」。幼い日にだけ許された、純粋な衝動の発露。私も声優になる! え? おばあちゃんは声優じゃないの? テレビの声? あ、これなんだ。じゃあ――


 私も、ナレーターになる!!




 そして、ナレーターは死んだ。




 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 きっかけは色々あったらしい。



 直接的な原因は合成音声だ。ナレーションという自分でやるにはハードルの高い行為を、テキストを用意するだけで代行してくれる技術。動画制作者にとっては渡りに船、むしろ文章があれば動画が作れるという逆転現象まで起きた。動画投稿サイトと合成音声は理想的な相互作用をもって爆発的に普及し、その地位を確かなものとした。


 次に、倍速視聴。本と違って動画は自分のペースで楽しむのが難しい。そもそも1時間も2時間もモニタの前に座っていること自体が大変なのだ。自分のペースで利用したい、時間あたりの成果を最大化したい、そんな当然のニーズに答えたこの文化は、あっという間に広まった。


 この2つだけでも影響は大きかったんだろうけど、それでもナレーターが死ぬほどではなかった。


 ナレーターを真に殺したのは、AIだった。


 AIは膨大なデータを学習しては再利用することで、ありとあらゆる分野の問題を解決した。コンピューターや化学、工学、言語学、絵画、音楽、スポーツ、そして――ナレーション。


 「変速ナレーションシステム」。


 分かりやすく言えば、倍速で喋らせてもごく自然に聞こえる合成音声だ。


 単純に早回しすればいい映像と違って、音声は倍速再生の泣き所だった。ただ速度を高めただけでは、声が不自然に高かったり聞き取りにくかったりしてしまう。この長年の課題も、AIが解決してしまった。AI研究でも最先端の一角を担っていた大手動画サイトがこの機能を導入してしまえば後は早かった。


 普及が普及を呼び、デーががデータを呼ぶ。AIはついに、人類を模すのに十分なだけのデータを手に入れた。その上、人間には発声できないような速度と精度で喋ることもできるのだ。


 人類は倍速での動画にすっかり慣れ、素人の投稿動画はもちろん映画すら倍速視聴を前提にした方向性へと舵を切り、ゲームではシナリオスキップ中にもボイスが再生されるようになり、ナチュラルに倍速っぽく喋る子どもたちが言語学上のトピックとして取り上げられ――等倍でしか喋れないナレーターは過去の遺物となった。


 もちろん、お金の話も重要だったんだろう。一度ソフトを導入してしまえば煩わしい手続きや収録抜きで十分なクオリティのナレーションがいつでも、いくらでも手に入る。作り手側としてはこんなにありがたいことはない。


 こうして、ナレーターは死んだ。AI音声との生存競争に敗れたのだ。


 ナレーターだけが特別だったのではない。プログラマー、ライター、デザイナー、ありとあらゆる職業がAIの影響を受け、当然反対運動も盛り上がった。


 デモやストライキ、署名に陳情、もちろん作品を通じての問いかけも。他人のコンテンツを無許可で学習し商売に利用することの法律的、道義的な問題が専門家によって話し合われ、「許可されたリソースのみ利用しています」とクリーンAIをうたったエンジンが出現し、関連法案の審議中に居眠りしていた議員は「AIに取り替えろ!」と猛バッシングにあった。


 社会はAI推進派、反対派、軟着陸派、根絶派(過激派)などが入り乱れ、思い思いの意見をぶつけ合う闘技場となった。タダ乗りを嫌うクリエイター、AIの力を借りて個人で長編を完成させたアニメ作家、偉そうな創作家様を引きずり下ろしたいだけのアンチ、ワンチャンAI企業から賠償金取れないかなとゴネるサブマリン著作権者、AIがどうだろうが関係ない、むしろそんな事を気にするなんてよこしまな想いから創作しているのでは? と上から語る生まれながらの作家様、ありとあらゆる人々がその名をかけての、または身分を隠しての、または裁判で暴かれながらの、喧喧囂囂けんけんごうごうの議論を繰り広げ、人々はその様子をまとめ動画で倍速視聴した。最終的に勝利したのは資本家だった。


