4 三年生

 グラウンドで待っていた一年生三人と合流し、八人集まったので、アップが始まった。

 軽いランニングやストレッチを終え、各々ペアを組んでキャッチボールを始めようという時、

「ちわっす!」

 三年生の二人が到着した。

「……あ、五十嵐」

 一人は中学の部活で会話したことがある──七井先輩。やる気なさそうに振る舞っているが、いざという時は決めてくれる、実は頼もしい先輩だ。

「うつ病って聞いたけど、大丈夫なのか?」

 七井先輩が、直球で安否を問うてくる。誰に聞いたのだろう。

「え? うつ病?」

 うつ病というワードに引っかかったのか、もう一人の先輩が、七井先輩の背中からひょっこり顔を出して、俺を見つめた。

「君、うつ病なの? 野球して大丈夫? 辛くなったら言うんだよ?」

「あ、はい、ありがとうございます……」

 なんだか、普通の高校生より、うつ病に理解がありそうな先輩だ。

 六雅がトコトコやってきて、先輩たちを紹介してくれる。

「七井先輩は、中学一緒だったから、分かるよね。と、五反田先輩。最初に言った、初心者の先輩だよ」

「五反田です。高校から野球始めたんだ。先輩とか構わず色々教えてね」

 にっこりと優しげに微笑む五反田先輩。なんだか、親しみやすそうだ。

「五十嵐はめちゃくちゃ上手いよ」

 七井先輩が五反田先輩に呟く。

 ──七井先輩、中学の時も俺のこと、見ててくれてたんだ。

「えっ、上手いのにうつ病になっちゃったの!?」

「そ。いじめられて」

 驚く五反田先輩に、簡潔な説明をする七井先輩。

 ぎゅうと心臓が痛くなる。足元に視線が落ちてしまう。

 野球部から離れる時、もったいないとか、多少我慢すればとか、しょっちゅう自分に言い聞かせた。

 ──もっと頑張れよ、って。

 それでも、耐えられなくて、俺は辞めた。

 逃げた。

 情けない――

 突然、両肩をガシッと掴まれた。

 顔を上げると、五反田先輩が泣きそうに微笑んでいた。


「よく頑張ったねぇ」


 ──それは、自分に最も言ってあげられなかった言葉。

 涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。

「野球が好きなら、ここでやりなよ。疲れたら早退すればいい。誰も君を責めたりしないから」

 先輩の発する、一字一句が胸に突き刺さる。

 うつ病になった俺が死ぬほど求めていて、でも、世間体を気にする俺が絶対に言わなかった台詞ばかりで。

「……っ」

 俺は遂に泣き出してしまった。

 他の部員たちが心配そうに、不思議そうに俺を見守る。その中で、五反田先輩だけが笑顔だった。

「改めて、軟式野球部へようこそ。楽しんでいってね」

 涙を乱暴に拭う。

 ──ここでなら、もしかしたら、こんな俺でも、また野球を楽しめる日が来るのかもしれない。

 楽しめる方法が見つかるかもしれない。

「よろしくお願いします……!」

 俺は借り物のグローブに手を通した。

 次来る時は、自分のグローブを持って来ようと、心に決めて。

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