脱・AI

一河 吉人

第1話


「あ・え・い・う・え・お・あ・お」


 下腹に力を込め、ペースを保って口を動かす。


「あ・え・い・う・え・お・あ・お」


 両足に骨盤をしっかりと乗せ、頭頂から高く伸びる軸を意識する。胸を張って肩を落とし、顎を引いて喉を開く。


「あ・え・い・う・え・お・あ・お~」


 開け放たれた自室の窓を抜け、晴れ渡った空に私の声が響く。


「よし……あえいうえおあお、あえいうえおあお」


 発声練習が終われば次は滑舌だ。何百、何千と繰り返してきた、いつも通りのルーチン。


「あかまきがみ、あおまきがみ、きまきがみ」

「このたけがきにたけたてかけたのはたけたてかけたかったからたけたてかけた」

「しんせつしんさつしつしさつひんしのししゃせいさんしゃのしんせいしょしんさぎょうせいかんさつささつししんせつなせんせいざいしゃひっしのしっそう」


 おばあちゃんから貰った宝物の本に載ってた、魔法の呪文。親の顔より、自分の名前より唱えてきたフレーズ。行政監査査察使が何なのかは、未だに分からないけれど。


「ふう……」


 一連の基礎を終えタオルで汗を拭いていると、心地の良い風が舞い込んできた。絵に書いたようなうららかな午後だ。


(こんな休日高校生活で何度もあるわけじゃじゃないし、どこかに出かければよかった? 一日くらいはトレーニングをサボっても……)


 六ちゃんに電話しようか、あ、でも出かけるって言ってたな。なんて考えていると、不意に強まった風が色褪せた壁の色紙を揺らした。


『めざせ ナレーター』


 すっかり黄色くなってしまった紙に踊る、下手くそな文字。


 まるで私の邪念を見透かされたようで、すこし笑ってしまった。口元を拭い、タンブラーの蓋を閉める。


 そうだ。


 私は目指すんだ。


(おばあちゃんみたいな、立派なナレーターになるんだ!)


「よし!」


 こんなところで負けてはいられない。ももをペチンと叩いて気合を入れ直し、トレーニングを再開する。


「ししじるししなべししどんしししちゅー」

「いじょうしししょくししょくしんさいんししょくずみ」

「しんあんしししょくしちしゅちゅ――あだっ!」


 ううっ、思いっきり舌を噛んでしまった。気合を入れるのはいいけど力を入れるのは駄目だ。恐る恐る鏡で確認すると……よかった、これなら腫れることもなさそうだ。


「ゆかり様、大丈夫ですか?」

「うん、ちょっと噛んじゃっただけだから」


 ベッドに腰掛け心配そうに見上げてくるフジ子さんに、苦笑いで応える。


 フジ子さんは長年仕えてくれている我が家の安全と健康の守護者、ひっつめ髪のメイドさんだ。最近はもっぱら私のベッドを守り、ネットをパトロールしている。


「いえ、そうではなく。急に怪しげな呪文を唱えだしたので、何か悪い団体にでも洗脳されてしまったのかと」

「これはただの早口言葉だよ!」

「おお、おテラさま、申し訳ありません。あなたが心配していたあなたの孫を、フジ子は守ることができませんでした……」

「だから違うって!」

「あなたの孫の舌を、守ることができませんでした……」


 確かに守れてはいないけれど、そんなとこまでメイドに管理されるのは嫌だ。


「毎日私の虫歯チェックを受けていたあのゆかりお嬢様が、今ではすっかり反抗期に……。でもおテラ、フジ子は負けません。安心して、遠くから見守っていてください」

「人のおばあちゃんを勝手に殺すな」


 まだまだピンピンしてる。肉も超食べてる。たしかに今は遠くにいるけど、お仕事を引退して今は海外旅行を悠々満喫しているだけだ。



 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 私のおばあちゃんは、それなりに名の知れたナレーターだった。


 いや、名前を知っていたのは一部の好事家だけだったろう。表に出たがるタイプでもなかったし、仲の良いご近所さんにも隠していたくらいだ。だけど、タイトルを聞けば「ああ、あの!」と誰もが反応するような、有名番組を幾つも担当していたベテランだった。


 おばあちゃんは子供の頃から映画が大好きで、いつか自分もこの登場人物達みたいになりたいと思っていたそうだ。でも、生来の恥ずかしがり屋なので役者は無理かもしれない。そんな彼女が声優を目指したのは、ごく自然なことだった。おばあちゃんは努力した。その甲斐あって見事プロとして仕事を始め、そして即引退した。やっぱり恥ずかしかったらしい。


