先輩VS中ボス

「……私はお姉ちゃんだから、やらなくちゃいけないことがたくさんなの」


 カツン、と。

 月夜に照らされた薄暗い別荘の廊下に、靴音が響き渡る。


「……妹はやんちゃだから面倒だし、生きていくにはお金を稼がなきゃいけない」

「で?」

「……だから、あなたをるのも必要なお仕事お仕事」


 クロエがゆっくりと、側面の壁に触れる。

 すると瞬きをする間に壁が消え───セリアの頭上に一枚の壁が出現した。

 それを、間髪入れずに糸を振るうことで裁断する。


「……糸が、あなたの武器なんだ。なんか、騎士らしくないね」

「そんなことはないさ」


 今度は、セリアが長く伸ばした糸を横薙ぎに振るう。


「本来、騎士は馬に乗る武士のことを指していた言葉だ。剣や槍、弓といった様々な武器を扱う人間が該当していたが、今となっては漠然とした剣のイメージがあるだけで、明確な定義はない」


 振るった糸は微細な振動を羽織ったまま、柱や壁に真っ直ぐ斬り込みを入れていく。

 触れればどうなるか? 紙のように斬れていく光景を見ていると想像に難くない。


「ならば、別にこんな変わり種がいても問題はないだろう?」

「……まぁ、別にいいけど」


 カツン、と。

 どうしてか背後から靴音が聞こえてきた。


「……だって、当たらなきゃ意味ないし」


 クロエの魔法は物体の転移。

 多少なりとも制限こそあるものの、自身の体、他者、周囲の物体問わず任意の場所へ移動が可能。

 故に───


「……こういうことも、できる」


 懐から試験管を取り出す。

 中身は分からない。しかし、赤紫色の液体がセリアの背筋に悪寒を走らせた。


「悪趣味な……ッ!」


 反射的に、セリアは背中に張った糸を引いて後ろへ下がる。

 すると、元いた位置に赤紫色の液体がぶち撒けられ、床が腐敗したかのように溶けていた。


「まったく……油断も隙もないな」

「……油断なんて、することないでしょ」


 クロエは壁に触れる。


「……今日までずっと、油断なんてできなかった。少しでも気を抜けば淘汰される。生きられない」


 頭上に現れる壁。一枚斬れば二枚目が襲いかかってくる。

 糸を振るっても、気がつけばただ後ろへ姿を見せるだけ。


「……可愛い可愛い妹と二人一緒にいるためには、いつも本気。やらなきゃいけないことを、ただ全力で行うだけ」


 捨て子には頼れる場所も相手もない。

 子供であろうが、気を抜けば搾取され、傷つけられ、すべてを失う。

 ───自分達さえ生きられるのであれば。

 他者に容赦はしない。他者のすべてを奪ってでも、自分の世界を守る。


「……甘々な世界で生きているあなた達には分からないよね? でも、大丈夫……理解してもらう必要はない。いつも通り、こっちが搾取するだけ」


 壁、ではなく次に現れたのは、なんてことのない小石。

 セリアの意識が、明らかに驚異ではない小石に注視される。

 その隙を、クロエは逃さない。

 背後に周り、小さな手を伸ば───


「搾取? 誰から?」


 ───そうとした時。

 クロエの鳩尾へと、確かな重たい蹴りが突き刺さった。


「ばッ!?」

「相手を選べよ、クソガキ? そういうのは、自分より格下だから成立する式だ」


 小柄な体が別荘の廊下を転がる。

 一撃も受けないことを売りにしていたからか、痛みに対する耐性のないクロエは大きく咳き込んだ。


「がはっ……げほっ……な、んで……!?」


 どうして、自分の位置が分かったのか?

 意識は猛威の途中の弱威によって背けたはずなのに。

 いや、そもそも……何故、一瞬で移動した自分の行く先が分かったのか?


