第2章: 「老いし虎、再び牙を研ぐ」
佐藤凛は、自宅の書斎に足を踏み入れた。普段は孫との写真や園芸の本で彩られたこの部屋が、今や最先端の作戦本部へと一変していた。凛はエルメスのスカーフを首元から外し、髪をきりりと一本に束ねる。その仕草には、かつての特殊部隊員の気配が漂っていた。
凛は、長年使っていなかった特殊な通信機器を起動させた。画面に現れたのは、元同僚たちの顔だった。
「やぁ凛、相変わらず美しいね。年齢を重ねるごとに磨きがかかるってわけか」
画面越しに話しかけてきたのは、元上司の田中だった。
「あら、田中さん。あなたこそ、禿げ上がるごとに輝きを増してるじゃない」
凛は軽やかに返した。
そこには、長年の付き合いから生まれる温かみのある皮肉が込められていた。
「さて、無駄なお喋りは後にしよう。状況は把握したよ。都市の監視カメラ網へのアクセス権はすでに確保した。あとはきみの腕次第だ」
田中の言葉に、凛は頷いた。彼女の瞳に、鋭い光が宿る。
「ありがとう。昔取った杵柄、まだ使えるかしらね」
凛は言いながら、スマートウォッチを起動させた。そこには、街中の監視カメラからのリアルタイム映像が次々と映し出される。
「おや、凛。その腕時計、ずいぶんハイテクじゃないか。孫からのプレゼントかい?」
別の元同僚、佐々木が冗談めかして言った。
「ええ、そうよ。でも、中身は私たち特製のものにカスタマイズしてあるの。今時のおばあちゃんは、こうでなくちゃね」
凛は微笑みながら答えた。その表情には、テクノロジーを操る自信と、孫を思う優しさが混在していた。
凛は映像を分析しながら、街を歩き始めた。外見は普通のおしゃれなおばあちゃんそのもの。ラルフローレンのカシミアカーディガンに、ゆったりとしたリネンのパンツ。足元はコンフォートシューズだが、その中には最新の追跡装置が仕込まれていた。
彼女は、まるで散策を楽しむかのように街を歩きながら、実は犯人たちの足取りを巧みに追跡していた。時折立ち寄るカフェや本屋は、実は情報収集の拠点だった。
凛の鋭い観察眼は、街の些細な変化も見逃さない。不自然に駐車された車、やけに人通りの少ない路地……。それらの点と点を結びつけ、犯人たちの動きを予測していく。
「凛、北東の倉庫街に不審な動きがあるわ」
耳に仕込んだイヤホンから、元同僚の冴木の声が聞こえてきた。
「ええ、私も気づいたわ。でも、まだ確証は得られていないわね」
凛は優雅にお茶を啜りながら、小声で返答した。傍目には、ただのお洒落な老婦人にしか見えない。
調査を進めるうちに、凛は驚愕の事実に気付く。この誘拐事件の背後には、国際的な産業スパイ組織が存在していたのだ。新薬の情報が国外に流出すれば、国家の安全保障にも関わる重大事件となる。
「みんな、これは想像以上に大きな問題よ」
凛は通信機器を通じて仲間たちに状況を説明した。
「おや、凛。君の孫を救うミッションが、いつの間にか国家の危機を救うミッションになったようだね」
田中が軽口を叩く。しかし、その声には緊張感が滲んでいた。
「若い頃を思い出すわね。でも今回は昔と違って編み針を武器にするかもしれないわよ」
凛はユーモアを込めて返したが、その眼差しは鋭く、決意に満ちていた。
やがて、凛は犯人たちのアジトが古い倉庫街の一角にあることを突き止める。夕暮れ時、凛はその倉庫の前にたたずんでいた。ディオールのトレンチコートの襟を立て、周囲を警戒する。
「ここね……」
凛は静かに呟いた。その瞳に映る夕陽は、まるで彼女の決意を象徴するかのように赤く燃えていた。
「見ていて御覧なさい。年輪を重ねた樹こそ、最も強くしなやかなのよ」
凛は小さく微笑んだ。その表情には、これから始まる戦いへの覚悟と、孫を救出する強い意志が刻まれていた。彼女は、静かに倉庫へと歩みを進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます