私のデリバリー(前編)

 私、塚本春香つかもとはるかは朝からソファに寝転がり、ゲームのキャラクターがプリントされたクッションに顔を埋めてダラダラとスマホを見ていた。


 動画配信サイトを見ては、出ることのないやる気を出そうとする「ふり」をするいつも通りの一日の始まり。

 

 事の始まりは一ヶ月前。職場に行こうと玄関に座って靴を履こうとしたとき。

 私はそのまま立てなくなった。


 また夜遅くまでお仕事しなくちゃいけない。

 今日もなにか失敗しちゃうのかな?

 想定外の出来事が起こったら……嫌だ。

 今からほぼ12時間以上お仕事だ。


 そんな事が出しっぱなしのお水のように浮かんできた。


 大丈夫、行ってしまえば勢いでなんとかなる。

 いつものことだ。

 こんな理由で休む人なんて職場もだし、外を歩いている社会人の誰もいない。


 そう思った。

 思った途端、涙が溢れて止まらなくなった。


 そのまま仕事を休んだ。

 1日だけのつもりがそれから毎朝玄関に座って出ようとすると涙が出る。

 そして同居している妹に進められて心療内科を受診した私への診断名は「中度の適応障害」


 そして私のOL生活は5年8ヶ月にて一旦終わりを告げた。


 それからは今までの「遅刻欠勤ゼロ。残業もいとわずやります」の反動のように何もできなくなった。

 妹のために朝食を作ると、あとは帰ってくる妹のために夕食の下ごしらえを行うと、私の1日の業務は半分以上が終了。

 あとは洗濯物を干したり取り込んだり、掃除をしたり。


 自分の精神的負担の重い元凶以外は通常通り動くことができる。

 メンタルクリニックの先生に相談したとき、所謂いわゆる「適応障害」または「新型うつ」が近いのかもしれないと言われた。

 と、言うことはお仕事はキツイのか……


 職場は休職中だが、きっと職場の人事も、そして私自身も復帰できるなどと思っていない。

 そして、趣味の小説もあの玄関での朝以来書いていない。


 こちらもお仕事と同じくらい怖いのだ。

 ずっと楽しく書いてたけど、急に怖くなった。

 もし、評価されなかったらどうしよう。


 そう。仕事を休職してから、私の中に(小説を当てたらちゃんとした社会人に戻れる)と言う気持ちが芽生えてしまったのだ。

 そう思い出すと、小説を書くことが息抜きや幸せな時間ではなく「生き残るための手段候補」なり、その途端それまで目もくれなかったPVや星に異常にすがるようになった。

 また、ひどく苛つくようにもなった。


 そして今。

 朝から十数回目となった投稿サイト「ヨミカキ」のチェックと、来ない通知を確認し、スマホを壁に投げつけた自分に怯えた。

 もうヤダ……こんなアカウント……もう消そう。


 どうせ私なんて必要とされていない。

 このまま居なくなったって心配するの妹くらいじゃん。

 

 そう思ったとき。

 突然、家の電話が鳴り出した。

 うんざりしながら電話に出た私に受話器の向こうから若い男性の声が聞こえてきた。

 背後には子供の泣き叫ぶ声が聞こえる。


「すいません。オムライスとホットケーキお願いします」


 はあ?


「あの……すいません、家は……」


「すいませんが大至急で! 仲里敦也なかざとあつやと言います。住所は……」


 と、一方的にまくしたてて電話は切れてしまった。  

 私はぽかんとしながら受話器を置くと、ため息をついてまたソファに身を沈めた。

 あわてんぼさんにも程がある。

 バカバカしい。

 ずっと来ないオムライスとホットケーキをお待ちになってくださいな。


 だが、なんの気まぐれだろうか。

 いつもヨミカキの作者の中で、毎日食べた食事の感想をエッセイにしている人が居た。

 「金しゃち」と言うペンネームの人で、出てくるお店が私の住んでいる同じN市のため、親近感を感じて読んでいたのだ。

 その人の近況日記をふと覗いた。


 すると……

「子供がホットケーキが食べたいと泣き叫ぶので、生まれて初めて配達初挑戦! ついでに自分の分のオムライスも」と書かれていたのだ。


 嘘でしょ……


 これって……私のやつ!?

 いやいや、流石に偶然だろう。

 でも、もしかしたら。


 湧き上がる好奇心を抑えることができず、私はキッチンへ向かった。


 それから1時間後。

 私は震えるような緊張を抑えながら指定された住所のあるアパートの1室の前に立っていた。


 どうしよう。

 勢いと好奇心で来ちゃったけど、これって絶対不審者だよね……

 私が逆の立場なら、間違い電話を真に受けた見知らぬ女が料理を持ってきたら通報案件だ。

 

 やっぱり帰ろう。

 私、どうかしてた。


 ドアの前で引き返そうとしたとき。

 中から「分かった分かった! すぐに買ってくるって」と言う声とともに眼の前のドアが開き、中から40代後半だろうか。渋い感じの所謂いわゆるイケオジの姿が見えた。


「あ……」


 私は突然のイケオジの出現に完全に動揺しきってしまい、メガネを意味なく何度も触っては直しながら、気がついたら「あ、あの、お届け物です! ご注文のオムライスとホットケーキ!」と口走っていた。


 やっちゃった……


 イケオジは一瞬私の姿を見て怪訝な表情をしていたが、すぐにニッコリと笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます。ちょうど良かった。娘が待ちきれなかったので。料金はおいくらでしたっけ? すいません、注文の際に確認してなくて」


「い、いえ……代金は……その、結構です」


「え? 結構って……」


「えっと……その、き、金しゃちさんですよね。ヨミカキのエッセイで拝見して……私、ユリっ子の名前で書いてます。さっき間違えて注文受けたの、私です。0529◯◯◯▲▲▲▲の番号です」

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