PRESENT

やなぎ

狂った恋の餌食になって。

吸うと寒さで鼻がつんとする。私の艶のある真っ黒な毛皮に、落ちてきた雪がさっと乗っかり、さっと 溶ける。今の時期のもみの木は一段と綺麗に見える。

周りの猫達は、次の満月の日にある『おくりもの』の話で盛り上がっていた。大切な猫に花や獲物を贈るというイベントだ。私はこのイベントが好きではなかった。何故他の猫のために、この時期貴重な花、ましてや獲物なんて贈らなきゃいけないのだろう?とも思っていた。


でも、今年は違う。『おくりもの』を贈りたいと思える猫ができたのだ。



                   *



今日もいつものように『壊れた空殺し』の時間になる。『壊れた空殺し』とは『壊れた空』と呼ばれる雄猫をどうにかして殺すという任務だ。私が生まれるずっと前から続いているが、私が最年長の猫になった今でも未だに殺すことができないでいる。過去の猫達も、今の私たちも、『壊れた空』を殺すために毎日厳しい訓練を受けているが、負傷者はもちろん、死者までも絶えず出る。

そんな危険な任務だ。

そんな危険な任務だけど、私はこの時間が好きだった。 好きになった。


彼の住みかは崖の上。どんな季節でも、どんな天候でも、年中柔らかい葉や鮮やかな花が生い茂っていて、年中雲一つない青空が広がっている。まるで若葉の季節とその暖かな陽気を閉じ込めているかのような崖の上。彼は、そんな鮮やかな世界に似合わない灰色の毛をしていた。彼は、そんな色とりどりの世界の中心で丸くなって眠っている。その様はまるで底の無い穴が空いているように見えた。

今回、私たちは3匹の小隊で『壊れた空殺し』を行う。私ともう一匹は草むらで身を隠しながら、標的めがけてゆっくりと回り込み、囮役のもう一匹は彼の正面にある草むらに身を潜める。私たちは気配を消して、音もなく標的を囲むことができたはず、だが、彼は何を感じ取ったのか、眠るのを止め、警戒したような顔つきで辺りを見回す。ふさふさとした尻尾の先も落ち着かなそうに動かしていた。

作戦通りに、囮役の猫はわざとらしく音を出して彼に突進する。『壊れた空』がその囮に気を取られてるうちに私たち2匹が後ろから応戦する――つもりだった。

囮役の猫はこのメンバーの中で一番持久力のあるタフな猫だ。それなのに、囮役が務まらないほど一瞬で死んでしまった。『壊れた空』の恐怖で満ちた鋭い鉤爪が囮役の猫を真っ二つにした。

それだけでは飽き足らず、応戦しようと駆け出してしまったもう一匹の猫も、彼の鉤爪に吸い込まれ、消えてしまった。

血を滴らせた彼の前足は赤い薔薇のように美しい。ああ、彼の怯えた子ウサギのような目、ネズミのように震わせる体、今にも壊れてしまいそうなその姿、全てが愛おしい。

 彼の青すぎる空色の目が私を見つめる。

  次は私が殺される?

   まだ貴方に『愛』を伝えられてない。

    だから、私はまだ貴方を殺せない。 

私は彼の姿を脳裏に焼き付けるようにまばたきし、この場を後にした。


 次また彼に会うのが楽しみだ。



                    *



『おくりもの』をあげる日まであと3日ほどになった。私も彼に『おくりもの』を贈りたい。だけど、花や獲物じゃつまらない。彼が一番欲しい物をあげたい。

だから今日は偵察に行く。彼の行動や言動を観察して、何を一番欲しがっているのか調べに行く。

彼のところに任務以外で行くのは初めてだ。


 相変わらずこの崖の上は不思議な世界が広がっている。目的の彼はすぐに見つけられた。彼は様々な生き物の死体――であろう肉塊で囲まれていた。死体の全てが鋭い鉤爪で切り刻まれ原型を残していない。きっとまた彼がやったのだろう。彼は体を震わせ、荒い息づかいで転がっている肉塊を見下ろしている。

「どうして、どうしてまた、血が流れているの?」

彼が恐怖でかすれた声で呟いた。

「僕は、僕はもう、死体なんて、血なんて見たくないのに…。」

暖かい風に乗って、肉塊の血生臭い匂いがここまで届く。

「どうすれば僕は、もう、死体も、血も見ずに、平和に暮らせるんだ…?」

彼はうなだれ、乾いた血で薄い茶色に染まった足を重そうに引きずりながら寝床がある森の中へと帰っていった。

 

 そう。彼は強すぎるのだ。おまけに臆病で、すぐパニックを起こして太く鋭い鉤爪をなりふり構わず振り回す。どんな生き物でも彼に近づけば木っ端微塵になってしまう。

 そんな彼が今一番欲しているのはきっと、血も、死体も見ずに済む平和な暮らしだろう。だが、そんなことは可能なのだろうか?彼の周りの生き物を全て殺すにはあまりにも多すぎる。


 それならば、この手なら…この手しか……



                   *



 満月が煌々と輝いている。吐く息が白く濁る。辺りからは猫達の獲物や花を持って大切な猫のことを呼ぶ甘く優しい声が聞こえる。

 贈り物を贈る日が来た。

私は賑やかな猫達の群れを抜けて、あの崖の上へと向かう。彼に、とっておきの贈り物を贈ることができる。きっと、きっと彼は喜んでくれるはず。

 ある猫の話だと、死後の世界というものがあるらしい。その死後の世界では何不自由ない、幸せな暮らしを過ごすことができるらしい。まあ、私はそんなものは迷信だと思っているが。


   だけど彼の一番欲しい物がそこにあるのでしょう?

 

 柔らかい葉が私の毛を撫でる。目線の先には月明かりで青白くなった彼が佇んでいる。

贈り物を贈るチャンスだ。

彼の喜ぶ顔を想像すると心が躍る。


はやる気持ちを抑え、私は

           一歩

            一歩

             ゆっくりと彼に近寄って行く。


いつものように、いや、いつも以上に、彼は怯えたような愛らしい目でこちらを見る。

「いやだ、僕は死にたくない。」

彼が動揺したような甘い声で呟くと、私に向かっていつものように素早く走り出し、力強く鉤爪を振り下ろす。


私はまばたきをした。

前足に少しだけ力を入れた。

私の鉤爪が何かを触った。

私の体に生暖かい液体がかかる。

彼の香りで包まれる。

鈍い音が辺りに響き渡る。


私の艶のある真っ黒な毛皮に、落ちてきた雪がさっと乗っかり、さっと 溶ける。


「あいしてる。」私は彼の耳元で囁く。

鮮やかな赤に塗れた彼はもう動かない。


今でも愛おしいその彼の顔は微笑んでいた――はず。

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