 声優は裏方と言っても人気商売。メインのお仕事に加えラジオやインタビューはもちろん、トークイベントやライブとその活動は幅広い。おばあちゃんはどうしても顔出しに馴染めなかったんだという。それで会社の偉い人にお願いして、裏方に徹することの出来るナレーター一本でやっていくと決めたんだそうだ。頑張って積み上げた技術はもちろん、才能もあったんだろう。おばあちゃんはナレーターとして、それなりの売れっ子になった。


 そんなおばあちゃんが老いて再び声優に舞い戻ったのは、私のためだった。小さい孫にいいところを見せたかったらしい。小さい女の子と一部の大人たちに大人気の、女の子のバトルと友情の有名アニメシリーズ。「あの大御所ナレーターが声優として出演!」というセールスポイントは番組側にとっても魅力だったのだろう。何度か断ってきた仕事を、おばあちゃんは引き受けた。5人の主人公、うちサブリーダー格の子の母親役だった。


 これは完全に偶然だったらしいんだけど(おばあちゃんも台本を読んで初めて知ったんだと)、おばあちゃんが演じる母親役の娘、その名前がなんとゆかり――そう、私の名前と同じだったのだ。


 もちろん、私はそのヒロインを大好きになった。いつもは元気溌剌なキャラクターが好みな私がお淑やかで文化的な彼女に夢中になるんだから、子供とは現金なものだと自分ながらに思う。


 おばあちゃんがお母さんになったのは少し変な気分だったけど、私は嬉しかった。なんだか特別な存在になったような気がしたからだ。苦手だったスカートにも慣れたし、伸ばした髪を編み込むのだって上手くなった。画面の中の子とおんなじ髪型。でも、おばあちゃんに結ってもらうのが一番嬉しかった。「私はけい、歴史から消された女」というのがママの持ちネタになった。


 おばあちゃんに禁止されていたので友達に自慢することは出来なかったけど、それが秘密みたいでまた私をワクワクさせた。私は番組の中の彼女たちみたいに、突然プリンセスに変身してしまったのだ。毎日が楽しくてしかたなかった。


 だから、私もおばあちゃんみたいになりたい! と思うようになったのは自然なことだと思う。


 今でも思い出せる、保育園の卒業アルバム。下手糞な自作の表紙のそれに書いた、「将来の夢:ナレーター」。

 


 幼い日にだけ許された、純粋な衝動の発露。



 私も声優になる! え? おばあちゃんは声優じゃないの? テレビの声? あ、これなんだ。じゃあ――



 私も、ナレーターになる!!



 何もかもが輝いていた。幸せな未来しか想像できなかった。





 そして、ナレーターは死んだ。




 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇




 きっかけは色々あったらしい。



 直接的な原因は、合成音声と呼ばれる技術だ。案内音声なんかで利用されている、100年以上の歴史を誇るテクノロジー。あくまで企業側の技術だったそれが一般市民にも広まったのは、動画サイトの普及を抜いては語れないだろう。ナレーションは技能だ、自分で入れるのはなかなかハードルが高い。それがテキストを用意するだけでいいんだから動画制作者にとっては渡りに船、むしろ文章があれば動画が作れるという逆転現象まで起きた。動画サイトと合成音声は理想的な相互作用をもって爆発的に普及し、その文化的地位を確かなものとした。


 次に、動画の倍速視聴。本と違って動画は自分のペースで楽しむのが難しい。それがいいところでもあるんだけど、話が進まずイライラする気持ちもわかる。映画なんかはともかく、なかなか本題に入らない解説動画や脱線の多いチャレンジ動画は私も苦手だ。もっと自分のペースで動画を利用したい、時間あたりの成果を最大化したい、そんな当然のニーズに答えたのが倍速視聴だった。同じ動画でも2倍速で再生すれば、コストパフォーマンスは単純に2倍だ。そもそも、1時間も2時間もモニタの前に座っていること自体が大変だし。一般的な利用や学習はもちろん、「教養としての」コンテンツ視聴にも大いに重用され、若者を中心としてあっという間に広まった。


