ヒーローなんかじゃない(前編)

 子供の頃の夢は正義のヒーローだった。


 俺だけで無く、男の子なら誰だってそうだろう。

 そこから大人になるにつれ、流石にヒーローへの憧れなんて消えて無くなる。

 それからは俺も周りと同じく、その時々に年齢相応の夢を持っては現実と折り合いを付けて、霞んでいく。


 そして今。

 35歳になった俺の目の前には……ヒーローがいる。

 この国の人間なら誰もが知っている「オリンピア」と言われる、純白の近未来的なアーマーとマントに身を包んだ、性別不詳のヒーロー。

 

 そんなヒーローは俺……いや、正確には俺と仲間達に顔を向けると言った。


「このまま消えなさい、悪の化身達」


 いや、言われるまでも無くそうしたいんだけどね……

 ただ……

 

 俺たちはお互いに顔を見合わせる。

 今、全身を包んでいる戦闘員の服は、俺の所属する組織「シェイカー」から至急されているものだが、暑さ寒さも感じず4階建てビルの屋上から落ちても、激痛程度ですぐ動けという優れものだが、難点は着ている限り一挙手一投足までシェイカー本部のコンピュータに記録される。


 そして、どれだけ組織に貢献する動きをしたかが、昇級やボーナス。果ては出世に影響する。

 あまりに連戦連敗が続いたので、夏のボーナスは40パーセントもカットされた。

 冬はなんとか満額欲しい。

 克明もUSJに行きたがってたし……何とかボーナスを旅行資金に当てたい。


 目的は違えど他の戦闘員も一緒。

 ボーナスで生計を立てている。

 

 俺たちは覚悟を決めた目でお互いを見ると、オリンピアに向かって奇声を上げて飛びかかった。

 そう、この服は「身元がバレないように」と言う事で、顔を覆っているマスクで何をしゃべろうが、組織の人間以外には甲高い「ヒーッ!」と言う声にしか聞こえないのだ。


 そして……俺たちはボコボコにされた。

 またもや。


 ※


「ヤバいっすね、これ。そろそろ本部から呼び出しかかるんじゃないですか?」


「かもな。でもそれは大滝さんみたいな上級の怪物だけだよ。俺たちは書面での注意程度じゃ無いかな」


「でも、冬のボーナスはヤバいっすよね」


 う……

 それは耳に痛い。


「冬まで下げられたらエグいっすよ正直。俺、最近付き合い始めた彼女がいるのに。って言うか、転職考えないとかな……でも、ここって給料かなりいいし、福利厚生も充実してるじゃ無いですか? 提携先の有名レストランとか1流ホテルも格安で使えるし」


 そう。

 この組織は仕事はブラックそのものだが、給料が同年代よりもかなり良い水準だと思う。

 ただ……容赦なく下げられるだけだ。

 訴え出たくとも、まさか悪の組織が労働基準監督署に行くわけにも行くまい。

 俺とて仕事に対するプライドや、組織への最低限の愛社精神くらい有る。


「あ~あ、何でこんな職場に入っちゃったかな……って、給料良くて仕事が楽だからか。吾妻あずま先輩は?」


「俺は……同じだ」


 俺は苦笑いを浮かべながら答えた。

 だが実際は違う。

 

 誰も愛する正義のヒーロー……

 俺がそんなオリンピアに、まだ憧れを抱いていた11歳の頃。

 俺の幼なじみの亜衣あい……今の女房だが。

 その亜衣と学校帰りに裏山へ、亜衣が興味のあった植物を見に行くために向かっていたとき、シェイカーの怪人……紫のトカゲみたいなスーツを着ている男とオリンピアが戦っている現場に出くわした。

 

 俺たちは驚いて呆然としているとき、オリンピアの攻撃によって砕けた木の破片が俺たちに向かってきた。

 俺は亜衣を守ろうとしたけど防ぎきれず、破片は亜衣の腰に刺さった。

 身体に感じる亜衣の血の感触と、苦痛のうめき声。

 俺も足に破片が刺さり、動けない。


 俺は動揺しながら、きっとオリンピアが助けてくれる。

 そう思っていた。

 正義のヒーローなんだ。

 戦いに巻き込まれた俺たちをほっとくわけが無い。

 そう信じていた。

 

 だが、周囲が暗くなっても俺たちの元には誰も来なかった。


 なんで……


 それから30分くらいだろうか。

 永遠に感じる時間の中、亜衣のすすり泣きを聞きながら俺はようやく悟った。

 オリンピアは……正義のヒーローは、俺たちを見捨てた。


 涙も浮かばず呆然としていた俺の前に、突然光が差し込んだ。

 オリンピア!

 やっぱり……来てくれたんだ!


