「俺のバンドに入ってくれ」

風夏は昨日言われたことを思い出していた。

洋人にバンドに誘われたものの、返事に困っていると、「明日、20時にここで演奏するから見に来いよ。それで決めたらいいから。約束な」と強引に場所を書いた紙を渡すと、去っていってしまった。

(行かないといけないよなぁ)

箒に持たれながら、外を眺める。

空は青く、雲はもくもくと入道雲が出ている。すっかり夏の空模様だ。

「どうしたの?」

真海が心配そうにこっちを見ている。

「いや、別に何もないよ」

真海に言ったら、また説教が始まるに決まっている。演奏を聞きに行くだけでバンドに入るつもりもないし、真海には黙っておくことにした。

「何もないなら、とっとと掃除終わらせるよ」と真海に促され、箒を動かす。

洋人が教室に仲間たちとワイワイ入ってくる。

(違う世界の人だよなぁ)


「コンビニ行ってくる」と言って風夏は家を出た。

夏の夜は、なんだかわくわくさせる匂いがする。でも今日は少し憂鬱だ。

「えっと、場所は・・・と」

紙を広げると、駅前の近くのライブハウスの地図が書かれている。

行ったことない場所にドキドキしながら、会場にたどり着くと扉を開く。

店の中では、ジャズの演奏が行われている。

ジャズの生演奏なんて初めてだ。

音楽を聴くとテンションが上がってくる。薄暗い店内を進むと、何だか悪いことをしている気持ちになって、ドキドキする。

風夏はドキドキしながら、店の奥に行こうとすると、腕をつかまれた。

「おい、お前ジャージで来たのかよ?」

振り返ると洋人が立っている。

「あ・・・すいません!・・・松崎くん?」

「なんでジャージなんだよ」

「だって、コンビニ行くって言って家出たから」

「はぁぁ、まぁいいよ。こっち」

バックヤードに連れていかれる。

(これはカツアゲされるのでは・・・?)

財布は持っていないから大丈夫だ。でも、逆に怒らせることになるかもしれない、と焦らながら連れて行かれると、「行くぞ」と洋人に押されて、明るい方へ出ると、そこは、

「へ?」

ステージの上だ。

たくさんの客がこっちを見ている。

「みなさん、こんばんはー!僕たちsummer blueです」と洋人が挨拶をしている。

(僕たち・・?)

「では僕たちの曲を聞いてください」そういうと、そっと風夏の近くまでやってきた。

「この前の曲を弾いてくれりゃいい。俺らがお前の演奏に合わせるから、お前が行けるタイミングで弾いてくれ」

耳元でそれだけ言うと、洋人は中心へ戻っていく。

(嘘でしょ…)

心臓の鼓動が耳まで聞こえてくる。

目の前には観客がいて、こちらを見ている。

昔コンサートでピアノを弾いたのを思い出してくる。

あの時は本当に楽しかった。

弾き終えた後の爽快感ー。

あれ以上の刺激のある感覚に出会えなかった。

洋人がこちらを見ている。

(やるしかない)

風夏は腹をくくると、前に聞いた音を記憶から呼び覚ます。

深呼吸をすると、弾き始める。

ベース、ギター、ドラムが合わさって前奏が始まる。

そして洋人の声が重なっていく。

洋人の声は普段の低い声とは違い、夏の暑さや爽やかさを表現した曲にぴったりの清涼感の溢れる声で歌いあげていく。

気持ちいいくらい音が重なって、一人で弾いていた時とは違う音楽になっていく。

気づいたらステージの上であることも忘れて夢中になって弾いていた。

演奏が終わると、喝采に包まれた。


「で、これはどういうことなのか説明してください」

風夏は洋人に詰め寄った。

「ステージで演奏するなんて聞いてないです」

「そんな怒るなよ」

洋人は汗を拭きながら、まったく悪びれる様子もない。

「そりゃ、怒りますよ!突然ステージに立たされて」

「ジャージでだしな」そう言って、洋人は吹き出して笑っている。

「だって、それはほら、コンビニって言って家を出たし」

「おっ、もう21時だ。帰った方がいいんじゃ?」

洋人に煙に巻かれて、風夏は仕方なく家に急いで帰ることとなった。


風夏は、もやもやした気持ちを抱えたまま学校に向かった。

昨日の夜は、散々だった。遅くなった上にライブハウスでたばこの匂いがついたせいで喫煙したのかと疑われるし、2回も面倒なお風呂に入ることになってしまった。

(ついてないな)

「風夏!おはよ」

真海が後ろからテニス部の彼氏と歩いてくる。

「あつあつだねぇ」

「リアクションが古いよ」

「悪かったね」

じゃあ、と彼氏は爽やかに去っていく。

「なんか今日はご機嫌斜めだね」

「まぁ色々あってね」

「ふーん。あ、今日数学で小テストあるらしいよ」

「ゲッ、まじで?」

「マジマジ、大マジ」

昨日はイレギュラーなこともあったが、こんな感じでまたいつもの日常に戻ると風夏は思っていた。

放課後、もやもやした気持ちを吹き飛ばすにはやっぱりピアノだ、と風夏は階段を一段飛ばしで音楽室へうきうきと向かった。

扉に手をかける。

(まさか、もういないよね)

ゆっくり扉を開けて、こっそり覗くが誰もいない。

「はぁ・・・良かった」

「お化けでもいんのか?」

振り返ると、洋人が立っている。

「げ!」

「おい、人のこと化けもんみたいに言うなよ」

「ご、ごめんなさい、ちょっとびっくりしただけで」

「そんな警戒するなよ。昨日は悪かったよ」

椅子に座ると、風夏を手招きする。

「隣、座れよ」

風夏は、仕方なく隣に座る。

横から見る洋人の顔は綺麗で、さすが学校一イケメンと呼ばれるだけのことはある。

「なんだ?俺の顔になんかついてるか?」

「ふぇっ、いや、何も」

「で、次のライブについてなんだけど」

「つ、次?」

「そう、次」

そう言って、次のライブについて戸惑う風夏を置き去りにして、洋人は話し始める。

「次は2曲やる予定なんだけど、ちょっとアレンジいれてぇなって思ってて」

「あ、あの、ちょっと待って。私、バンドに入るなんて…」

洋人がまっすぐ目を見つめてくる。

「・・・昨日、ライブ立ってどう思った?」

「どうって・・・」

気持ちいいくらい音が重なって、一人で弾いていた時とは違う音楽になっていった時の気持ちの良さ、高揚感は記憶に残っている。

「最高って思っただろ?」

洋人は風夏の気持ちをわかっているかのように、ニヤっと笑った。

「ずっと俺らのバンドには何か足りねぇなって思ってて。そんな時に、風夏の音に出会ったんだよ」

さらりと下の名前で呼ばれてドキッとする。

「音楽が好きだってのは聞いてるだけで伝わってきた。それでこいつだって思ってさ」

「でも、私・・・」

「お前じゃなきゃダメなんだよ」

洋人にまっすぐ見つめられる。

今まで私じゃないとダメなんて言われたことがあっただろうか。

今までずっとモブキャラのような人生を歩んできた。

それが当たり前で主人公のような人生は自分にはないと風夏は思っていた。

洋人が真剣な目をして風夏を見ている。

「・・・わかった」

「よっしゃ」洋人がくしゃっと子供みたいな無邪気な笑顔になって、ガッツポーズをしている。

こうして、洋人のバンドに風夏は入ることになった。

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