 生身の人の手は、歴史の流れを押し止めるには小さすぎた。もはや、人類に残された領土はわずかだった。



 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 別に私はAIが憎い、というタイプではない。確かにナレーターはAIに殺されたがそれはそれ、そもそも既に世は大AI時代だ。AIの発見した新薬で大勢の命が救われ、AIのテキスト分析で歴史や芸術の教科書が書き換わり、AIの計算で幾つかの伝統的なボードゲームに正解・・が発見された。もはや好き嫌いでAIを語るような時代ではないのだ。っていうか、目の前にいるのはその結晶みたいなものだし。


『ゆかり様、水』

「……はいはい。残りでいい?」


 鞄から水筒を取り出しフジ子さんのトレイに注いであげる。両足を投げ出し、だらけた姿勢で人間をアゴで使う――猫。このあられもない腹見せ姿が人知の結晶、世界革変の最先端だった。


 発声練習する私、ノートパソコンと向き合う六ちゃん、長机の上で本を読む猫。放課後の放送部の、いつもの光景だ。伝統と栄光の我が部ももはや部員は2人(と1匹)を残すのみ、大型ラックに積まれた高そうな機材もマイクすら必要ない今の配信環境では埃を被るばかりだった。


「全くもう、水くらい自分でやりなよ」

『古来より人類とは猫にかしずく存在。猫としての使命を全うしているだけです』


 でもあなた、本体はアンドロイド人形ロボットでしょ。


 フジ子さんは見目麗しい女性型のアンドロイドだ。研究者のママが会社で作り、一般家庭での動作確認の名目で我が家へやってきたのは私が生まれる前だった。家政婦なのでメイド服、というのも建前で、実際はパパがメイド好きだから。パパを寝取ってママから奪い、更には家長として君臨する壮大な計画、という名のママに対する嫌がらせ、という名の、まあママとフジ子さんのイチャイチャだ。ちなみにパパはめちゃくちゃ嫌がっている。


 で、この小さな黒猫は彼女のサブボディだ。私の鞄に不法侵入しては移動する、新世紀の妖怪。部室への潜入にも成功したフジ子さんは参考資料・・・・として棚に並べられていた古いマンガにすっかりハマってしまい、今では1人で勝手に出入りする始末。先日なんか紙の中古本をセットで買わされた。雇い主に泣き落としで漫画をせびる、これが最先端AIだ。


『ゆかり様、4巻』

「……」


 くっ、その上目遣いはズルいでしょ!

 

 私は席を立ち、棚へと向かうほかなかった。猫のフジ子さんは大変に可愛らしいので、これは仕方がないことだ。見た目もそうだが個々の仕草が一々あざとい。全く、どこで学習してきたんだか。


「ゆかり様、私も水~」

「自分で入れろ」

「ええー……」


 六ちゃんはノートから顔も上げずに嘆くが、私を動かすにはあざとさが足りない。


『ゆかり様、5巻』


 ……。


「チキショー、見た目が可愛ければ全部許されると思って!」


 私は棚から10巻まで取り出し長机に積んだ。


『確かに私は畜生ですが』


 黒猫は大股っ広げで言う。


『ですが、ゆかり様。この畜生が生き残りのために編み出した可愛さ全振りのビルド方針こそが、ナレーターへのヒントなのです』


 そう言って6巻を広げ、背景を指? 肉球? で差す。


『著作権が切れるような、大昔の作品です。凄いですよね、スクリーントーンが発明されている前はこんな細かい点描を一つ一つ人力で描いていたんですよ。今では考えられません』

「……」

『いいですか、ゆかり様』


 彼女の目は開かれ、瞳孔は収束した。


「ナレーターは死にました」


 ……。


「……知ってるよ」

『今の時代にナレーターを目指しても、それはもはやナレーターではありません。せいぜいが文化的資本に恵まれた金持ちのボンボンのお遊びです』

「ぐっ……」


 そりゃ私は恵まれているけど、もう少し言い方ってものがさあ……!!


『覚えていますか? 北陸旅行で訪れた恐竜博物館。墓場から掘り起こされ、見世物にされる哀れな者たち。やっていることはあれと同じです。過去の栄光にすがり、沈んだ太陽を引き戻そうと涙ぐましい努力を続けている』

「なんなの、もう」


 口では反発したけど、フジ子さんの言うことも分かる。というか、私が散々言われ続けていることだ。


『この時代、ナレーターになることとは旧来のナレーターになることではありませんし、ナレーションでAIに勝つことでもありません。AIの支配下でナレーターとして存在すること、それが現代においてナレーターになるということです』


 彼女は、私をまっすぐに見据えて言った。


『つまり、脱ぐしかありません』



◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「お、ゆかりもついに脱ぐ?」


 六ちゃんがキーボードから手を離し、口を半開きでいつもの眠たげな目をこっちに向けた。


「いや、脱がないから」

「ええー……」


 ええー、じゃない。


「AIなんて誰でも使えるんだから、あとはプラスアルファ。つまり脱ぐしかないでしょ」

「そんなフジ子さんみたいな……」

「いやーうらやましいなー、わたしはぬいでもゆかりほどじゃないからなー」

「ぐっ、ひどい棒読み……でもさ、六ちゃんも脱いだらファンがつくかもしれないじゃん」

「こんなちんちくりんのボディに欲情するファンは嫌過ぎる」


 確かに。


「作品で違いを作れないなら、他の部分で付加価値を出していくしかない。AIは脱げない」

『失礼な』


 長机の上でゴロゴロと丸まっていた猫が抗議の声を上げた。


『AIだって脱げます』


 全裸だからね今。


『言っておきますが、本体も脱いだら凄いですよ?』

「ほう、うちのゆかりのワガママボディに勝てるとでも?」

『笑止』

「おっ、やるか? 行け、ゆかり! 『もろ肌さらし』だ!」


 そんな技は無い。


『飼い主の命令に従わないなんて、わがままなのは身体だけじゃないってことですか』

「やかましいわ」


 人のボディを勝手にリングに乗せないで欲しい。


「でもさー、完全にネタってわけでもないよ。ちょっと前に美人すぎる女子T大生AI小説家なる人物が話題になってたじゃん。あれなんかいい例でしょ。若い女、高学歴、おまけに顔がいい。市場に求められる付加価値全部盛り」

『若い女、サラブレッド、わがままボディ。年齢の分だけゆかり様の勝ちでは?』


 ウソッ、私のセールスポイント、圧倒的に下品……?


「も、もっとあるでしょ……ほら、AIには無い自由な発想とか」

「そういう牧歌的な時代はもう20年は前に終わってるんだよねえ」


 六ちゃんは備え付けのねこじゃらしでフジ子さんの頬をぺしぺしと叩きながら、つまらなそうに続けた。


「ナレーターはまだフィジカルの世界だしライブでの生身売りもできるけど、小説は悲惨だから」


 六ちゃんは小説書きだ。そしてこの時代、小説家とは小説家AIを利用しながら小説を書く人を指し、AI抜きの小説家はいつしか純小説家と呼ばれるようになっていた。


 小説を書いてネットで公開し読者が読む、ここまでは小説家も純小説家も同じだが、AIの本領発揮はそこからだ。何人読んだのか、誰が読んだのか、どこまで読んだのか――リアルタイムで読者の反応を分析し、リアルタイムで自動修正する。新展開で読者が多く脱落したと見れば即座にテキストを差し替え、人気が下降気味ならばテコ入れを施し、新キャラの脇役が評判ならばメインどころに昇格させる。昨日読んだ最新話が今日は全然違う内容になってた、なんてのはザラ、それが小説界の最先端だった。休むことを知らず、タイプライターを叩き続ける猿――小説生成AI「Apespeare」による創作は、その手法から猿回しとも呼ばれた。


