きりのまち
@MagguMagu
第1話
2041年3月24日
まだ冬の残り香を感じる冷たい風が通り過ぎていく。
都市部を歩いていた。点灯していない信号機、 人通りの無い横断歩道
本来ならば喧騒の絶えない場所だったらしい
だがそれも昔の話、今では自分の呼吸音ですらうるさく感じられる程の静寂が支配している。ここは東京都渋谷区 渋谷駅前 スクランブル交差点 そのど真ん中だった。調達に出る時は必ずここを経由する。自分が享受出来なかったあの日々に、今では映像でしか目にすることが出来ぬあの日々に、瞼を閉じれば一瞬でも戻れたような気がするから。
『はぁ...』
溜息を付く。それも当然だろう。
周囲は暗く、日が差す気配はない。ここ数年間は太陽も拝めた試しはない。
遠くに目をやれば赤黒い壁が360度どこを見渡しても広がっている。
あれの中にまた入らないといけないのだ、気分も滅入ろうと言うものである
だが、自分が所属しているA8シェルターはここからあの赤い壁を抜けてしばらく行った先にある。覚悟を決めてバックパックから下げている防毒マスクを外すと気だるげに装着した。
赤い壁にちょっとずつ近づきながら装備を確認していく。使い込んだ得物が目に入る。アメリカ産、軍用の自動小銃である。銘はM14だったか、本来であればここにあってはならない武器だが、こんな感じの物は大避難の際に多く日本国内に流れてきた。今ではさして珍しくもないそれの動作を確認していく。
(減音器よし...動作よし...弾薬よし...セーフティ解除...やったるか)
準備もそこそこに憂鬱な気分を抑えながら俺は赤い壁に消えていった
---
抜けた先には赤黒い霧が広がる不気味な空間が広がっていた。
今ではすっかり見慣れたこれは
20年前に同時多発的に発生した世界中を飲み込み人類、その尽くを蹂躙した物。
まともな生物はこの中では1時間と持たず、短時間でも度が過ぎれば助からない程の後遺症が残る。そのための防毒マスクだった。霧は深いが見通しが効かないほどではない。おまけに、ここを通りたがる物好きのために一定間隔で光を発する棒状の目印も設置されている。迷いなく、同時に油断なく進んでいく。
暫く歩いていくと走る音が聞こえてきた。
(近づいてきてるな)
そう考えた俺はすぐに近くのゴミ箱の影に隠れる事にした。
足音の主はすぐに現れた。
「はぁ!.....はぁ....ぜぇ....」
男、顔は見えない、痩せ型、荒い呼吸、服に血の跡、武装は無いように見える
オマケにちゃんと人間だ。
同業者に違い無いとは思ったが、声はかけない事にした。非情と思えるだろうがこれが生き残る上で最も重要なルールだ
余計な事には首を突っ込まない
幸いな事に彼はすぐに走り去ってくれた。
しかし、物陰から体を出そうとしたその瞬間に感じた
(!...来る...)
いつもの感覚、その数瞬後に世界は一変した。それまで見渡せる程の薄い霧だったのが前方数メートルまでしか視界が効かないレベルの濃霧に変化する、その瞬間から俺は凍り付いたかのように自分の意志で体の動きを止め、完全に静止した。
そして、通り過ぎて行った彼の身にこれから起きる凄惨な出来事、その余波に備えた。
「ああぁァアアあッッ!いだい!いダい!アァッ!」
直後、空気を切り裂くようなその絶叫が響いてきた。この静寂では彼のその腹の底から絞り出すような叫び声は慣れていても恐怖心を最大限に刺激する。
(俺は大丈夫...俺は大丈夫...俺は大丈夫..俺は大丈夫..)
“アァアアあああアァァァアアああアアア!!”
「ヤべでぐれェえぇえアァッッ!!!」
“アァアアアァァァあアアあアアあアア!!”
“アァアアあああアァァァアアああアアア!!”