「意識を背けたいなら、視界に入ってしまうと意味がない」


 カツン、と。

 今度はセリアの靴音がクロエへと迫る。


「これは可愛い後輩から教えてもらったのだがね……どうやら、とある物体を移動させることができる女の子の魔法は、触れないと成立しないみたいなんだよ」


 セリアは、少し前にやり取りしたユリスとの会話を思い出す───


『あんまり言いたくはないですけど、厄介さで言えばもう一人の姉の方が上ですね。なんせ、そもそも焦点が動く時点で狙いなんて定めようがないですから』

『ふむ……では、どうすればいいんだ?』

『あいつは、触れないと移動ができない。それは物体であろうが、人体の一部だろうが変わりません。恐らく、確実に殺そうとするなら、首だけを移動させて殺そうとするでしょう』


 セリアは小さく口元に笑みを浮かべる。


「だったら、その瞬間を狙えばいい。リーチが届く範囲に自らやってきた瞬間を……勝利を確信した意識の瞬間を」

「……で、でも! どこにいるかなんて……!」

「死角に決まっているだろう? 先程も言ったが、意識を逸らすのであれば視界に入ってしまうと意味がないのだから」


 視界に入ると、どうしても相手に意識されてしまう。

 確実に首だけを飛ばし、殺せる手段があるのなら、相手の意識が向いている瞬間をわざわざ選ぶわけがない。

 より確実性を重視するために、間違いなく意識外にある死角を狙うのが妥当。

 だったら、常に。

 どんなことがあろうとも、


「……け、けど……ッ! 死角じゃなくても体に触れさえすれば私の勝ちに代わりない!」


 覚束ない足で、ゆっくりとクロエは立ち上がる。


「……手でも足でも首でも胸でもなんでも、四肢全部もぎ取って死に晒してやるッ! 上からご高説が一番ムカつくからなァ……無様に素敵に無惨に華麗に過激に殺してみせるぜェッ!」


 狂気的な、どこか苛立ちの混ざった声。

 これが幼い子供から発せられたものだと、もし赤の他人が知れはきっと驚くだろう。


「はぁ……やはり、君達は姉妹だね。やっぱり、そのイカれ具合いも似ているような気がするよ」


 大きなため息をつき、セリアは伸ばした糸の一本を引く。

 すると、先程クロエが抜いていった壁側の頭上が崩れ落ち、視界を完全に遮った。

 そのことに、どうしてかクロエは激しく息を呑む。


「ッ!?」

「どうして彼がこのことを知っているのかは分からないが、君は使のだろう?」


 かろうじて、瓦礫の隙間から射し込む月明かり。

 それに照らされたセリアの口元が歪む。


「さて、ここで一つ問題だ」


 カツン、と。

 何度目かの靴音が、廊下に反響する。


「ボクは始め、探知するために建物全体に糸を通していると言った。はてさて、柱床壁に通した糸で、この建物はどうなるでしょうか?」

「……ふ、ざけッ!?」


 クロエは久しぶりに焦りを見せる。

 それはもう咄嗟に、正面からでも移動してセリアの首を取ろうとするぐらいには、必死で。


「捉えられないなら、会場ステージごと壊してしまえばいい」


 しかし、それよりも先に───


「まぁ、建物が壊れても誰もいないから問題はない。どうせ、ボク以外の誰かが修繕してくれるだろうからね」


 クロエとセリア。

 その両方を巻き込むように、別荘は綺麗に崩壊した。



 ♦♦♦



 月明かりに照らされ、氷の膜と湖が幻想的な姿を見せている中。

 崩壊して崩れた別荘の瓦礫の下から、ゆっくりとセリアが這い出る。


「まったく、運がいいのやら悪いのやら……」


 セリアは座り込みながら少しばかり苦笑いを浮かべると、一気に腕を瓦礫から引き抜いた。

 その手からは、黒とピンクを合わせた髪を携えた少女が姿を見せ───


「よかったな、生きていて。いや、よかったと言っていいのか……? まぁ、殺してしまうと後輩くんが悲しむかもしれないし、やはり「よかった」ということにしておこうかな」


 その少女は気こそ失っているものの、しっかりと息をしていたのであった。

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