 AIが書き、人間がジャッジするならまだいい。だが、時代は人類からその権利すら奪い去った。人々に許されたのはAIが生成した小説の下読みまで、最終的なGOサインを出すのは無慈悲な売上予想AIだ。


 ヨーロッパの偉い批評家は言ったという。「芸術や創造といった人間的行為から人間は排除され、消費という動物的な領域だけが残された」と。


 人間が芸術に介在する余地は、完全に失われてしまったのか?


 我々はもはや、哀れな中間管理職に過ぎないのか?


 実は、そうではない。作品におけるAIの直接的な寄与が大きすぎると、著作権が認められないのだ。だから人間が適度に手を入れ、それを証拠に残し、自分が権利者であると主張する必要がある。



 人間の役割は名義貸しである――



 これが、人類のたどり着いた結論だった。


 もはや創作はAIという暴れ馬を乗りこなすこととを通り越し、そのおこぼれを拾い集めることを意味するようになった。


 AIが登場したての頃は「上がってきたのを選んでるだけの奴がクリエイターを名乗るな」との意見が出ることも多く、「なるほど」と同意した一部の人達はAIディレクターやAIキューレーター、ハイパーマルチメディアAIクリエイターを名乗ったりもした。他にもプロデューサーやトレーナー、ドクター、先生、騎士、団長などよく分からない役職を自称する人も多かった。


 だが、今や「作者」は著作権者の意味だ。


 六ちゃんが利用している小説投稿サイトでは、「作者」の寝ている間にも更新が行われ、「作者」の知らないキャラが登場し、「作者」の知らない登場人物が「作者」の知らない「作者」とあとがきで対談している。それが普通なのだ。売れ線の作品がお互いを参照しまくったため、ランキング上位に同じような設定、同じようなキャラ、なんなら主人公やヒロインの名前まで同じ作品が並んだ、なんて笑い話もあった。


 まあその辺は合成音声の方が露骨かもしれない。有名人の声に似せるためのパラメーター設定が出回り、今もどこかで「誰かにとてもよく似ている声」が流れて続けているんだから。他にも3Dのモデルは全部数値だからあっという間に解析されるし、ゲームなんかは少しでもヒットするとそれをAIにプレイさせてAIに分析させAIにパクらせ画像や音楽だけ差し替えた(もちろんAI製だ)だけの、どこかで見たような、具体的にはついさっき見たようなゲームの海賊版まがいの製品で溢れている。音楽だけは特殊で、作曲AIにより幾つものジャンルが開拓され百花繚乱だというけど、それも最近は行き詰まり気味なんだとか。


『いいですか。現代における作者の意味とは、作品外の情報を提供し作品に付加価値を与えることです。作品それ自体を鑑賞するようなマニアはごく少数、大多数は作品外の情報込みで楽しみますから。最近話題の大ヒット作品だとか、好きな作者の最新作だとか』


 だから、フジ子さんの言うことは最もなのだ。


『さて、ここに全く同じ内容の本が2冊あるとします。片方は作者が北関東在住の30代男性、もう片方は海外有名大卒で3ヶ国語を操り見目も麗しい24歳男性弁護士。どちらが売れると思います?』

「うっ……」

「黒髪ロングの箱入り娘で清楚な現役女子高生(巨乳)、どちらが売れると思いますー?」

「そんな設定反則でしょ」


 凶器を持ち出すな凶器を。


『創作はAIが担う以上、作者の役割は宣伝素材にしかありません。人気俳優の出な映画は見てもらえず、アニメのタイアップでなければ音楽は聴いてもらえない時代。メディアミックスは当たり前で、作者もまたメディアなのです。そして、一番の広報は脱ぐことです』


 フジ子さんは上体を起こし言った。


『人間がAIに勝てるフィールド、それはヨゴレ』


 それは、勝ってるのか……?


