第2話

 高校3年生の生活2日目。学校に到着したのは、朝のホームルームが始まる30分前だった。30分前だとまだ教室には誰もいない。バッグを机に置いて化粧室に向かう。学校に来たらすぐに手洗いとうがいをすることをいつもしている。一番早く来ているのは、うがいをしているところをあまり見られたくないからというのがあった。教室に戻ったら座って小説を読む。これが高校1年の頃から続けているルーティンだ。ただ、今日はいつもと違った。

「ねえ、ねえ、さくちゃん」

いつもと同じように小説を読もうとしたとき、声をかけられた。振り返ると2人の女子が立っていた。2人の名前は園田さきと木澤薫。さっき話しかけてきたのは多分さきのほうだ。高校1、2年生のときに同じクラスだったためお互いに認知はしているが、特別に仲が良かったわけではないので何で話しかけられたのかわからなかった。

「私たち、さくのことが心配できたんだよ」

ものすごく信じられない言葉だった。まず、目が相手を嘲笑っているように光を反射させていた。それに、そもそも私たちはお互いをほとんど何も知らない。私が知っているのは2人が2組の男子と付き合っているということだけだ。始業式の日に、廊下で3人がクラスの表が張り出されていた玄関の前で一緒のクラスになったことを喜んでいたのを覚えている。

「何が心配なの?私がそんな不安を抱えているようにみえた?」

「ウソ?知らないの?」

「ヤバいって、それは」

 2人は私を見て大声で笑い始めた。なんとも不快だ。私がなにか変なことをしたわけではない。私が知らないことをいいことに2人だけでわかり合って笑っている。勝者が弱者を見て笑うかのように。

「何でそんな笑ってるの、気持ち悪いから私の何がそんな面白いのかはっきり言いなよ」

「え、どうしよう。薫、私の代わりに言ってくんない?」

「さくさぁ、まゆちゃん付き合い始めたの知ってる?渡辺まゆちゃん」

渡辺まゆという人物について、少しは知っていた。去年同じクラスで運動が抜群にできる可愛い子だったが、付き合っていないというのは知らなかった。

「それが、どうしたの?おめでたいね、っていう話?」

「違うよ、だから私たちは心配できてる言ってんじゃん」

話が全くピンとこない私は、素直に「どういうこと?」と聞いた。

「本当に知らないんだ。この学年で彼氏いないのあなただけってことだよ」

私に衝撃が走った。他人に興味がなくて、恋愛事情なんて知らなかったからそんなことを言われるなんて、予想もつかなかった。私は、すべてを理解した。これは、心配という名のいじめ。女子のなかで唯一彼氏がいない惨めな私を、嘲笑いに来ただけだ。多分、彼女たちは私が普段から1人なことを知っているし、朝早く誰もいない教室にいる。いじめるには格好の餌だ。

「本当にどうすんの?私たちはもう高3だけど。社会人になってからでも良いけど、高校のときに付き合ったことないはきついよ」

「でも、女子でもまともに仲良い人いないんだから、彼氏なんて無理でしょ」

「薫、あんた失礼すぎでしょ」

 2人の笑い声はどんどん大きくなっていく。私の目が、潤み始めた。今でも泣きそうになっていたが涙をこらえていた。涙の訳は、辛いというのもあったがそれ以上に怒りの方が強かった。

 宮下は、カバンを持って急に勢いよく立ち上がった。その勢いに椅子が後ろの机にぶつかり大きな音がなった。

「うわ、びっくりした」

「怖......」

 宮下は、玄関に向かって駆け出した。たくさんの登校してくる生徒たちの流れに逆らってがむしゃらに走った。家へ帰り、ベッドに向かって倒れ込んだ。あのときの怒りをぶちまけるように、うつ伏せになったまま叫んだ。腹に抱え込んだストレスをすべて吐き出したことで今まで出したことがない大きさの声になり、自分でも驚いた。

 何度も「しょうがないじゃないか」とつぶやいた。私だって、“普通”の子で恋愛がしたかった。ただ、私はノンセクシャルなのだ。

 ノンセクシャル。恋愛感情はあるが、性的な惹かれを感じない人。

 LGBTと同じセクシャルマイノリティのうちの1つだ。私は、何度も好きだって思ったことがあったし、告白されたことだってあったが、そのたびに自分がノンセクシャルであることが自分の恋をした。付き合う2人は、交際を経て、お互いの愛が確認できたらセックスをする。そんなことを知ったのは、中学生の頃だっただろうか。初めて、セックスのやり方を知ったときは驚いた。身体中が震えた。正直に「なんで、みんなこんなことをするんだろう?」と思った。なんで、セックスが怖いと思うのかは自分でもよくわからない。自分が男性になにかトラウマになるようなことをされたわけではない。ただ、単純に怖いと思うだけ。保健体育の授業なんてまともに受けられなかった。性器の話なんて、聞いているだけで手の感覚がなくなっていくような震えを感じて、耳をふさいでいた。保健体育は、唯一の赤点だった。補修を受けてなんとか進級できたが、本当に辛かった。

 でも、自分がおかしいのはよくわかっている。男女が惹かれ合うのは、生物が生きる目的である子孫を残す、つまりセックスをするためだからだ。私は、セックスはしたくないけど、恋愛したい。一体、なんのために恋心があるのかわからなくなる。セックスできないなんて男の子に言ったら、どう思われるかわからない私は、今まで告白をしたことも受け入れることもしなかった。恋愛感情が辛く、苦しかった。

 結局、何もしないまま夜になってしまった。今日、出席をしなかったのは、体調不良であることにした。

 明日のために早く寝ないと。

 ベッドの上でいつも自分が恋愛する方法を、毎晩考えているうちに眠ってしまう。これが宮下の夜のルーティンだった。だが、今日は恋愛しない自分を肯定していた。

 身長小さいし、帰宅部だからあんまりモテない人間で良かった。

 こうするしかない。恋愛したいと思っている自分を隠していくしかない。

 次の日、私は学校に行くことにした。一番は、親に心配をかけたくなかったからだ。今は泣かないようにしよう、そう決意した。

 いつもと同じように30分前に登校し、手洗い、うがいを済ませ、教室に戻った頃にはもう2人は私の席のところに立っていた。机に何か書いているのが見えた。どんなことが書かれているのかはだいたい想像がつく。私が机に戻ってきたときに、さきが話しかけてきた。

「今日、学校来たんだ」

「流石に来ないと思ったよね」

 なるべく彼女らの言葉を聞かないようにする。ホームルームが始まるまで辛抱だ。今日は30分前に来ずに、みんなが来るくらいのタイミングで来れば、彼女らとかかわらずに済んだ。ただ、それだと彼女らに負けたままだと思った。それが、ものすごく嫌だった。ここで、彼女らの声が私には届いていないことを証明する。

「ねぇ、強がんのやめなよ。効いてませんみたいな顔してさぁ」

「じゃあ、さくちゃん、読み聞かせしてあげるよ。見て、これ。保健体育の教科書持ってきたの。」

 その瞳は、悪魔を宿した恐ろしい紫色の瞳だった。保健体育の授業が、高校1年生で終わりだから、高校3年生が持って来ているわけがない。つまり、私を苦しめるためだけに持ってきたということだ。

「なんで、どうして」

「そんなの、同じクラスだったからわかるよ、保健の授業のときつらそうだったの、誰から見てもわかるよ」

「えっと、じゃあ、ここ読もう」

 薫が読み始めようとしているときだった。教室の扉の方から誰かが「おはよう」といって入ってきた。その声は、暖かみがある昨日ずっと話したいと思っていた人の声。

「あれ?こんなに来るの早い人いたっけ」

「今日は、宮下さんと話したかったから早く来ただけ」

 少し恥ずかしいセリフを、あたかも普通かのように言ってしまうところが東くんらしくて少し笑いそうになってしまった。後、こっちが恥ずかしいから少しむかつく。

「さき、教室戻ろう」

 2人は速歩きで2組の教室に戻っていった。

「ありがとう」

 涙が止まらなかった。

「宮下さん、来るのいつも早いって聞いてたから20分以上前に来たけど、もういるし。どんだけ早いんだよ」

「なんで早く来てくれたの?」

「だから、宮下さんと話したかったからだよ」

「ふーん、じゃあ、そういうことにしといてあげる」

「そういうことにしといてあげるってなんだよ。まるでウソついてるみたいな」

「東くん、耳赤くなってるよ」

 東は慌てて自分の耳を手で隠す。

「え?なんで赤くなってんの」

「うるさい」

「東くんも動揺することあんだね」

「いいだろ、そんくらい。別に。」

「あれ?なんで私が早く来てること知っての?」

「渡辺さんに聞いたんだよ。去年一緒のクラスだっただろ」

「うん。渡辺さんと仲良かったんだ」

「いやー、実は湯沢が渡辺さんと付き合い始めたんだよ......」

 私は、少しホッとした。東くんが渡辺さんと付き合い始めたのではないかと一瞬よぎったからだ。それはそうと、まさか付き合い始めたのが、湯沢くんだったとは少し驚きだった。

「それで、教えてもらったんだ」

「ウソ。まあ、湯沢くんモテそうだなって思ってたけど」

「それより、前話した日の続き。教えてくれたドラマ見てきたんだよ」

「本当?これさぁ、.......」

 昨日話せなかったことまで、一気に話した。授業以外はほぼずっと話し、あっという間に時間が過ぎた。


 今日の夜、いつものようになにか考えながら横になる。今日は興奮してあまり寝れなかった。東くんが助けに来てくれたのが、今でも脳でフラッシュバックされる。それと同時に、ひとりで立ち向かおうとしたのは間違いだったことに気づく。

 妊娠している女性は、電車などで蹴られることがあるという。お腹が大きくて、座ると幅を取ったり、気を使わないといけないからだ。さらに、妊娠中だから反撃されることはない。完全な弱いものいじめ状態だ。ただ、ある条件を満たせば蹴られない。それは、夫が隣にいることだ。

 今日の私は、妊婦さんだ。反撃するほどの勇気も力もないし、相手は2人で完全に不利。そんなときに来てくれたのが、東くん。って、あれ?これだと、まるで私が東くんと結婚したいみたいになってる気がする。私ってもしかして東くんのこと好きなのかな。初めてできた仲良く話せる関係だし。話しかけてくれるのが、嬉しかった。学校生活に色がついたような感じがした。そうか、だから私は始業式の日、モヤモヤしてたんだ。

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