 この2つだけでも影響は大きかったんだろうけど、それでもナレーターが死ぬほどではなかった。


 ナレーターを真に殺したのは、AIだった。


 ここで言うAIとは、一般的な人工知能、Artificial Intelligenceのことではなく2020年前後に登場した、ディープラーニングを用いたそれのことだ。瞬く間に世界のあり方を変えてしまった、21世紀最大の革新技術。と言っても私が生まれる前の話だし、調べてもピンとこなかったんだけど。


 AIは膨大なデータを学習しては再利用することで、ありとあらゆる分野の問題を解決した。コンピューターや化学、工学、言語学、絵画、音楽、スポーツ、そして――ナレーション。黎明期はそのたどたどしさやソフトウェア丸出しの棒読み具合がある種の味として愛されていた合成音声も、AIの登場によって環境が一変。驚異的な速度で精度を高め、生身の人間と違いが分からないレベルで喋るようになるのもすぐだった。それだけではない、有名人の声で、知り合いの声で、果ては亡くなってしまったあの人の声で喋りだし、社会問題になったりもした。後は、時間の問題だったんだろう。



 RAINS――Rapid AI Narration System、変速ナレーションシステム。



 分かりやすく言えば、倍速で喋らせてもごく自然に聞こえる合成音声ソフト、だ。


 単純に早回しすればいい映像と違って、音声は倍速再生の泣き所だった。ただ速度を高めただけでは、声が不自然に高かったりセリフが聞き取りにくかったりと不都合が生じてしまう。この長年の課題を解決したのもAIだった。学習に次ぐ学習で、2倍速はもちろん3倍速でも4倍速……はちょっとキツいかな、まあそれくらいならストレス無く聞けるようなナレーションへと成長したのだ。

 

 初期はテキストデータを早く読み上げるのがせいぜいだったから、わざわざ等速動画や2倍速動画を別々に公開していたらしい。しかしほどなくして、動画とテキストデータを分離することでどんな再生速度にも自然にナレーションを入れるシステムや、動画の音声データを解析して(これはまさにAIの得意とするところだ)自然な倍速音声に置き換えるシステムなどが登場した。AI研究でも最先端の一角を担っていた大手動画企業がこの機能を導入してしまえば、後は早かった。


 普及が普及を呼び、デーががデータを呼ぶ。AIはついに、人類を模すのに十分なだけのデータを手に入れた。その上、人間には発声できないような速度と精度で喋ることもできるのだ。

人類は倍速での動画にすっかり慣れ、動画はもちろん映画すら倍速視聴を前提にした方向性へと舵を切り、ゲームではシナリオスキップ中にもボイスが再生されるようになり、ナチュラルに倍速っぽく喋る子どもたちが言語学上のトピックとして取り上げられ――等倍でしか喋れないナレーターは過去の遺物となった。


 もちろん、お金の話も重要だったんだろう。一度ソフトを導入してしまえば、煩わしい手続きや収録抜きで十分なクオリティのナレーションがいつでも、いくらでも手に入る。作り手側としてはこんなにありがたいことはない。


 こうして、ナレーターは死んだ。AI音声との生存競争に敗れたのだ。


 もちろん、ナレーターだけが特別だったのではない。プログラマー、ライター、デザイナー、ありとあらゆる職業がAIの影響を受けた。


 自分たちの職や権利を守るため、反対運動も立ち上がった。当然だ。デモやストライキ、署名に陳情、もちろん作品を通じての問いかけ。AIに関わる領域、つまりおおよそ人間活動の全てのジャンルが手を取り合い、AIに立ち向かった。他人のコンテンツを無許可で学習し商売に利用することの法律的、道義的な責任問題が専門家によって話し合われ、「うちは許可されたリソースのみ利用しています」とクリーンAIをうたったAIエンジンがいくつも立ち上がり、関連法案の審議中に居眠りしていた議員は「AIに取り替えろ!」と猛バッシングにあった。


 社会はAI推進派、反対派、軟着陸派、根絶派(過激派)などが入り乱れ、思い思いの意見をぶつけ合った。タダ乗りを嫌うクリエイター、AIの力を借りて個人で長編アニメを完成させたアニメ作家、偉そうなクリエイター様を引きずり下ろしたいだけのアンチ、ワンチャンAI企業から賠償金取れないかなとゴネるサブマリン著作権者、AIがどうだろうが関係ない、むしろそんな事を気にするなんて邪念から創作しているのでは? と上から目線で語る生まれながらの作家様、ありとあらゆる人々がその名をかけての、または身分を隠しての、または裁判で暴かれながらの、喧喧囂囂けんけんごうごうの議論を繰り広げ、人々はその様子をまとめ動画で倍速視聴した。最終的に勝利したのは資本家だった。


 人の手では、歴史の流れを押し止めることはできなかった。



 もはや、人類に残された領土はわずかだった。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「だから、おばあちゃんは死んでないし、これはただの早口言葉だから」

「そういった体で近づいてくるカルト、新しいですね……」


 フジ子さんは形のいい眉をひそめるけれど、このネタまだ引っ張るの?


