噂とは違う
貴族ばかりが通う学園で唯一、特待生枠で入学した平民が一人いる。
名前をルナといい、今や大陸に名を轟かす大商会の一人娘であり―――本作のヒロインの一人だ。
シナリオでは平民ということでユリスに目を付けられ、執拗に虐められる。
罵詈雑言だけならまだしも、時には猥褻紛いのことを行ったり、気を引けなかった腹いせに彼女が行っている事業を潰したりと、憔悴し切っていたところで主人公と出会う。
まぁ、これほど汚いことばかりしていれば当然報復もされるわけで。
目下、ユリスが気を付けなければならない女の子の一人であった。
そんな女の子は、今日というこの日―――初めて行う事業のための施設で訪れていた地方から王都へ戻って来る予定だった。
その道中、野盗に襲われ、攫われてしまった。
もちろん、警戒していなかったわけではない。商人を狙った賊の話は耳にしていたし、対処するために冒険者を何人も雇った。
ただ、問題だったのはあまりに多すぎる数と、不意を徹底した襲撃であった。
どこで情報が漏れたのかは分からない。
しかし、徹頭徹尾……自分を攫うことだけを考えられており、物量の最中に連れていかれてしまった。
―――怖かった。
怖くないわけがない。身代金目的だとしても、いつ自分を襲うか分からない。平気で襲ってくるような人間達だ。
野盗の集団の中に一人で放り込まれた。自分のことをずっと話している。
どうにか平静を装うとしたが、少しして急に自分を気絶させた。
けれど───声が聞こえたような気がしたのだ。
『俺は、こんな
だから、願わずにはいられなかった───
「たす、けて……」
徐々に目覚め始めた意識の中、勝手に口からそんな言葉が漏れてしまった。
「えっ、まだ敵いるの?」
「ッ!?」
ガバッ、と。返ってくるとは思っていなかった返事に、ルナは思わず顔を上げる。
それが意識をハッキリさせるきっかけであった。
胸を中心に伝わるほのかに冷たいような曖昧な感触、歩いているわけでもないのにゆっくりと動いている視界。
背負われていると、認識するのに然程時間はかからなかった。
だからこそ、すぐに思わず尋ねてしまう。
「あなたは……?」
「ユリス・ブランシュ」
その名前を聞いて、ルナは咄嗟に心臓が締め付けられた。
「いやー、確かにビジュアルと風評を含めた客観的な構図を見れば助けを求められるのも無理はないと思うけど」
───ユリス・ブランシュ。
社交界隈で有名な貴族の恥晒しであった。
貴族とよく取り引きをしている話だから、
驚くな、警戒するなという方が無理な話であり、ルナは思わず身構えてしまう。
でも、どうしてか。
それ以上にどこか安心感が胸に込み上げてきて。
恐らくそう思ったのは、聞こえたような気がしたあの言葉の声と同じだったからだろう。
「……もしかして、助けてくれたんですか?」
「その認識がしっかりできるんならよかったよ。このまま誘拐犯のレッテルを貼られたら、人一倍弁明に注力しなきゃいけなくなるしな」
ユリスの着ている服。
これは王都でよく見かける騎士の人間が着ているものであった。
助けてくれたのは分かったが、どうして彼がこの服を着ているのかは分からなかった。
だって、彼は自分と同じこれから始まる学園に通うと思っていて。
平民だからと嫌味を言われるのでは? なんて心配していた人で。
(で、でもあんな人数をどうやって……?)
野蛮で、強そうな男がゴロゴロといたはず。
助けたということは、あの人数を倒してくれたのだろう。
だが、今この場にはユリス一人しかいない。
(ユリスくんって、そんなに強かったの?)
ルナの頭の中に疑問が浮かび上がる。
だが、そんな少女の様子など気にすることもなく、ユリスは声をかけた。
「とりあえず、さっさと他の連中と合流するぞ。積み木遊びが得意な
まぁ、絶対に守ってやるけど、と。
何気なしにユリスは呟いた。
それが不思議で仕方なくて……ルナは思わず口を開いてしまう。
「……あの」
「ん?」
「どうして、助けてくれたんですか……?」
ユリスという男の悪評を聞いたことのある人間なら、誰もが同じことを思っただろう。
そもそも、誰かを守るための職業である騎士になっているのも不思議だ。
けれど、こんな質問はハッキリ言って失礼極まりない。助けてくれた人に「信じられないから」などと尋ねる行為は不敬と取られてもおかしくないのだ。
故に、ルナは口にしたあと「しまった」と、口を押さえる。
しかし、ユリスはさして気にしていない様子で口にした。
「別に任務だったし。宿題を提示されて「なんでやるんですか?」って言われても答えなんて決まってるだろ。まぁ、こんな可愛い女の子がいるとは思ってなかったけどな」
そう、いるとは思っていなかった。
戦っている最中に「あれ? 女の子いるじゃん」と初めて気づいたぐらいだ。
とはいえ、仮に初めから知っていたとしても、恐らくユリスは拳を握っていただろう。
ヒロインを死なせると、シナリオに影響が出てしまう。
だから、助けられるのなら助ける。
それに———
「目の前で誰かが危ない目に遭おうとしてるんだったら、打算でもなんでもいいから助けるべきだろ。とりあえず、色々言いたいことも疑問もあるだろうが、それで納得してくれ」
ドクン、と。
背負われていたルナの胸が跳ね上がる。
ただ、疑問に答えてもらっただけなのに、どうしてか顔に熱が昇っていった。
(……違う)
噂とは違う。
クズで、最低で、恥さらしと呼ばれるなんて、とんでもない。
もし、今彼に抱いた印象を一言で表すならば───
任務と言いながらも、誰かに手を差し伸べたいという優しさが滲んでいる。
どこか、仕事だというが助けたいという言い訳にも聞こえた。
ルナは自分のことが恥ずかしくなり、思わずユリスの背に顔を埋めてしまった。
(この人は、噂通りの人なんかじゃない)
―――ルナはまだユリスと出会ったことはない。
あくまで社交界で広がっている噂を、商会の人間として耳にしただけ。学園に入ってようやくユリスと出会うことになる。
だから、ユリスのことはよく知らない。
よく知らないのに、聞いた話で勝手にユリスという人間を決めつけていた。
それが恥ずかしくて。
冷たいはずのユリスの背中が、どうしてか温かく感じて。
ルナは胸の高鳴りを抑え切れず、ボソッと言葉を漏らした。
「……ありがとう、ございます」
「気にすんな」
それから、ユリス達は地下から出るまで言葉を交わさなかった。
ただ、恐怖から解放された安堵と己の恥ずかしさを噛み締めた少女の嗚咽だけが、静寂の中に響き渡ったのであった。
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