お風呂
「はふぅ……」
立ち込める湯気、湧いてくる水の音。
密室だからか、それらが空間に漂い英気を養ってくれる。
そんな浴場で、ユリスは一人タオルを額に当て緩み切った表情を見せていた。
(転生しても、お風呂の快楽だけはどの世界でも同じだよなぁ)
引っ越すと決めたのはいいが、そんな簡単に引っ越せるわけもなく。
とりあえず、今日だけはフィアを騎士団へ泊め、明日から本格的な荷造りをすることとなった。
そのため、労働のあとにまた労働……ということにはならず、ユリスはゆっくりとお風呂に入ることができていた。
(ハッピーでブラックば
そして———
「ご主人様、お背中お流ししますっ!」
「帰れっ」
バンッ! と、勢いよく扉が開く。
そこから現れたのは、思春期男子のコンプライアンス的に回れ右してほしい元メイドの姿であった。
「おいコラ、もう痴女一歩手前じゃないか。年頃の女の子がそんな熟練ポジに足を踏み入れようとするんじゃありません」
「っていうわりには、さっきからガッツリと視線が私の方に向いているんですが?」
「……アイリスって発育、いいよな」
「ご主人様、思春期男子の変態っていう熟練ポジは流石の私も引いちゃいます」
ユリスも中々正直な子である。
「いや、でも本当に何しに来てんの? ここ男湯だぞ?」
ここはユリス達の住んでいた屋敷ではない。
すべてが共用で、いつ飢えた他の狼さんが現れるとも限らないのだ。
にもかかわらず、平然と男湯に足を踏み入れてきた美少女一名。
危機感がないというかなんというか。是が非でも回れ右を―――
「ご安心ください! 先程男湯の
「今すぐ出ていきますはりあっぷッッッ!!!」
―――するのは自分になりそうであった。
「おいおいマジで言ってんの!? なんでたった一手で俺が覗きを越えた変態ポジに落とされそうになってんだよガッツリ被害者です直してきなさいっ!」
「大丈夫ですよ、聞けば今騎士団に戻ってるのは先輩と王女と女狐だけですから」
「安心できる要素が一つもねぇ……ッ!」
セリアはまだただの先輩だが、他の二人は違う。
がっつりヒロイン、がっつり嫌われたくない相手。
これで堂々と女湯に入り込んで裸を見ようとした変態というレッテルが貼られてしまえば、好感度がどうなるか分からない。
せっかく英気を養っていたユリスはすぐさま立ち上がり、急いで浴場から出ようとする。
しかし―――
「ふふっ、冗談ですよっ」
「うおっ!?」
いつの間にか背後に回っていたアイリスがユリスの膝を突いて座らせた。
「本当は『清掃中』の看板です。ラッキーなイベントをご所望な主人公じゃない限り、誰も入ってくることはありません」
「……いや、そもそも俺にラッキーなイベントを誘発させるヒロインがこの場にいるわけなんだが?」
「私は単純にご主人様と一緒にいたいだけの、可愛い美少女ちゃんですよ♪」
チラリと、ユリスは後ろを向く。
滑らかな肢体、ほどよく実っている胸部に、ハッキリとしているクビレ。ほどよく温かい場所だからか、若干頬が染まってどことなく色っぽく感じる。
そのせいで、ユリスは後ろを向いたことを後悔した。
ドキッとしたのは間違いない。ただ、それ以外のナニまで反応しそうで―――
「ご主人様なら、私はうぇるかむですよ?」
「お前はどこのナニを見て言ってる!?」
せっかくタオルで隠したのに、そんなナニを凝視されるとかなり困る。
「ふふっ、ご主人様も照れ屋さんですねぇ……もう体は洗いましたか?」
「……まだ」
「でしたら、このまま洗って差し上げますね」
アイリスは返事が来る前に石鹸を手に取っていたのか、すぐにユリスの背中へと泡立った手をつける。
まだ風呂に体を入れていないからか、ひんやりとした感触に思わず背筋が伸びてしまう。
ただ、そこからは。
前面を触ることなく、あくまで使用人としての範囲———背中や頭を洗い始め、ただただ心地よい気持ちだけが広がっていく。
「…………」
「…………」
少しだけ、浴場に静寂が広がる。
それがどこかむず痒くて、気を紛らわせるようにユリスは口を開いた。
「……なぁ」
「はい?」
「別に、もうメイド業なんてしなくていいんだぞ? アイリスも騎士になったんだし、この場はもうただの同期だろ」
すると、アイリスは小さく口元を緩めて、
「ご主人様のお世話は、私だけの特権ですから」
「特権って……」
「どこまでいっても、私は平民です。同じ立場になろうが、ご主人様の横にいるにはこのポジションでないといけないのです」
今はいいかもしれない。
けれど、この先ずっと騎士であるかどうかは首を傾げる。
たとえば、怪我をして引退することもある。世帯を持って自主的に退職するかもしれない。
そうなった場合、この場でもらった『対等』という立場は消えてしまうのだ。
もしも、この先。
アイリスがユリスという男の子とずっと一緒にいるのであれば、この役割だけは手放すわけにはいかない。
「それに、慕っている男の子のお世話って、実は女の子的に好物なんですよ。ほら、膝枕しながら「坊や、甘えてもいいんだよ?」とか言う人いるじゃないですか?」
「どちらかというと、今の母性じゃね?」
「じゃあ、訂正します……私はご主人様が大好きで、ご主人様のお世話が単純に大好きな乙女ってことで」
じゃばっ、と。桶に入った水をかけて泡を洗い流す。
目元に入った水滴を拭い、ユリスは気恥ずかしそうに頬を掻いて立ち上がった。
「……物好きめ」
「私、美少女なものですから♪」
ただ、ここまで真っ直ぐ向けられて嫌なわけがない。
ユリスは振り向き、お返しと言わんばかりにからかうような口調で口にした。
「今度は俺が洗ってやろうか?」
「え、いいんですか!? ばっちこいですさぁどこ触ってもいいですよ!」
「すまん、ごめん冗談だできたら一人で頑張って」
そうだこいつには意味がないんだった、なんて。
胸に巻いたバスタオルが落ちそうになる勢いで迫ってくるアイリスを見て、ユリスは頬を赤くさせたのであった。
「あなた達、一緒に姿を消して一緒に戻ってきたけど……まさか、一緒にお風呂に入ってたわけじゃないわよね?」
「「一緒に入ってた」」
「ちょっと話があるから今すぐそこに正座しなさい」
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