「たしかに、こんなもので釣れるのは絶滅危惧種のナレーター志望者くらいでしょうから効率が悪すぎますね」

「絶滅……」


 そうかもしれないけどさあ。


「今までのは慣れちゃったから、新しいのに挑戦してるだけ」

「素晴らしいお心がけです。無謀な挑戦でも、いえ、だからこそ、チャレンジする意味があるというものです」

「ぐっ……もう、練習の邪魔しないでよー」


 フジ子さんの軽口は今に始まったことではないし、長い付き合いで対処方法も分かっている。こうやって背筋を伸ばし真剣な顔をしているときは私をいじっているとき、無視が一番だ。真面目に相手をしていると心のギガが減る。私は舌の調子を確かめると、気を取り直して練習を再開した。


「ししじるししなべししどんしししちゅーいじょうしししょくししょくしんさいんししょくずみしんあんしししょくしちしゅちゅあだあっ!!」


 うっ、ちょっと赤くなってる!?


「一度ならず二度までも……完全に呪われていますね、やはり何か良くない系土着宗教の呪文なのでは?」

「うう……」


 これは我が身の未熟さゆえ、変な呪いとかじゃないと信じたい。


「しかし、ふむ……」


 フジコさんはタブレットを膝に置くと、咳を一つし続けた。


「ししじるししなべししどんしししちゅーいじょうしししょくししょくしんさいんししょくずみしんあんしししょくしちしゅちゅうのししゅ」

「はあっ!?」


 一発!?


「どんなものかと思いましたが、早口言葉としては平凡ですね」

「ぐっ……」


 ドヤ顔でマウントを取るフジ子さん。私は二回も失敗したのに初見で成功なんて……


「っていうか私は途中で脱落したのに最後まで言い切ってるってことは知ってたんじゃん!!」


 このメイド……その顔はもういいから!


 だけど、私の気持ちとは裏腹にフジ子さんのドヤは止まらなかった。


「シシジルシシナベシシドンシシシチューイジョウシショクシショクシンサインシショクズミシンアンシシシショクシチュウシチュウノシシュ」

「なっ……」

「シシジルシシナベシシドンシシシチューイジョウイシシショクシショクシンサインイショクズミシンアンシシショクイチシュチュウノシシュ」


 ……。


「3倍速までは楽勝ですね」

「……そりゃそうでしょうよ」



 だってフジ子さんは、AIなんだから!!



 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 私は別にAIが憎い、というタイプではない。たしかにナレーターはAIに殺されたがそれはそれ、そもそも既に世は大AI時代だ。AIの発見した新薬で大勢の命が救われ、AIのテキスト分析で歴史や芸術の教科書が書き換わり、AIの計算で幾つかの伝統的なボードゲームに正解・・が発見され、AIの学習でオートピアノはピアニストより自分自身を上手く演奏するようになった。もはや好き嫌いでAIを語るような時代ではないのだ。っていうか、目の前にいるのはその結晶みたいなものだし。


「ゆかり様、水」

「……はいはい。残りでいい?」


 私は鞄から水筒を取り出し、フジ子さんのコップに注いであげる。両足を投げ出し、だらけた姿勢で人間をアゴで使うAI。これが世界革変の最先端だ。


「全くもう、自分でやりなよ」

「私はほら、この足ですので」


 フジ子さんは見目麗しい女性型のアンドロイドで、AI研究者のママが会社で作った。一般的な家庭での動作データを取る、ということで我が家へやってきたのは私が生まれる前だ。それからずっと、私たちの家族として一緒に暮らしている。古い事故の影響で彼女の下半身は動かず、それで日がな一日ネットに没頭しているんだけど7割くらいはサボっているだけだと私は睨んでいた。ここのところ無料の古いマンガ漁りにハマっているらしく、先日は紙の中古本をセットで買わされた。雇い主に泣き落としで漫画をせびる、これが最先端AI。


