3 二年生
三年生はまだ授業が終わらないらしい。
グラウンドに現れたのは、二年生の二人だけだった。
「ちわーす!」
「おはよう……、あれ、五十嵐?」
「あ、二宮先輩、ちわっす!」
先輩は二人とも内進組で、中学時代、野球部でちょっとだけお世話になった。
二宮先輩は、俺のことを覚えていてくれたようだ。
「野球、辞めたと思ってた……、あの時は何もできなかったから……。またお前と野球できて嬉しいよ」
「いや、まだ入るわけでは……」
「え? そうなのか?」
感動の再会、というわけではないが、可愛がってくれていた先輩とまた会えたのは嬉しい。
少し胸がじんわりしていると、
「あ? お前、中学でいなくなってた一年じゃん。なんで部活辞めたんだよ?」
もう一人の二年生――八坂先輩が不躾に質問を投げてくる。当時あまり部活に参加していなかった先輩だ。俺の事情を知らないんだろう。
俺は唾を飲み込んだ。
「……一部の先輩たちからのいじめで……うつ病になって」
「はっ!」
大きく、鼻で笑われた。
「うつ病なんて精神病、気合いで治せよ。甘えてんじゃねーの?」
「…………」
八坂先輩の強い物言いに、俺は何も言い返せない──本当は、言い返したい。
どれだけ辛いか。気合いじゃどうにもならないって。
でも、俺自身が、もっと頑張らなきゃって、思ってる。
俺自身が──うつ病は甘えだって思ってる。
「……もう、野球は辞めたんで」
俺は八坂先輩に背を向け、軟式に誘ってくれた六雅に近づく。
「……ごめん、六雅。やっぱり、俺には無理だよ」
「五十嵐くん……」
みんなの視線を浴びる。
気まずい空気。
俺の一番嫌いな空気の中、グラウンドを後にした。
グラウンドを出て、部室を目指した。
うつ病の症状が出始めた時のことを、今でもよく覚えている。
中学一年生の俺が試合で活躍した後、先輩たちから嫌がらせを受けた。先生に嫌がらせを相談すると、それをきっかけにヒートアップした。同級生は見て見ぬふりどころか、加担するやつまで現れる始末。
結果──俺は自分を責めた。
俺が悪いのか、と。
そして、夜、眠れなくなることが増えた。眠気がくるのは大体深夜二時。朝は体がだるく、ベッドから起き上がることが、やたら困難になった。頭が回らなくなって、本が読めなくなった。
それでも、野球が好きだったから、部活を続けていた、ある日。
登校中に、なんでもないのに、涙が溢れ出てきた。
本当に何も起こっていない。
ただ歩いて学校に向かっているだけなのに、涙が止まらなくなった。
訳もわからず、踵を返して家に帰った。登校したはずが泣きじゃくって帰ってきた俺を見た母さんが、精神科に連れて行き、うつ病が発覚。
以降、不登校がちになり、部活も辞めた。
──好きだった野球も、辞めた。
普通の人の半分ほどしか体力がないのは、病気のせいだ。壊れかけの古いスマホのバッテリーのような体力になってしまうのだ。減りが早くて、回復は遅い。今は、中学時代に比べれば、良くなってきたほうだけれど。
中学生だった当時は、もはや野球が楽しいとは思えなくなっていた。
多少元気になった今だから、また野球に触れようと思ってみたけれど……。
「簡単に受け入れられる病気じゃないよな……」
骨折みたいな怪我と違って、見た目じゃ分からない。熱があるわけでもない。傍目はただサボっているだけの人間だ──うつ病は甘えだなんて言われても、しょうがない。
ひとりごちて、部室のドアを開けようとした時、
「五十嵐くん!」
振り返ると、六雅と四季の双子と、二宮先輩。それから──八坂先輩。
「五十嵐、八坂にはちゃんと説明したから、練習参加しないか?」
「え……」
二宮先輩が顎をくい、と動かして、八坂先輩に合図する。
「あー……、その」
八坂先輩はそれを受けて、頭を掻きながら、バツが悪そうな表情で一歩前に出た。
「悪かったな。甘えとか言って」
「え……」
思いがけない言葉に、俺は目を見開いた。
八坂先輩は続ける。
「俺、中学ん時は妹が交通事故で入院してて、毎日見舞いに行ってたから、お前がどんな目に遭っていたか知らなかったんだ──妹が退院したから、また野球始めた」
八坂先輩が後ろにいる面々を親指で示した。
「……こいつらに熱弁された。お前の辛さを全部理解したわけじゃねーけど、なんか、すげー大変ってことだけは分かったわ。あと……」
逸らしていた目を合わせてくれる八坂先輩。
「お前がすげー選手だって聞いた。そんなに周りから言われるお前と、野球してみたくなった」
真っ直ぐな視線に戸惑ってしまう。助けを求めるように双子を見ると、六雅は微笑み、四季は頷いた。
「俺も、お前と野球したい。中学の時は、あんまり絡めなかったから」
「だね」
四季が隣に来て、俺の肩を抱く。その手に押されるがまま、俺はグラウンドへ向かって歩き出した。六雅が反対側を歩き、両隣を双子で挟まれる。
「嫌な思いさせてごめんな。この馬鹿の頭が悪くて」
二宮先輩が八坂先輩を親指で示す。八坂先輩が、眉をしかめた。
「馬鹿とはなんだ! お前はそうやって一言多いから友達ができないんだろ!」
「はぁ!? いるわ、友達ぐらい! お前こそ、馬鹿だから彼女に振られるんだろ!」
「なんで振られたの知ってんだよ!」
フォローしてくれたかと思いきや、二宮先輩と八坂先輩はどんどん個人的な言い争いに発展していく。
呆気に取られる俺に、こっそり六雅が耳打ちした。
「あの二人、いつも口喧嘩してるんだけど、一緒に部活来るし、一緒に帰ってるんだよ。だから、放っておいて大丈夫」
「な、なるほど……」
腐れ縁ってやつなのかな……?
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