「そもそも、グラビアもヌードもヨゴレではないし。大事な仕事だし」

『じゃ、上着から脱いでみよっか』

「なんで急に気持ち悪い感じになってるの……」

『ヨゴレでないなら脱げるはずです』

「脱ーげ! 脱ーげ!」

「いや、脱がないから……」

『全く、わがままですね……ボディ――

「それはもういいから!」


 どうあっても脱ぎませんか、フジ子さんは目を閉じた。


『仕方ありません――お触りできるナレーター、これでいきましょう』

「キャバクラじゃん!」


 いきましょう、じゃないよ。


 バーチャルキャバクラはすでにある。ネット越しにたくさんの異性、または同性と会話したりゲームしたりお酒を飲んだりするサービスだ。


『先日有罪判決が下りましたよね、生身のキャストだと思って貢いでいた相手がAIだったと訴えられたキャバクラに。つまり人間キャバクラは需要があるのです』

「脱ーげ! 脱ーげ!」

『人間としての需要、それは触れるだとか臭うだとかありますが、究極的には女を手に入れること、それ自体が価値として認められているからです。結婚という当たり前をこなし社会的な地位を確立したい、男社会での競争に負けたくない、一人の男として自分自身を認められたい、そういう需要です』

「嫌な需要だなあ」

『AI全盛の時代にあって、トロフィーとしての女の価値はうなぎ登り!』


 AIはこんなに進化しているのに、人類はちっとも進歩がない。


「脱ーげ! 脱ーげ!」


 脱衣AIに進化するも者すらいる始末だった。


『人間の強みは生身、そこを売りにしていくしか無いのです』

「嫌な強みだなあ」

『生身、生肌、生乳を売りにしていくしか無いのです』

「実に嫌だなあ……」

『生身生肌生乳、これ早口言葉になりません?』

「ハラスメントにはなると思うよ!」

「脱ーげ! 脱ーげ!」

『脱ーげ! 脱ーげ!』

「ハラスメントになると思うよ!!」


 作者が脱げコールをしている間にも汗水たらして働いている小説AIに私は同情した。


『ゆかり様も早口言葉の特訓など無駄な努力を止め、早く喉にスピーカーをインプラントすればいいのに……』

「無駄言うな」

『早口言葉のコツは2倍速以上では口を動かしすぎないことです。喉あたりで発声しているように見せることで、自然な感じが出せます』

「そりゃ早口じゃなくて口パクだよ!」

『口とは別に発声ユニットを追加でマウントして、交互に喋ることで擬似的な2倍速を』

「逆に難しいよ!!」

『等速で喋り、AIに分析させることで自然な倍速に』

「ただのAIだよ!!」

『全く、貴重なアドバイスにケチをつけてばかり。そんなことでは立派な倍速AIになれませんよ』

「ならないよ!!!!」


 いけない、フジ子さんのペースに飲まれている。心のギガが減ってしまう。


『しかし、このまま練習を続けても早く喋るのが得意になるだけ。「衝撃! 倍速で喋る女!!」というタイトルで場末の配信者に面白おかしく取り上げられるのがせいぜいです』

「嫌な未来予想図だなあ」

『もちろんナレーションはAIです』


 実に嫌だなあ……。


『それが嫌なら脱ぐしかありません。大丈夫、本当にそれだけでいいんです。喋りなんてAIに任せておけばいいんです』

「それ、私がやる意味ある?」

「先っちょだけ、先っちょだけ脱げばいいから」


 より悪いわ。


(……だけど、確かに)