「あっちのボディ使いなよ。水くらい持てるでしょ」


 自由に移動できなくなったフジ子さんのために、母は新型の身体を用意した。といっても2台目の人間型はさすがに許可が降りなかった。新規プロジェクトとして可愛らしい子猫型の素体が提供され、一緒にお出かけなんかもしている。


「今はダメですね」

「なんで?」

「近所の子達に可愛がられていますので」

「……」


 じゃあ仕方ないか。

 

 猫のフジ子さんは大変に可愛らしいので、これは仕方がないことだ。そして、人間の方のフジ子さんも、大変に整った外見をしていた。「平均的な顔の作りをしたらこうなった」ということらしいが、人間結局は美しいもの、可愛いものが好きなのだ。


 黒々と輝く瞳は大きく、肌は白く、後頭部でまとめられた髪は艷やかにきらめいている。なんでメイド服を着ているのか、というとうちのパパがメイド好きだからだ。パパを寝取ってママから奪い、更には家長として君臨する壮大な計画、という名のママに対する嫌がらせ、という名の、まあママとフジ子さんのイチャイチャだ。ちなみにパパはめちゃくちゃ嫌がっている。


 フジ子さんが私を「ゆかり様」と呼ぶのは、「我が主の子は主も同然」というよく分からない理論のためだ。小さい頃はお姫様になったみたいで喜んでいたけど、実際のところ嫌がらせの一種だと気づいたのは中学に上がって流石に気恥ずかしくなり呼び方の変更を申し入れてた私にフジ子さんが長い髪を振り回して涙ながらに継続を懇願してきたときだ。あれは絶対に楽しんでた。


 ママとパパはコンピューター、特にAI関連の技術者で、人型AIロボット――じゃなかった、アンドロイド(正直違いがよくわからないのだけれど、フジ子さん的には重要な部分らしい)であるフジ子さんの生みの親だ。つまり、私達は生みの親を同じくする姉妹ということになる。様呼ばわりもあれだけど、フジ子さんをお姉ちゃんと呼ぶのもなあ。子供の頃はママみたいに思ってたけれど、そのうち彼女の外見年齢を超えるし。


 私にとってフジ子さんは、変わらずそこにいる存在だった。AIにゆりかごを揺らされ、AIにミルクを飲ませてもらい、AIにおむつを変えられて育つ。これだけAIにどっぷり使った人類は私が初めてではないだろうか? ナレーターの真実を知ったときは複雑な思いを抱いたりもしたけれど、それも一瞬だ。それに、高校受験が思わしくなくて倍速の学習教材に手を出したあの瞬間に、私はAIの軍門に下っていたのだ。


「ゆかり様、そちらの4巻取っていただけます?」


 ……私は軍門に下っていたのだ。


 いや、確かにAIには下ったけれどフジ子さんに下ったかは別の話だ。AIとか人間とかではなく、個人が個人に下っていいものだろうか? 何より、それが家族だとしたら?


「もう、自分で取りなよ」

「ありがとうございます。お礼に早口言葉のコツを教えましょう」

「……まあ、一応聞いといてあげるけど」


 私は早速軍門に下った。下り最速だった。


「まず喉にスピーカーをインプラントします」


 ほらこれ!


「私、誰かさんみたいに機械の体じゃないんで」


 私は最速で脱獄した。この軍に残っていてはアンドロイドに改造されてしまう。


「生身の人間にも埋め込みは可能かと思いますが……」

「可能、不可能の問題にされても困る」

「……そうですね、ゆかり様なら現状でも等倍は問題ないでしょう。2倍速以上では口を動かしすぎないことです。喉あたりで発声しているように見せることで、自然な感じが出せます」

「そりゃ口パクのコツだよ!」

「口とは別に発声ユニットを一つマウントして、交互に喋ることで擬似的な2倍速を」

「逆に難しいよ!!」

「等速で喋り、AIに分析させることで自然な倍速に」

「そりゃただのAIだよ!!」

「全く、貴重なアドバイスにケチをつけてばかり、そんなことでは立派な倍速AIになれませんよ」

「ならないよ!!!!」


 いけない、フジ子さんのペースに飲まれている。またギガが減ってしまう。


「しかしですね、このまま早口言葉を練習しても早く喋るのが得意になるだけ。衝撃! 倍速で喋る女!! というタイトルで場末の配信者に面白おかしく取り上げられるのがせいぜいです」

