第2話 ヘンリー館への到着

ロンドンを出発した馬車は、緩やかに続く丘陵を越え、静かに広がる田園風景の中を進んでいた。午後の曇天が続く空の下、エルキュール・ポアロとヘイスティングズ大尉は、重厚な鉄の門をくぐり、威圧的なほどの大きさを誇る「ヘンリー館」に到着した。時を重ねた石造りの館は、その壮大さを見せつけるように堂々と立ち、周囲を取り囲む木々が薄暗く揺れている。まるでその場所全体が過去の重い秘密を抱え、訪れる者に静かに警告を与えているかのようだった。


「なんという場所だ……」ヘイスティングズが声を漏らす。彼の目には、館の巨大さだけでなく、何か目に見えない圧力が感じられるようだった。「この場所には、何かがおかしい気がする。ポアロ、どう思う?」


ポアロは片手で口ひげをなぞりながら、館をじっと見つめた。その鋭い目は、まるでその場の空気までをも読み取るかのようだった。「確かに、モナミ。この館には、何かしらの異様さが漂っている。そして、その異様さこそが、この事件の核心に関わっているのでしょう。」


大きな玄関扉が音を立てて開かれると、中から登場したのは執事のジェイコブ・リード。年老いたが、凛とした姿勢でポアロとヘイスティングズを出迎えた。彼の顔には、長年仕えた家に対する誇りと、どこか憂いが漂っている。


「ポアロ様、大尉。お待ちしておりました。どうぞ中へお入りください。」低く響く彼の声は、この静かな館に余計に重々しい空気を作り出していた。


ポアロは一歩足を踏み入れると、すぐさま内部の装飾や配置を注意深く観察した。大広間は、巨大なシャンデリアが輝き、壁には一族の歴史を物語るような絵画や彫刻が並べられていた。しかし、その荘厳さの背後には、どこか冷たく、居心地の悪い空気が漂っている。ポアロの「灰色の脳細胞」は、その微妙な不協和音をすぐさま捉えた。


「この館は素晴らしい。しかし、何かが欠けているように感じますね、ヘイスティングズ。」


「欠けている? こんなに豪華な場所に何が欠けているというんだ?」ヘイスティングズが不思議そうに問い返す。


「温もりですよ、モナミ。どれだけ豪華であろうと、この場所には冷たさがある。まるで、この館全体が秘密を抱え込み、心を閉ざしているかのように。家族間で何かが起きているのは間違いないですね。」


リード執事は、館の長い廊下を二人に案内しながら、消えた肖像画が飾られていた場所へと導いた。その廊下の途中には、まるで時が止まったかのように並べられた家族の肖像画がいくつも掛けられている。ポアロは一つ一つの絵を注意深く眺め、そこに描かれた人物たちの表情や配置に何かを感じ取っているようだった。


「この部屋でございます。」執事が案内した先は、豪華な調度品が並ぶ応接室。ポアロは部屋に入るとすぐに、消えた肖像画が飾られていた壁をじっと見つめた。その場所には、明らかに他の絵とは違う空白が残されている。ポアロは静かにその壁に近づき、額縁の跡を指で軽く撫でた。


「ここにあったのですね。家宝の肖像画が。」ポアロの声は静かだが、その目は何かを鋭く捉えたように輝いている。


「はい、そして昨日の夜、突然姿を消したのです。窓やドアには鍵がかけられており、外部から侵入した痕跡は一切ありません。しかし、今朝になると、跡形もなく消えていました。」リード執事は、苦しそうにその事実を語った。


「不思議ですな、執事さん。肖像画が消えたその夜、何か不審な音や物音を耳にすることはなかったのですか?」


リードは一瞬目をそらした後、低い声で答えた。「その夜、何かが動いたような気がしましたが、特に大きな音がしたわけではありません。家の中は静まり返っておりました。ただ、妙な気配を感じたのです。」


「妙な気配?」ポアロは興味深そうに執事を見つめた。「それは興味深い。事件の背後に潜むものが、あなたに何かを伝えようとしていたのかもしれませんね。」


ポアロはその瞬間、すべてを見渡すように部屋全体を観察し、次に窓に近づいた。外の風景を眺めながら、彼の目は再び何かを見逃さないかのように動いていた。「鍵がかけられていた、というのは本当ですね。しかし、内部から絵を盗む者がいたのならば、それを可能にする何かがあったはずです。」


ポアロはヘイスティングズに軽く視線を送り、次の一手を考えながら小さく頷いた。「ヘイスティングズ、我々には多くの謎が待ち受けています。肖像画が消えたことだけではありません。この館自体が、一つの謎の塊なのです。」


ポアロの言葉は、まるで館全体に響き渡るように重く、そして意味深く聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る