③
「早速だけど、今日の19時にここ」とまた強引に紙を渡されてしまった。
(弟に言ったら怒られるよなぁ・・・)
風夏の家は、5年前に父が亡くなった。そこから母は主婦をやめて、仕事をするようになった。しかし、母は子供たちの為に必死になるタイプでもなく、やりたいことしかやらないという性格のため、どんな仕事でも長続きしなかった。そのせいで、すぐお金が足りなくなり、風夏が大好きだったピアノも早々に売ることになってしまった。
風夏が中学3年生になった頃には、だんだんと母が家を空ける日が増えてきて、風夏も頑張って家事をしていたが、不器用なので上手くいかず、自然と家事は器用な弟がやるようになった。
そして気づいたら、弟が一般的な母親の役割をするようになり、家事はもちろんのこと最近では帰りが遅いと注意してくるようになり、もはや母より母親になってきている。
そして怒った時には母より怖い。
(バレないように細心の注意を払わなければ)
風夏は、扉に『勉強中、開けないでください』と張り紙を貼って、こっそり家を抜け出した。
約束の場所は、音楽スタジオだ。
中に入ると、受付に髭を生やしたリーゼントのおじさんが立っている。
ちらりと風夏の顔を見ると、「Bスタジオだよ」とBスタジオの方を指差した。
まだ何も言っていないのにな、と不思議に思いつつ、Bスタジオの方へ向かった。
ドアの隙間のガラス部分を覗くと、洋人が見える。
どうやらここで間違いないようだ。
風夏はぐっと力を込めて扉を開いた。
「おせぇよ。しかも今日もジャージかよ」
そう言いながら、洋人は少し嬉しそうに笑っている。
「まぁまずはメンバー紹介しとくか」
そう言って、「拓海、陽樹、こっち」と二人を呼び寄せた。
拓海と呼ばれた男の子は、ベース担当だ。
背が高くすらっとしているが、垂れ目で親しみがもてる顔つきで穏やかそうな印象だ。隣町の男子高校に通っているらしい。恥ずかしそうに萌え袖で「よろしくっす」とぺこっと頭を下げる。
対して、陽樹と呼ばれた男の子は、にかっと笑うと「よろしく」と握手を求め、かなり明るい。顔立ちも整っていて、くりっとした目が印象的だ。陽樹は私立の有名高校に通っていて、よく見ると服もブランドものだ。バンドでは、ドラムを担当している。
「で、こっちが前に話したピアノの天才、永田風夏」
「天才だなんてそんな、ピアノが好きなだけで」
「すごい良かったよ、この前の演奏。なぁ、拓海」陽樹に言われて、拓海はこくりと頷いた。
「あ、ありがとう」
「まぁ挨拶はそれくらいにして、練習するぞ」
そこから何度か演奏して音を合わせていった。
来週の金曜の夜にもライブをする予定になっているらしく、そこに向けての練習だ。
なぜそんなライブに出られるのか不思議に思っていたが、前に演奏したライブハウスもこのスタジオも洋人のおじさんが経営をしていて優遇してくれているそうだ。スタジオは半額で貸してくれて、ライブは出る人がいなかったら出してくれる。おじさんも昔バンドマンに憧れて頑張っていたそうで、自分と同じ夢をもつ人を応援したくて始めたらしい。
「今日はそろそろ終わるか」
時計を見ると21時を指している。
楽器を片付けて、スタジオを出るとむわっと蒸し暑い。
「お前ら夏休みいつからだ?」
「来週からだよ」陽樹がそういうと、拓海も頷く。
「俺らはどうだっけ?」
「知らないの?同じです、来週から」
うーんと洋人は考えて、「まぁ間に合うか」とつぶやく。
「なんだよ?」
「これにエントリーしたから」
洋人がスマホの画面を見せてくる。
「夏の全国バンドバトル・・?」風夏と陽樹の声が思わず重なる。
「そ、優勝しにいくから」
「え?優勝ってそんな」風夏がそういうと、洋人が立ち止まって風夏をまっすぐ見つめる。
「バカ、こんなもん優勝しかねぇだろ」
「・・だな」陽樹の後ろの拓海も頷いている。
「来週から毎日練習と曲作りだな」
「ま、毎日ですか?」
「当り前だろ。俺らには優勝しかねぇんだから」
おー!と3人で盛り上がっている。
そんな3人の後ろを風夏が歩いていると、洋人がぱっと振り返った。
「あと、風夏、コンタクトに変えろよ」
「え?なんで?」
「お前の瞳、綺麗なんだから、コンタクトの方がいいだろ」
そういうと洋人はびっくりして立ち止まっている風夏の眼鏡をはずす。
「ほら、こっちの方がいいじゃん」
ぼんやりとした世界の中で、洋人の顔がはっきり見える。
眼鏡を風夏のジャージのポケットに入れると、洋人は「じゃ」と言って去っていった。
顔が少し熱い。不思議な感覚だ。
きっと夏のせいだ。
風夏は、真海の“松崎とは関わらない方がいい”という言葉を思い出した。
でももう今更引き返せないし、わくわくした気持ちを抑えられない。
きっと全部夏のせいだ。
風夏はポケットに眼鏡を入れたまま歩いて盛大に転んだ。
そこからはあっという間に日々は過ぎ、見たくもないテストが返却されると、明日から夏休みだ。風夏の成績は中の下といったところだ。弟に間違いなく、夏は勉強するように言われるだろうと思うと憂鬱だ。でも風夏が憂鬱に感じるのは、それだけが原因じゃなかった。
一学期最後の音楽室に入ると、スマホにイヤホンを接続して、洋人から送られてきたデータを再生する。
「この曲、いい感じに頼む」
LINEを交換して、一発目に送られてきたのがこれだ。
(曲っていうかもう鼻歌じゃない)
音を記憶すると、ピアノで弾いてみる。
音を探りながら弾くも、しっくりこない。
(バンドってのがなぁ)
風夏は一人で弾いてきたので、バンドとしての曲作りの経験はない。
ベースやギターの音を思い出し、音に乗せて想像するが難しい。
しっくりくるまで繰り返すしかないか、とその辺の輪ゴムで髪を束ねると、鍵盤に手を重ねる。
面倒なことは苦手なはずなのに、今は楽しさが勝っている。
これをメンバーで演奏したらどうなるのか、想像しただけでわくわくする。
「あー、やっぱりいた!」
音楽室の扉が開かれ、そっちをみると真海が立っている。
外を見ると真っ暗で、時計は19時を指している。
「ピアノの音がしたから風夏いるのかなって思ってさ。こんな時間まで珍しいね」
「まぁね」
「なんか楽しそうだね。すごくいい顔してる」
「そうかな・・」
風夏は窓に映った自分の顔を見てみる。
前と変わらない。髪の毛はただだらっと伸ばしただけで、ぴょこっと毛先は跳ねている。
眉毛を整えたり、もちろんメイクもしていない。
眼鏡をはずしてみる。
“ほら、こっちの方がいいじゃん”といった洋人の顔が思い浮かぶ。
「帰るよー!」という真海の声で我に返る。
(何やってるんだ、私)
風夏は慌てて眼鏡をかけると、真海の後を追いかけた。
ほんの少し熱い気がするが、これもきっと夏のせいだ。
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