いつか見た白い花(前編)

 竜殺しの魔人。

 王国の至宝。


 そんな言葉で呼ばれたこともあった。

 富や名声。

 それらを得る機会を得ながらも結果、どこの国にも組織にも属さず海を越え世界を旅するこのわし……齢70となったヴィクター・ブロドに与えられた呼び名ははいつしか「竜殺しの変人剣士」となっていた。


 くだらん。

 わしはただ一つの目的のために全ての時間と情熱を使ってきたまで。

 その結果を事情も知らん他人が好き勝手に言っているだけ。


 そう。

 わしが世界を旅し、名声とやらを得るような事を行ってきたのはただ一つ……


 わしは胸に下げた小さな皮袋にそっと触れた。

 これはいつでもわしに勇気と元気をくれる。


 この中には宝石よりも、他者の並び立たぬ剣術よりも、一国を治める権力よりも……いや、そんなゴミとは比べ物にもならん宝……我が娘ナタリアの髪が入っている。


 中をそっと見ると当時と変わらないブロンドの髪が数本入っていた。

 それを見ると暖かい気持ちと共にあの日……38年前の冬の日のことが蘇る。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 当時、わしは32歳。

 お屋敷の庭師として日々を過ごしていた。

 決して高い給金ではなかったが、12歳になる娘のナタリアと共に幸せに暮らしていた。

 妻のクレアはナタリアが8歳の頃に流行り病で旅立ったが、それからも娘と肩を寄せ合いささやかながらも幸せな日々を過ごしていた。


 庭師の仕事で疲れて帰ると、ナタリアが夕食を作って待っててくれた。

 見過ごせ無い事があったら近所の男の子にも立ち向かい、時には泣かせるほどの男勝りでありながら、花……特に白い花が好きな彼女は剣術教室の帰りにいつも近くの森に寄っては花を積んできてテーブルに飾っていた。

 

「お帰りなさい、パパ」


「ただいま、ナタリア。あ、今日はシチューだね。美味しそうだ」


「うん。パパが好きな山トカゲのお肉もたっぷり入ってるよ」


「そうか、ありがとう。……所で今日の剣術教室はどうだった?」


「うん、まあまあかな」


「ふむ? なんか冷めてるな」


「だって、みんな弱くてつまらないんだもん」


「はは、ナタリアが強すぎるんだよ。……でも、お前も13歳になったらもっと大きな都市……そうだな、ガルダのような所にいってもいいかもな」


「あ……それはやめとく」


「なんで? お前なら……」


「だって、私がいなくなったら誰がパパのお世話するの? お料理もお洗濯も出来ないし、虫一匹殺せないような気の弱いパパの」


「……い、いや、最近は少しマシに……」


「なってないじゃん。この前だってちょっと怖そうなおじさんが押し売りで来た時、タジタジになって危うく買いそうになったでしょ? 使いもしない手斧を。薪割りもヨタヨタしちゃって、ろくに出来ないパパが手斧なんて買ってどうするのさ?」


「あの時は間に入ってくれて助かったよ。ありがとう」


「私が居なかったらパパ、とんでもない事になりそうだもんね」


 そう言ってナタリアは深々とため息をついた。


「すまん……でも、僕のせいでお前がこの街を出れないなら……」


「ああ、違う違う! それは大丈夫。私はこの町が好きなの。出来ればここでずっと過ごしたい。で、いつか子供たちに剣を教えたいんだ」


「そうか、凄いな……お前ならいい先生になれるよ」


「そしたら最初の生徒はパパにしてあげるよ。せめて押し売りにもガツンと立ち向かえる程度には鍛えてあげるから覚悟しててよ」


「あの……厳しくなければ」


「ダメ!」


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 ああ……この髪を見ると当時の事が蘇る。

 小さく暖かなともし火。

 ささやかな幸せの日々。


 あのままナタリアと共に庭師として、泣き笑いしながら年老いていくのだと思っていた。

 あの日……あの雪の舞う夜までは。


 忘れもしない12月の雪の日の夜。

 わしは庭の手入れの後、屋敷の主に誘われてパーティーに顔を出していた。

 そこで何をするわけでもなく「我が家の庭の守護者だ」とわしなどに過ぎた言葉をかけてくださった主人とそのお客にニコニコと笑い、最後にお土産で庭に咲いた大きな白い花による花束を持たせてくれた。

 娘が白い花が好きだと聞いてのことだった。


 ナタリア……喜ぶな。

 嬉しそうな娘の顔が浮かび、自然と笑みがこぼれる。


 その時。

 夜の闇を切り裂くように空が赤く染まった。


 なんだ!?