 沸き立つ心を抑え切れずに光の方を見ると、そこに居たのはさっきのトカゲスーツを着た男だった。

 マスクを外しているその人は、中年サラリーマンみたいな横から分けた髪型で、眼鏡をかけていて、何かに耐えているような表情だった。


 殺される……

 俺は無意識に亜衣に覆い被さった。

 

「コイツは……助けてください! 殺すなら俺だけで!」


「ダメ……克也君……」


 亜衣だけは死なせない。

 だって、コイツだけなんだから。

 ずっと「ヒーローになりたい!」って言ってた俺を笑わなかったのは。

 クソ真面目に応援してくれてたんだから。

 だから……コイツの前でだけはヒーローでいたいんだ。


 恐怖で歯をガチガチ鳴らしながら、トカゲ男をキッと睨み付けると、トカゲ男は突然笑顔になった。

 それは、まるで昔死んだ父親の笑顔に見えて、ギョッとした。


「間違うな。私は助けに来た。すまない、二人とも。巻き込むつもりは無かったんだ」


 そう言うと、トカゲ男は俺たち2人と軽々と抱え上げた。


「大人しくしてろ。我が組織が提携……協力してもらってる、って意味だ。その病院に連れて行く」


「……離せ! 悪者の言葉なんて信じるかよ!」


「この子を助けたくないのか!」


 そう強い口調で言われて、俺は言葉に詰まった。


「本当に大切な物を守りたい。そのためなら自分を捨てる事もためらわない。それが出来るのが男だ。今は自分を捨てろ!」


「あ……」


「私は大滝瑛人おおたきえいと。紛れもなく悪の組織の悪者、ってやつだな。でも、お前達を巻き込んだことを恥じ、助けたいとも思ってる」


 そう言うと、まるで空を飛んでいるかのような速さで山道を駆け下りて、病院に運んでくれた。

 それだけ出なく、治療費まで出してくれて家まで送り届けてくれた。


「あの……何でここまで」


 そうポツリと聞く俺に、大滝さんは恥ずかしそうに言った。


「悪者にもプライドがあるんだ。これ以上は言わせるな」


 そして、また空を飛ぶような速さで居なくなった。


 俺はその姿を、目に焼き付けるように見送っていた。


 その後、大学を卒業してから、大滝さんにとある出来事で再会した俺は、大滝さんと同じ組織……シェイカーに就職を希望した。

 反対されたが、半ば強引に面接を受け……今に至る。


 と、言いつつしがない一戦闘員の俺では恩返しどころじゃないが……


 ※


 疲れ切った身体を引きずって車から降りると、アパートに目を向ける。

 灯った光を見ると、張り詰めた心がほぐれるようでホッとする。

 2人ともまだ起きてたんだな……


 俺は階段を上がると、我が家のドアを開ける。

 すると、中から小雪と亜衣の笑い声が聞こえる。

 どうやら2人で動画配信を見ていたようだ。

 この春から小学6年生になる小雪は、サッカーと動画配信に去年からハマっているのだ。


「ただいま」


 そう言うと、亜衣が優しく微笑んで「お帰り。お仕事お疲れ様」と言ってくれる。

 そして、小雪がパッと笑顔になると、俺に向かって駈け出してくる。


「お帰り、パパ! 仕事お疲れ!」


「ああ、学校お疲れ様。今日は楽しかったか?」


「バッチリ。今日、体育でサッカーだったけど、決勝点上げたんだよ!」


「おっ! 凄いな。お前、前も2本シュート決めてなかったか?」


「そうそう! そりゃこのくらいやるって。だって、パパの子供なんだからさ」


 小雪の言葉に胸がチクリと痛む。

 だが、そんな俺の内心も知ることも無く小雪は続ける。


「だって、父さん正義の味方じゃん! 私だって恥ずかしくないようになりたいんだって!」


 そう。

 俺は娘に嘘をついていた。

 

 もちろん最初から嘘をつくつもりなんか無かった。

 切っ掛けは2年前。

 町外れの貯水槽でオリンピアと、戦っていたとき。

 その時は、大滝さんと2人で任務に当たっていたが、丁度オリンピアとかち合った。

 大滝さんはオリンピアの蹴りで壁に激突し、俺も戦闘服がズタズタになったので慌てて避難しようとしたとき……丁度1人で遊びに来ていた小雪が通りががった。

 

 ヤバい……おしまいだ。


「パパ……?」


 尋常で無い様子の俺を見て呆然としていた小雪の姿を俺は震えながら見ていた。

 そんな目の前が真っ暗になった俺に対して、突然オリンピアが「協力、感謝する! 仲間よ!」と言って、飛び去っていった。

 

 え……?


 ポカンとする俺に対して、顔を紅潮させた小雪は駆け寄ってきて言った。


「今のオリンピアでしょ! さっきパパ、オリンピアに『仲間』って言われてたよね! ……父さん、オリンピアの仲間だったんだ!?」


 ……違う。

 パパは……


 だが俺の口から出たのは「そうだ。パパ、ずっとオリンピアと一緒に戦ってた」と、言う言葉だった。


【後編に続く】

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