第3話 失格以外の選択

 下には下がいる。そう思えるだけで安心することがある。その安心感は実家の羽毛布団のように。


 突然だが、あなたはある会社の営業部で営業マンをしている。会社では毎月営業成績がまとめられ、わかりやすく掲示される。今日は成績の貼り出される日である。


さて、あなたの順位は同僚20人中何位なのだろうか?





















 

 もしかして、最下位以外なら何位でもいいと思いませんでしたか?

 何故だか成績トップになる心配なんて誰もしない。みな一様に最下位になる心配だけしている。

 最下位だから何が悪いのか。この成績ランキングが2人だろうと1万人だろうと、1位と最下位は存在する。

 必ず存在する最下位になぜかなりたがらない。上を見て、1位を取るための算段をせずに最下位にならないための算段ばかりする。そうして、14位ぐらいに落ち着いて安心するのだ。

 時折稀有な人がいて、自分より上位者がいることに腹を立てて一位になる為の算段を立てるのだ。大抵の場合上位者を蹴落とす方向に動くのだが。そこから更に稀有な人は本当に自分の実力を磨き始める。だが大方の人間は「最下位じゃないそこそこのレベル」に安心する。

 最下位であることが恥ずかしいのだろうか?それとも、下位者に後ろ指を指していた自分が下位者になったことで「自分がしていたように周りの人間に後ろ指を指される」と怯えているのだろうか。

 人が作ったランキングだって結局自分がどこにいるかはお題目次第である。例えば初回で触れた野口英世は「明治時代で日本から一番離れた場所で活躍した医学者ランキング」では堂々の一位だろうし「明治時代で倹約家な医学者ランキング」では堂々の最下位だろう。そのように誰しも何かのランキングでは一位であるし、最下位でもあるのだ。無数のランキングのひとつの結果に怯える人生は、如何程か。


 元カリスマホストで実業家のローランド氏はよく「俺か、俺以外か」と言っている。その本質は「自分は自分でしかなく、他人は他人。自分の目の前の事にだけ集中すればいい。だって自分のことだから」その信条だからこそ結果を残せるのだろう。上も下も見ない。順位なんて他人の尺度は必要ない。自分のやりたいことをしてたら、たまたま結果に繋がっていただけのこと。

 書いていて自分が恥ずかしくなるぐらい強靭な精神力をお持ちだと思う。しかし同時にこうなりたいとも思う。


 失格の烙印を押す前にできることはたくさんある。押してからでも、上から新たな烙印を押してやればいい。

 未来は見えるはずがない。見える過去はただの誘惑でしかない。自分らしさはどこか、その答えは自分自身にしかない。

 

 他人の評価に溺れるな。自分の生きた証を残せ。



-了-

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人間みな失格 昆布尊師 @kakikuke_kombu

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