 彼女たちの言うことも一理あると、私だって理解はしているのだ。今の時代、ただ喋りを訓練しているだけではナレーターにはなれない。そもそもキャリアパスがない。動画でも投稿して、自分で道を切り開くしか無いのだ。


 今朝配られた進路希望のプリント。私はナレーターと書くだろう、そして先生に呼び出されるのだ。


「脱ーげ! 脱ーげ!」


 そして言われるのだ、「ナレーターになりたければ脱ぐしかな――


「いやいや、そんな教師は嫌だ」


 というかハラスメントで一発懲戒だ。

 

(……でも、先生が首になっても現実は変わらない)


 そうだ。現実が変わらないなら、私が変わるしかない。


「……分かった」


 鳴り止まないシュプレヒコールの嵐の中、私は決断した。やるしか無い。例えそれが、AIに頼った修羅の道でも――


「おお、ついに決心を」

『ゆかり様、こんなに大きくなって……』

「焚き付けたんだから、二人にも協力してもらうよ」


 私達はお互いの顔を見合わせると、静かに頷いた。


『18歳以下では制限がきついですし、お母様の名義で登録しますか』

「ゆかり。退学しても私達は友達だよ」

「やかましいわ」



◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 後日、1人のVTuberがひっそりとデビューした。正体は完全不明、SNSのアカウントもなし。3DモデルはAI、チャンネルロゴもBGMもAI、だけど声は、声だけは完全無加工の本物。生身売り、だけど声は(顔も)バリバリに加工している配信者が多い中で完全な異端、真逆の存在。


 そして、もう一つの売りが「完全オリジナル新作の話」であること。


 笑いあり、涙ありのストーリーは瞬く間に多くの視聴者を獲得し――そして、初々しくもしっかりとしたナレーションの方も、いつしか大勢のファンを抱えるまでになっていた。


『まさか、ここまで上手くいくとは思いませんでした』


 エリザベスカラーを巻いたフジ子さんは肉球で器用に画面をスクロールし、視聴者の反応を確かめていた。


 私達の作戦は至ってシンプルだった。ナレーションには作品が必要だ。そして、その作品が傑作ならば人々は等倍速でも聞く。


「作品で違いを作れないなら、他の部分で付加価値を出していくしかない。AIは脱げない」


 逆に傑作をものにできれば付加価値がなくても、無理矢理ではあるが私の声を多くの人に届けることができるのだ。


 倍速再生している人も多いだろうが、元が私のナレーションならまあ許さんでもない。AIでの再構築は燃やす。


『言ってみればただのコンテンツを盾にした抱き合わせ、縁故主義、ゴリ押しではありますが』


 言ってみるな。


 私は勉強した。創作論を、脚本術を、心理学を、マーケティング論を。元々大量の作品を浴びるように見ていた私には、それなりの蓄積が合った。AIでの執筆に詳しい友人もいた。そして、幸運なことに才能もあったんだろう。私達の送り出した動画はトントン拍子に再生数を稼ぎ、あっという間にそれなりの登録者を獲得した。さすがにこの結果は出来過ぎだったけど。


「正直ムカつく」

「ええ……」


 ま、まあずっと努力してきた六ちゃんには思うところがあっても仕方がない。だけどアートなんてのは上下なしのバトルロイアル、友人同士だって刃を合わせなければならないのだ。そんな辛く厳しい戦いをくぐり抜け、ようやく個々まで辿り着いた。私がナレーターとして生きるための、微かな道筋が見えてきたのだ。悲しいが、この歩みを止めることはできない!


「よし! みんな、この調子で頑張ろう!」


 私たちはその後も順調に作品を投稿し続け、視聴者数も増えていった。チャンネルは大きくなり、何度かメディアにも取り上げられ、私は若手脚本家としてはもちろん、新進の、そして新時代のナレーターとしても名声を高め――六ちゃんがお遊びでナレーションした動画にその地位を奪われ私の夢は終わった。

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