 驚いて見上げると、そこには……真っ赤な竜が飛んでいた。

 なんで……

 竜の群れは王国の魔法使いたちによって、奈落の底に封印されているはずだった。

 しかも、万一に備え王国と周辺の町や村には結界が張られている。


 襲われる事など無いはずだった。


 だが、わしの脳裏には唯一つのことだけがあった。


 あの竜の居る場所……わしとナタリアが住む街だった。


 それからの事は覚えていない。


 気がついたら、走りすぎたせいか両足から血を流しながら、街に駆け込んでいた。

 

 だがわしの目に映っていたのは……地獄だった。


 竜が吐いたであろう炎によって燃え上がる家々。

 逃げ遅れた住民に食らいつく赤い竜。


 知った顔がまるでおもちゃの人形のように蹂躙されていく。

 それはこの世の光景とは思えなかった。


 「ナタリア……ナタリア!」


 わしは娘の名を必死に叫んだ。

 声を出せば赤い竜に気付かれる。

 だがそんな事を考える余裕は無かった。


 必死に叫びながら炎の間を駆け回った。

 やがて、炎に包まれた剣術道場に来たわしの耳に子供の泣き声が聞こえた。


「ナタリア姉ちゃん!」と。

 

 わしは足をもつれさせながら必死に子供のほうに向かった。

 そこへ向かったわしは……呆然と立ちすくんだ。


 目に映っていたのは、道場の前で泣いている7歳くらいの男の子と女の子。

 そして……その子達に覆いかぶさるようにして倒れているナタリアの姿だった。


 声にもならぬ声をあげてナタリアの元に駆け寄った。


 彼女の……ナタリアの背中は炎によって酷く焦げていた。

 それだけではなく、片足も無くなっていて酷く出血していた。


「お姉ちゃん……僕らを……守って……」


 男の子は泣きじゃくりながら言ってたが、ほとんど耳に入らずわしはナタリアの名を呼んだ。


 すると、彼女は顔を起こしうっすらと目を開けた。


「ナタリア……ああ、神様! 良かった。生きてたのか。さあ、行こう。街から出るんだ!」


「パパ……生き……良かった……」


「今、おぶってやる。大丈夫。パパが助けてやるから」


 だが、ナタリアは首を振った。


「この……子達……を」


「だめだ。お前も連れて行く」


「パパ……お花……見せて……」


 わしは手に持ったままの白い花束を慌ててナタリアに見せた。


「お前に……だから帰ろう!」


「き……れい……」


「行くぞ! 今……おぶっていく!」


 だが、ナタリアは首を振って道場の裏を指差す。


「に……げて……この子たちと」


「だめだ! お前もだ!」


 思わず怒鳴りつけてしまった。

 すると、ナタリアは驚いた顔をして、ニッコリと微笑んだ。


「パパ……えらい……ちゃんと……怒……れるじゃん」


「いくらでも……これから怒ってやる! だから……」


「パパ……これ……」


 そう言ってナタリアは手元の短剣で自分の髪をまとめて切るとそれをわしのポケットに入れた。


「お守……り。パパ……守って……あげる」


「そんなのいい! 帰るぞ!」


 そう言って無理やりナタリアを背負おうとしたその時。

 突然道場の影からわしを引っ張る強い力を感じ、そのまま子供たちとわしは道場の影に倒れこんだ。

 

 そして……次に目に飛び込んだのは、赤い竜に咥えられたナタリア……そしてそれはまばたきの間に小さく空の向こうに消えて行った。


 呆然としたわしは背後を見ると、そこには緑のローブに身を包んだ女性と、鉄の鎧を着た若い男性が苦しそうな表情で空を見ていた。

 気がつくとわしは男性の胸倉を掴んでいた。

 視線で殺せるならそうしていたほどにらみつけて。


「なんで……ナタリアを……」


「すなない。彼女を助けたら全員やられていた。後、彼女は……もう助からない。足を食いちぎられていた。出血が酷すぎた」


「ゴメンなさい。私たちを憎むといい。竜を食い止められなかったのは私たちが弱いせい。この街を……娘さんを救えなかった」


 ローブの女と鎧の男はそう言うとその場に土下座した。


 わしは……呆然とそれを見ると、その場で声を上げて泣いた。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 翌日。

 跡形も無くなった故郷の街の外れの丘。

 

 ナタリアが好きで良く来ていた丘に彼女の墓を作った。

 あの場に落ちていた、彼女の愛用の短剣。

 それを埋めた。


 わしと男の子、それと女の子は墓の前で泣き続けた。


 鎧の男性とローブの女性も何も言わずそれを見ていた。


 やがて時間が経ち、泣き止んだわしたちに彼らは言った。


「これから……どうしますか」


 わしはポツリと言った。


「ナタリアの……敵をとる。この子の墓の前にあの赤い竜の心臓を捧げる。絶対に」


 二人の子供も泣きながら頷いた。


「であれば……良かったら、一緒に来ませんか? 俺たちは結界を破った竜たちを全滅させるためのドラゴンスレイヤーです。俺たちも元々竜に家族を殺された。あなたの気持ちは分かる」


 わしは二人に向き直ると、立ち上がって二人に向かい頭を下げた。


「僕を……強くしてください。どんな事にでも耐えます。奴を……殺せるくらい強くなれるなら、この身がどうなってもいい」


「分かりました。僕らも鍛えなおさないといけない。共に師匠の元に行きましょう。……ただ、修行は厳しいですよ。死ぬ事もある」


「敵を取れるなら、この命……捨てます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る