「嫌な未来予想図だなあ」

「もちろんナレーションはAIです」


 実に嫌だなあ……。


「こちらを御覧ください」


 フジ子さんがタブレットの画面を見せてくる。ずいぶんと古い漫画だ。


「著作権が切れるような、大昔の作品です。凄いですよね、スクリーントーンが発明されている前はこんな細かい点描を一つ一つ人力で描いていたんですよ。今では考えられません」

「……」

「いいですか、ゆかり様」


 彼女の真剣な顔が、黒塗りの背景に映り込む。


「ナレーターは死にました」


 ……。


「……知ってるよ」

「今の時代にナレーターを目指しても、それはもはやナレーターではありません。せいぜいが文化的資本に恵まれた金持ちのボンボンのお遊びです」

「ぐっ……」


 そりゃ私は恵まれているけど、もう少し言い方ってものが……。


「覚えていますか? 北陸旅行で訪れた恐竜博物館。墓場から掘り起こされ、見世物にされる哀れな者たち。やっていることはあれと同じです。過去の栄光にすがり、沈んだ太陽を引き戻そうと涙ぐましい努力を続けている」

「なんなの、もう」


 口では反発したけど、フジ子さんの言うことも分かる。


「この時代、ナレーターになることとは旧来のナレーターになることではありませんし、ナレーションでAIに勝つことでもありません。AIの支配下でナレーターとして存在すること、それがナレーターになるということです」


 彼女は、私をまっすぐに見据えて言った。


「つまり、脱ぐしかありません」




 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「え……今更……?」


 驚き半分呆れ半分のような友人の反応。こちらは驚き100%で対抗する。


「ちょっと待って。ずっと思ってたってこと?」

「そりゃそうでしょ」


 六ちゃんがキーボードから手を離し、口を半開きでいつもの眠たげな目をこっちに向けた。


「今どき東京から大阪まで移動するのに歩いて行こうなんて特殊人類だけでしょ」

「そ、そこまでじゃなくない、よね……?」

 

 放課後の部室には、放送部の部員が勢揃いしていた。と言っても私と六ちゃんだけ、輝かしい過去の栄光に比べさみしい限りだ。部室に積まれた高そうな機材も、マイクすら必要ない今の配信環境では埃を被るばかりだった。


「AIなんて誰でも使えるんだから、あとはプラスアルファ。つまり脱ぐしかないでしょ」

「そんなフジ子さんみたいな……」

「いやーうらやましいなー、わたしはぬいでもゆかりほどじゃないからなー」

「ぐっ……」


 こんなひどい棒読み、なかなかない。


「作品で違いを作れないなら、他の部分で付加価値を出していくしかないでしょ。AIは脱げない」

『失礼な』


 長机の上でゴロゴロと丸まっていた猫が抗議の声を上げた。


『AIだって脱げます』


 今、全裸だからね。


『言っておきますが、本体も脱いだら凄いですよ?』

「ほう、うちのゆかりのワガママボディに勝てるとでも?」

『笑止』

「おっ、やるか? 行け、ゆかり! 『もろ肌さらし』だ!」


 そんな技は無い。


『飼い主の命令に従わないなんて、わがままなのは身体だけじゃないってことですか』

「やかましい」


 いくらでも理想の体型を追求できるアンドロイドに喧嘩を売って勝てるとは思えないし、人のボディを勝手にリングに乗せないで欲しい。


『まあ、私くらいになると脱がなくても凄いですが』


 フジ子さんが腹を上に向けて身体をくねらせ、あざといポーズを取る。ぐっ、人類が猫に勝つには今のボディを捨てるしかないのか……!?


『見てください、あの顔。普通に不満そうですよ』

「ああは言っても、やはりボディには相当な自身があるんですぜ」


 こ、この二人……!


「でもさ、完全にネタってわけでもないよ。ちょっと前にさあ、美人すぎる女子T大生AI小説家なる人物が話題になってたじゃん。あれなんかいい例でしょ。若い女、高学歴、おまけに顔がいい。市場に求められる付加価値全部盛り」

『若い女、サラブレッド、わがままボディ。年齢の分だけゆかり様の勝ちでは?』


 私のセールスポイント、圧倒的に下品じゃない?