そして、彼の声を上書きするように獣の雄叫びのような野太い声が複数木霊した。
どれ程長い時間が経ったのかはわからない。彼の声は懇願の断末魔を最後に聞こえなくなったが、奴らの声は変わらずうるさく響いていた。飢えていたのだろうか、それも当然と言える。人類が生活圏の大半を奪われて以来、この赤霧に自分から入ろうなんて物好きは俺達の様なそれを生業にしてる奴ぐらいの物だろうから。あれらに飢えるという感覚があるかは知らないけれど、あると仮定すれば想像を絶するレベルに達しているというのは想像に難くない。
濃霧が途切れず身動きの取れない自分の物陰近くを奴らが通って行くのが視界の端に映った。
推定2メートル以上、全身真っ白で痩せこけていて長い四肢、そして顔があるはずの所に円状の暗闇が存在していた。イーター、霧と共に現れその名の示す通りただ目に映るその全ての生命体を喰い続ける。
こいつらの恐ろしい所はその容姿だけに留まらない。原理は不明だが霧の中であれば傷を付けた相手をマーキングし何処までも追いかけるしつこさ、濃霧の中にある限り近くの存在の動きを元に壁越しでも獲物を見つけられる探知能力、だが、真に最悪なのはそこじゃないだろう。当然奴らは人も喰う。しかし、あれに獲物を噛み砕く為の顎は存在しない。じゃあどうするか、奴らは人類を遥かに凌駕するその膂力で獲物を引き裂き、文字通り一口サイズにまで解体するのだ。どう足掻こうが一度捕まれば逃げることは許されず、凄惨な最後が約束されている。
奴らが去ったのを確認してしばらく経った頃、濃霧が急に晴れた。全身の力を抜きながらふいに自分の腰のホルスターの拳銃に手を触れた。それがそこにあると言う事だけで酷く安心感を覚える。こいつは自衛のためではない。奴ら相手に拳銃弾ではそよ風に吹かれた程度の効果しか見込めない。
これは...自決用だ
---
本来の目的に立ち返りシェルターへの帰還を続けていた。運搬してる荷物の重みが今更ながらずっしりと感じられて段々と辟易し始めている。
だが、幸いな事にさっきのあれ以降、イーターに遭遇する事なく道も8分目という所まで来ていた。濃霧に関しても同様である。もっとも...赤霧の中でしか発生しない天災とも言うべきアレに行き会うなんて1年に1回あれば良い方なので。それは当然っちゃ当然と言えるけれど。
あの凄惨な出来事から30分も経っていないと言うのに、酷く楽観的な気分になっている自分を俯瞰する。あれは本当に正しかったのだろうか...?と、無論「そういう世の中だから」といくらでも言い繕う事はできる。あそこで取った行動は自身の生存を考えれば間違い無く最適解だったと胸だって張れる。しかし、同時に考える「もっと他に何かしてやれたんじゃないか?」と、ああいった場面は今ではさして珍しくもない。こんな風に自分の行動の正否を自身に問うたのだって1や2度ではない。こんな思考は効率的に考えれば無駄なのだろう。けれど、同時にこうも思うのだ。
きっとこの残酷な世界で俺を俺たらしめ、あの怪物共と自身を隔てる物こそがこの無駄な思考であると。
等と考えているうちに目的地が見えてきた。スプレーで描かれた赤い矢印が両開きの重そうなドアに集中している。あそこを抜けて建物内を通った先が目的地のA8シェルターなのだが...クソったれな事に先客が居たらしい。
“アあー”
イーターだった。ここは袋小路、戦闘は避けられないと確信すると、気付かれないうちに手近な所に小銃の反動軽減用の2脚を展開し固定した。取り付けられた光学照準器越しに不気味ながらんどうの顔が映る。頭は丸ごと吹き飛ばせば絶命するらしいが、この銃では役不足、すぐさま心臓部に狙いを定め、躊躇なく引き金を引いた。
“アァッ!あァアッ!!”
減音器のおかげで幾分かマシになった乾いた銃声が周囲に数度響いた。
体から赤い血が噴き出し、奴は声を上げた。こちらの存在に気づき殺意を漲らせ向かって来ようとしたが既に後の祭り、致命部にヒットした複数の大口径弾によって、すぐに鈍い音と共に倒れ伏す事となった。
まだ油断はしない。足に1発、追加で心臓部に2発、確実にたたき込みながら回り込むようにしてドアに近づいていく。奴らは痩せこけている様に見えてもその中身は強靭だ。表皮は厚く大口径弾でも角度次第では貫通しない事もある。用心に用心を重ねるのは当然の事と言えた。ドアを背にし、後ろ手で開けて中に入るまで緊張は続いた。
『フゥ~....』
だが、さらなる先客が居たらしい。
ドアを締め切り、振り返った俺を2人の視線が捉えた。それだけだったらよかったが
やはり、問題はそのうちの1人がこちらに銃を向けていた事だろう
きりのまち @MagguMagu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。きりのまちの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます