場面.6「カフェテリア」
右手にチケットを握り締めたままアリスは目を開いた。すると眼前にはマザーシップが教えてくれたカフェテリアが現れていた。
手前には入口があり、受付らしき人物が一人、こちらに視線を向けて立っている。近づいてチケットを見せると、その人物は物静かな口調で「いらっしゃいませ、アリス様」と言いながら、何やらアリスの応答を待っているような仕草をみせた。
少し戸惑いながら「このチケット、使えますよね」と言うと、「はい、ですがもうひと方、同伴のお連れ様とでなければ、ご利用いただけません」と言って、アリスのチケットを指し示した。
そこでアリスが改めてチケットを見ると、そこにはアリスの名前以外にもう一人、知らない名前が併記されていた。それを見て思わず辺りを見回したが、そこには受付とアリス以外には誰もいない。
そのまま立ち往生しているアリスに「ドロシー様もご利用になられますか?」と受付が言うと「ドロシーという人は知り合いにいないけど、どうすればいいでしょう」とアリスが言うと「あなた様がドロシー様であれば良いのです」「え?」とアリスは、私はドロシーなんかじゃないけど、と思ったが、流れに任せて「はい、それなら私がドロシーです」と言ってみた。
すると受付は丁寧な会釈をして「ようこそいらっしゃいました。どうぞごゆっくりお寛ぎ下さいませ」と言いながら、行く手を塞いでいたその体をずらして、アリスを招き入れる仕草をした。
なんだかエリアが壊れているのかも知れないと思いながらも、とりあえず中に入る事にしたアリスを、中央の大きなテーブルまで案内した受付は「どうぞ、おかけ下さいませ」と椅子を一つ引いて、アリスの席を用意した。
「ありがとう」と言って腰掛け、何かお茶の名前を告げようとすると、アリスの前のテーブルにティーカップが現れ、そこには澄んだ琥珀色のお茶が既に注がれており、そこから立ち昇るアールグレイの香りが、アリスの鼻腔をくすぐった。
これは仮想のお茶なのだと思いはしたが、とにかくそれを口に含む事で、気持ちを落ち着けたいと右手でカップを取り口元まで運ぶと、それは紛れもなく、丁度いい熱さのアールグレイ・ティーだった。ここへ来て初めて口にしたその飲み物には、申し分ないほどの実感があり、アリスはそれに満足して、ほっと肩の力を抜いた。
するといつの間に現れたのか、同じテーブルを囲む他の椅子に、二人の人物の姿がある事に気が付いて、アリスはカップを手にしたまま、唖然として目を丸くした。
そんなアリスの表情を全く気にかけていない様子で、一人がアリスのカップを指しながら「それなーに?」と言った。「これは多分、アールグレイだと思うけど」と言ったアリスは、カップを取り落としそうになり、慌てて左手でカップの底を支えた。
するともう一人の人物が「カルテカよ。びっくりさせたみたいだぞ。初対面というのは挨拶から始めるものだろ」と言いながら「はじめまして。自分はアロノン。こっちはカルテカ」とアリスに会釈した。
アロノンと名乗った人物は、とんがり帽子をかぶった青年。カルテカと紹介された人物は、丸いニット帽を被った、どこか子供っぽい女の子に見えた。
アリスは慌てて「あなた達って、モノフォシス?」と言いながら席を立とうとしたが、二人の姿をよくよく見て思いとどまった。見た目には融合体の時計ウサギみたいな禍々しさは無く、ごく普通の、カフェテリアで居合わせた相席の客の姿そのものだと思い直したからだった。
更には相手がこちらの自己紹介を待っている様子を見て、少なくともIDを読んで勝手にこちらの名前を言うような事はしなさそうだと感じ「アリスです」と会釈した。よろしくという言葉までは出てこなかったが、正直嫌な感じはしていなかった。
互いに挨拶をすませている間に、ニット帽のカルテカの手には、いつの間にかカップがあり、そのお茶を飲んだ彼女は「これお薬?」と、渋い顔でアリスを見た。
確かにアールグレイはクセがあるかなと思いながら「薬じゃないけど、お口に合わないご様子ね」と、少し大げさに言うと、とんがり帽子のアロノンが「カルテカは何でも試すのがスキなのさ」と、肩を竦めて微笑んだ。
アリスはカフェテリアの内装をチラリと見回しながら、よけいな詮索は止めよう、少なくともこの場所はそんな心配は要らないエリアに違いないと緊張を解いた。