「もっとあるじゃん、ほら、AIには無い発想とか」

「そういう牧歌的な時代はもう20年は前に終わってるんだよねえ」


 六ちゃんは備え付けのねこじゃらしでフジ子さんの頬をぺしぺしと叩きながら、つまらなそうに続けた。


「ナレーターはまだフィジカルの世界だしライブでの生身売りもできるけど、小説は悲惨だからねえ」


 六ちゃんは小説家だ。そしてこの時代、小説家とはAIを利用しながら小説を書く人を指し、AI抜きの小説家はいつしか純小説家と呼ばれるようになっていた。


 小説を書いてネットで公開し読者が読む、ここまでは小説家も純小説家も同じだが、小説家AIの本領発揮はそこからだ。何人読んだのか、誰が読んだのか、どこまで読んだのか――リアルタイムで読者の反応を分析し、リアルタイムで修正する。新展開で読者が多く脱落したと見れば即座にテキストを差し替え、人気が下降気味ならばテコ入れを施し、新キャラの脇役が評判ならばメインどころに昇格させる。昨日読んだ最新話が今日は全然違う内容になってた、なんてのはザラ、それが小説界の最先端だった。休むことを知らず、タイプライターを叩き続ける猿――小説生成AI「Apespeare」による創作は、その手法から猿回しとも呼ばれた。


 AIが書き、人間がジャッジするならまだいい。だが、時代は人類からその権利すら奪い去った。人々に許されたのはAIが生成した小説の下読み、最終的なGOサインを出すのは無慈悲な売上予想AIだ。


 ヨーロッパの偉い批評家は言ったという。「芸術や創造といった人間的行為から人間は排除され、消費という動物的な領域だけが残された」と。


 人間が芸術に介在する余地は、完全に失われてしまったのか?

 我々はもはや、哀れな中間管理職に過ぎないのか?


 実は、そうではない。作品におけるAIの直接的な寄与が大きすぎると、著作権が認められないのだ。だから人間が適度に手を入れ、それを証拠に残し、自分が権利者であると主張する必要がある。



 人間の役割は名義貸しである――



 これが、人類のたどり着いた結論だった。


 もはや創作はAIという暴れ馬を乗りこなすこととを通り越し、そのおこぼれを拾い集めることを意味するようになった。


 生成AIが登場したての頃は「AIが上げてきたのを選んでるだけだからクリエイターを名乗るな」との意見が出ることも多く、「なるほど」と同意した一部の人達はAIディレクターやAIキューレーター、ハイパーマルチメディアAIクリエイターを名乗ったりもした。他にもプロデューサーやトレーナー、ドクター、先生、騎士、団長などよく分からない役職を自称する人も多かった。今では「作者」は著作権者の意味だ。


 六ちゃんが利用している小説投稿サイトでは、「作者」の寝ている間にも更新が行われ、「作者」の知らないキャラが登場し、「作者」の知らない作者と登場人物があとがきで対談している。それが普通なのだ。売れ線の作品がお互いを参照しまくったため、ランキング上位に同じような設定、同じようなキャラ、なんなら主人公やヒロインの名前まで同じ作品が並んだ、なんて笑い話もあった。


 まあ、その変は合成音声のほうが露骨かもしれない。有名人の声に似せるためのパラメーター設定が出回り、今もどこかで「誰かにとてもよく似ている声」が流れて続けているからね。他にも3Dのモデルは全部数値だからあっという間に解析されるし、ゲームなんかは少しでもヒットするとそれをAIにプレイさせてAIに分析させAIにパクらせ画像や音楽だけ差し替えた(もちろんAI製だ)だけの、どこかで見たような、具体的にはついさっき見たようなゲームの海賊版まがいの製品であふれている。音楽だけは特殊で、作曲AIにより幾つものジャンルが開拓され百花繚乱だという。ただ、それも最近は行き詰まりぎみなんだとか。


『いいですか。現代における作者の意味とは、作品以外の情報を提供することで作品に付加価値を与えることです。作品それ自体だけを鑑賞するようなマニアはごく少数、大多数は作品外の情報込みでたのしむわけですから。最近話題の大ヒット作品であるとか、好きな作者の最新作だとか』


 フジ子さんが高速で猫パンチを放つ。


『さて、ここに全く同じ内容の本が2冊あるとします。片方は作者が北関東在住の三十代男性、もう片方は海外有名大卒で3ヶ国語を操り見目も麗しい24歳男性弁護士。さて、どちらが売れると思います?』

「うっ……」

『黒髪ロングの箱入り娘で清楚な現役女子高生(巨乳)、どちらが売れると思います?』

「そんな設定反則でしょ」


 凶器を持ち出すなや。


『創作はAIが担う以上、作者の役割は宣伝素材にしかありません。人気俳優を出さないと映画は見てもらえず、アニメをくっつけなければ音楽は聴いてもらえない時代です。メディアミックスは当たり前で、作者もまたメディアなのです。そして、一番の広報は脱ぐことです』


 フジ子さんは体を起こし言った。


『人間がAIに勝てるフィールド、それはヨゴレ』


 それは勝ってるのか?


「そもそも、グラビアもヌードもヨゴレではないし」

『じゃ、上着から脱いでみよっか』


 なんで急に気持ち悪い感じになってるの!


『ヨゴレでないなら脱げるはずです』

「脱ーげ! 脱ーげ!」

「いや、脱がないから……」

『全く、わがままですね……ボディ――

「それはもういいから!」


 どうしても脱ぎませんか、フジ子さんは目を閉じた。


『仕方ありません――お触りできるナレーター、これでいきましょう』

「キャバクラじゃん!」


 いきましょう、じゃないよ。


 バーチャルキャバクラ、というのはすでにある。ネット越しにたくさんの異性、または同性と会話したりゲームしたりお酒を飲んだりするサービスだ。


『先日有罪判決が下りましたよね、生身のキャストだと思って貢いでいた相手がAIだったと訴えられたキャバクラに。つまり人間キャバクラは需要があるのです』

「脱ーげ! 脱ーげ!」

『人間としての需要、それは触れるだとか臭うだとか色々ありますが、究極的には女を手に入れること、それ自体が価値として認められているからですね。結婚という当たり前をこなし社会的な地位を確立したい、男社会での競争に負けたくない、一人の男として自分自身を認められたい、そういう需要です』

「AIはこんなに進化しているのに、人間社会はちっとも進まないね……」

「脱ーげ! 脱ーげ!」


 六ちゃんは脱衣AIに進化した。


『トロフィー売り、これが今のはやりです』


 実に嫌な流行りだ。


『脱がぬなら……脱がせてみせよう、脱衣AI』


 真面目に最悪だしガチの社会問題なのでやめてほしい。


『人間の強みは生身であること。生身を売りにしていくしか無いのです』

「嫌な強みだなあ」

『生身、生肌、生乳を売りにしていくしか無いのです』


 実に嫌だなあ……。


『生身生肌生乳、これ早口言葉になりません?』

「ハラスメントにはなると思うよ!」

「脱ーげ! 脱ーげ!」

『脱ーげ! 脱ーげ!』

「ハラスメントになると思うよ!!」


 作者が脱げコールをしている間にも汗水たらして働いている小説AIに私は同情した。


『大丈夫、脱ぐだけでいいんです。喋りなんてAIに任せておけばいいんです』

「それ、私がやる意味ある?」

「先っちょだけ、先っちょだけ脱げばいいから!」


 より悪いわ。


 (だけど、確かに)


 彼女たちの言うことも一理あるのだ。今の時代、ただ喋りを訓練しているだけではナレーターにはなれない。そもそもキャリアパスがない。動画でも投稿して、自分で道を切り開くしか無いのだ。


「……分かった」


 鳴り止まないシュプレヒコールの嵐の中、私は決断した。


「やる。配信者をやる」


 やるしか無い。例えそれが、AIに頼った修羅の道でも――


「おお、ついに決心を」

『ゆかり様、こんなに大きくなって……』

「焚き付けたんだから、二人にも協力してもらうよ」


 私達はお互いの顔を見合わせると、静かに頷いた。


『18歳以下では制限がきついですし、お母様の名義で登録しますか』

「ゆかり。退学しても私達は友達だよ」

「やかましいわ」



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 後日、ひとりのVTuberがひっそりとデビューした。正体は完全不明で、SNSのアカウントもなし。3DモデルはAI、チャンネルロゴもBGMもAI、だけど声は、声だけは完全無加工の本物。生身売り、だけど声はバリバリに加工しているVtuberが多い中で完全な異端、真逆の存在。

 初々しくもしっかりとしたナレーションで名作を朗読する動画を淡々と投稿し続けた彼女は、その地道な活動がたまたま有名アカウントの目に止まって拡散され、それなりの話題になり、瞬時にAIにコピーされて大量生成された類似動画に埋もれひっそりと消えた。

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脱・AI 一河 吉人 @109mt

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