場面.4「奇妙な案内人」

階段を登りきっても、息は全く切れていなかった。何の疲れもなく、そのまま走り続けていっても、全然平気だとアリスは思った。


そこは階下と似たような装飾の真っ直ぐな廊下だったが、右側には部屋があるらしい間口が等間隔に続いていた。だがそこに何かがいる気配は無く、アリスは怖いとは思わなかった。


階段を登る間際にコンソリアンが応答した事で、もし仮にここで死んでしまうような事態になったとしても、それはゲームオーバーみたいなもので、ただ元に戻るだけなのだと考え、それが安心に繋がっていた。


だが最初の入口に差し掛かり中に目をやったところで、アリスは入口とは反対の壁に軽く背中を打ち付けて固まってしまった。そこには自分と同じくらいの背丈がある、人の形をしたものが立っていた。


それは人ではなく、真っ先にアリスの目に止まったのは、ウサギのような頭部と、高級なガラスみたいにキラキラした、二つの大きな瞳だった。


アリスは壁に張り付いたまま、その正体を確かめようと凝視している間に次第に冷静になり、黒を基調とした豪奢なドレス、次には前時代的な印象の帽子と奇妙な装飾、そして最後にはあの瞳へと視線を戻しながら、それは何かのアトラクション向けに仕立てられた人形なのだと想像した。


そんな直感的で機械的な観察の間に、気づけばその人形に近づいていたという事実を自覚したところで、不意に人形の視線がアリスを捉え、その口が喋り始めた。


「率直に言わせていただきますが、随分と不躾なことでありますな。」


言われたことの意味と、自分の相手への行動と、不意に喋りだしたそれという、同時に起きた複数の応答事項に対して、アリスは上手く短く言う言葉が思い浮かばず、すっかり返答のタイミングを逃したと思ったところに、相手が言葉を続けた。


「お見受けするに、ここへ来たばかりのお方という事で、お間違いないでしょうか?」


アリスは体をひねって入口の方を軽く指差し「はい、今そこの廊下の階段から」と言いかけた。だがそれよりも早く、またしても相手が先に言葉を継いだ。


「それにしてもです。初対面である者どうしの礼節というものを、貴女は全く持ち合わせていらっしゃらないようです。」


アリスは厳しい表情になり、そのまま言い返してやろうと思ったが、またしても自分の思考が、自分の口を塞いでしまった。というのも、少なくとも生物とは思えない姿のそれは、もしかしてレドロンで、それが発した言葉は全て中身の機械が言わせている決まったセリフなのではないかと思い、同時にその姿が、そういえばアリスの物語に登場するキャラクター達、ウサギ、帽子屋、それにそのドレスは女王、などをごっちゃにして作られた、やはりアトラクションの一部でしかないのではと思い至り、ここで初めて言葉を口にした。


「はじめまして。それに御免なさい。何かのハイブリッドさん。」


相手がレドロンなら、それが何を言おうと気にする事はないと、アリスは強気になって返答を持った。すると相手が思案する仕草をしたかと見ると、直ぐにアリスに視線を戻して言った。


「なるほど。つまり貴女は私を、ウサギ、帽子屋、女王の複合体だと考えた分けですね。違いますか?」


アリスは思考を読まれていると思い身を固くしたが、直ぐに考えを変えた。このレドロンは自分の外見がそれらの複合体だという情報を持っていて、この場合、私がそのデザインにハイブリッドという単語を充てただけだと推察した。レドロンならガイアードと繋がっていて色々な情報を読み出せるけど、人の思考は読み出せない。


アリスが相手の帽子に付いている時計を見ながら愛嬌をつけて「ご明察よ。時計ウサギさん」と言うと、相手は「いいでしょう。アリス様」と返してきた。


アリスは、もう驚かないわ、と思った。私のIDを読み出して名前を言っただけだと。なんだ、元いた世界とそんなに変わらない仕組みじゃない。ここはその仕組みを使って、ただし私が知らないインタラクトで、未完成な何かを作ろうとした世界。それとも作りかけている世界。


すると時計ウサギが言った。「認証しました。それではご案内いたします。私に付いて来てください」今度は出口行きの認証で、あっさり終わりということかな?と思いながら「どこへ連れていってくださるの?」とアリスが言うと、「すぐそこの部屋で御座います」と相手が続けた。


アリスが頷くと、時計ウサギはアリスの横を「失礼いたします」と会釈して通り過ぎ、入口を出て廊下を右へと進んでいった。すれ違いに帽子の時計を間近に見て、それが止まっている事に気付いたアリスは、それを伝えようかと迷ったが、相手の背中があっという間に見えなくなってしまったので、急いで追いかけた。


時計ウサギが着ているドレスの背中には、随分手の込んだ刺繍で、赤いハート型の意匠が散りばめられていた。それはつまりハートの女王という事だと納得しながら、でもそれにしては、女王ほどのキャラクターがただ服でだけ表現されているのだと思うと、なんだか軽く扱われているなと感じ、物足りなく思った。


しかしそれとは関係なく、アリスは思い出していた。そう言えばここへ来る時、何かを探してほしいとコンソリアンが言っていた。そしてその何かがこの先であっさり見つかって、やっぱりそれで終了という事かなと。


廊下にあるいくつかの、何も無い部屋の入口を通り過ぎたところで、時計ウサギは立ち止まり、その入口でアリスの方を向きながら、左腕を軽くあげて案内のポーズをとった。


アリスは心の中で、さようなら時計ウサギさん。もう少しお話してもよかったのになと思いながら、その入口を曲がると、そこには今までとは違う広い部屋があり、中央にはどう使うのか見当もつかない、自分の背よりも高い機械装置があり、中心部が微かに発光しているのが目に止まった。


アリスは入口で立ち止まり「あれは何?」と口にしつつも、内心ではあれもアトラクションの一部で、そのデザインは演出としては、ちょっと物足りないかなと、気持ちに余裕があった。


すると時計ウサギが答えた。「あれは融合機械です。」


「それは出口って事よね。」


「お言葉ですがアリス様。あれは出口ではなく、そのような例えを使うなら、むしろ入口です。それからアリス様。わたくしは時計ウサギではなく、シングルです。」


「え、何? 独身って事?」


「お言葉ですがアリス様。そのような例えを使うなら、それはむしろ既婚の方が、融合に近い単語かと思われます。」


ちょっと悪趣味なシナリオね。もしかして私、バッドエンドを選ぼうとしてる?でも、いいわ。この部屋がエンディングへのエントランスという事なら、それはそれ。やっぱりここは未完成な何かなんだなと思いながら、アリスはとてもゆっくりと中央の機械装置へと近づいていった。



つづく

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