アリスがカップの残りを飲み干してそれをテーブルに置くと、カップは直ぐに新しいお茶で満たされたが、驚きは無く、むしろ便利ねと感心した。アリスはすっかり落ち着いて、何か二人と話でもしてみようかという気分にさえなっていた。
さてそれで実際、何を話せばいいだろうと思う間に、ニット帽のカルテカが「モノフォシスってなーに?」と身を乗り出して、好奇心でワクワクしている子供みたいに、アリスの目を見てその答えを持っていた。
改めてそう聞かれると、簡単には説明できそうもないと思ったアリスが困惑していると、とんがり帽子を被り直しながら「アリスにも良くわからないらしいぞ」と、アリスからカルテカに視線を移しながら、アロノンが助け舟を出した。
そう言われたカルテカは勢いよく右の人差し指を立てて「分からない事はビブリアンに聞くのが一番!」とはしゃいで見せて、それにはアロノンが「お前、どんだけビブリアンがスキなのさ」と合いの手を打った。
だがこれで、今度はアリスに質問の機会が巡り「それって何?」と素直に聞いた。
ニット帽をぐにぐにしながら「頭が本のビブリアン。知らない?」とカルテカが言うと、アロノンが「ロボみたいな変なやつら」と言葉を足した。
「ロボ?」と思わず返したアリスは内心、それって今で言うレドロンみたいなやつの事?と思いながら「それに聞けば何でも分かるの?」と会話を進めた。
すると「会えば分かるから会いに行こう」と身を乗り出して言うカルテカに、それは会えば分かるのか、それとも会えば分かるかどうかが分かるのか、と言いかけたアリスに、アロノンが「とにかくこいつは、ビブリアンがスキなのさ」とまた言った。
頭が本の形というのが気になって、不気味な姿を想像したアリスだったが、怖がっていない二人を見るに大丈夫そうだとも思い「どうすれば会えるの?」と聞いた。
するとカルテカが「先ずここから出発する事」と、まるで旅にでも出るかのような言い方をして「それはそうに違いない」とアロノンが続け、二人がアリスに視線を注ぐ形になった。
つまり私次第という事ね、とアリスは思いながらカップを取ってふと見ると、なみなみと注がれたお茶に天井の空が映っているのが目に止まり、海砂漠で見たそれとは違うその青さに、ここは本当に、百年以上前に閉鎖されたメタバリアムの中なのだろうかと思ったが、いつまでも答えが見つかりそうもない物事に、振り回されている自分の迷いを振り払うように、勢いよく「一緒に会いに行ってくれるの?」と言った。
「聞きたいことがあれば必ず会える。それがビブリアンというものよ」と言いながら勢いよく椅子を降りて、ゲートへと歩き出したカルテカは、確かに小柄な子供みたいな姿だった。
慌てて二杯目のカップを飲み干して立ち上がったアリスを見て、アロノンも立ち上がり、三人はゲートへと向かった。
するとあの受付がアリスに向かって「精算なさいますか?」と聞いてきた。「もしかしておカネとかが必要なの?私がいた世界では」とアリスが言いかけると「自分で精算すればいいんだよ」とアロノンが後ろで言った。
振り向こうとしたアリスに受付が「左様でございます。ドロシー様はドロシー様で精算すればよろしい事で御座います」と言って、アリスからチケットを受け取る仕草を見せた。
アリスは小声でアロノンに聞いた。「ドロシーで精算するってどういう事?」するとカルテカが「ドロシーがアリスから無くなるの。だって精算されるんだから。」
困惑しているアリスにアロノンが「大丈夫。君が無くなる訳じゃないからね」と背中を押して、アリスは言われるままに、チケットを受付に手渡した。
すると受付は来たときと同じように、体をずらして道を開け三人を通しながら、深々と頭を下げて「ご利用ありがとうございました」と言った。
またおいで下さいませ、とは言わなかったのが気になったが、そういえばチケットは一枚きり、これで使い終わってしまったのかと、少し急ぎすぎたような気持ちになったが、一連の急な展開に付いていくだけで精一杯だったアリスは、ここを出て進んだら、マザーシップに戻るのでは?と漠然と考えていた。
しかし実際には、そうはならなかった。
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