鈴虫
いつまでも暑いわね。
こういう日って朝から憂鬱で……
あら? あなた、暑いの好きなの?
羨ましいわ。
わたし、どうしても苦手で。
ああ……ごめんなさいね。
せっかく来て下さったのに、お茶も出さずに。
紅茶かコーヒーどちらにする?
あら? 日本茶?
あなた、お若いからてっきりそれだけは無いと思ってたのに。
ううん、問題は無くてよ。
こんな小さなお家に来て下さるお客様なんて、ここ数十年いなかったんだから嬉しいわ。
自分より若い人の訪問なんて、それだけで場が華やぐもの。
でも、なんでこんな何の面白みも無いおばあちゃんの家に?
え? カフェの経営の一環?
……ああ、ごめんなさい。今時の若い子の考える事ってよく分からないわ。
でも、報酬は……その……最初の呈示金額でいただけるの?
ああ、ごめんなさいがめつくて。
実は、最近私に興味を持ってくれてる女性がいて……ふふっ、可笑しいでしょ。
今までずっとメールでのやり取りだけど、今夜初めて顔を合わせるの。
ああ……小娘みたいに胸がときめくわ。
でもね、こういう気持ちに歳は関係なくてよ?
どんな理由であれ、人に求められることは幸せ。
あ、お名刺まで……有り難う。
カフェ京野?
へえ……結構遠いところにあるのね。
昔はこんなじゃ無かったのよ。
今でこそこんな、人目を避ける変わり者のおばあさんになっちゃったけど、ずっと昔……まだ17歳の頃はそうじゃなかった。
あのお屋敷での出来事までは……
その若さでカフェの経営なんて凄いわね。
私はそんな勇気出なくて……
そんなあなたの姿に尊敬の気持ちを持ってるのよ。
だから、今から話してあげる。
あの秋の日の出来事を。
あの日。
女子校に通っていた私と3人の友達……加世子、絵里、ふみは10月を迎えて浮き足立っていた。
あの時の私は秋が大好きだった。
木々の鮮やかな色や、木々の発する生命に溢れた香り、秋の不思議に優しく心地良い香りは自分を祝福してくれるように感じたから。
でも、浮き足立ってたのはそれだけじゃ無い。
クラスに新しくやってきた担任の人……忘れもしない。
浅田澪(みお)先生。
肩まで伸びた日本人形のようなつややかな黒髪。
宝石を細工したような瞳。
そして……桜のような甘い香り。
私たちは先生に夢中になった。
そして、先生も私たちに興味を持ってくれた。
同性愛……なのかしら?
今でも分からない。
たぶん崇拝が近いと思う。
あの人の役に立ちたい……かしら。
そんなある日。
先生からお家に誘われたの。
私たちははしゃいだわ。
新しい扉が開いたような喜びに包まれながら、先生のお家……広い広いお屋敷に入った私たちを待っていたのは……地獄だった。
ねえ、あなた? ちゃんと控えて下さってる?
あの夜の事をもう二度も話したくないの。
だから1回きりにするつもりだから、ね。
先生は平屋建てのオシャレなお家に1人暮らしだったようだけど、本当に美味しい食事を頂いたわ。
ただ、その日の私は風邪をひきかけてたせいか、食欲が無くて胃の調子も悪くて。
でも、断るのが嫌だったから食べた後で、こっそりお手洗いに行って全部戻しちゃった。
今思えば、それが運命の分かれ道だったの。
私たち4人は温泉のようなお風呂も頂いて、心から幸せだった。
そして、たまらなく酷い眠気に襲われたとみんなが言い始めたので、付き合って眠ることにした。
でも、すぐに寝入ったみんなを余所に私は眠れなかった。
大好きな先生のお家。
それに、恥ずかしいけど……邪な考えもあったの。
みんなを出し抜いて先生と深く通じ合えるかも。
そんな気持ちがあって。
きっと非日常感の中で感覚が狂ってたのね。
普段ならそんなこと考えない。
で、部屋をこっそり抜け出してお庭に出たの。
頭を冷やして先生と仲良くなれる作戦を練りたくて。
沢山のお花や木々が植わっているお庭からは何とも言えない香りが漂ってた。
その香りにウットリしてたら、急に別の匂いも混じってきたの。
生臭い……鉄のような匂い。
それだけじゃない。
ぐちゃ。ぷつっ。じゅるじゅる。
そんな聞いたことも無い、生々しい音が聞こえてきた。
鈴虫の鳴き声に混じる変な音。
そして吐き気を催すような……匂い。
怖くなった私はみんなの所に行こうとしたけど、足が止まった。
直感? とでも言うのかしら。
ここから先に行ってはだめ。
この先の景色を見ては行けない。
そんな予感がハッキリと、脳内に言葉として浮かんだ。
そう、あそこで逃げ出すべきだった。
でも、私はそうしなかった。
みんなを助けたい、なんて善良な思いじゃ無い。
この後に及んでも私は先生の力になれるかも、と言う意味不明な気持ちになっていた。
そう。私は先生に恋をしてたのね。
で、足音を立てないように襖に近づいてそっと開けた私が見た物。
それは、寝ている3人とそのうちの1人……絵里だったかしら?
その絵里の顔に口づけている先生だった。
でも……先生の顔は血に染まっていた。
神々しくてこの世の物とは思えなかったけど、次に目に入った物は私の理性を破壊した。
先生の口から短い何かが垂れ下がっていた。
あれは……舌だ。
人の……舌。
月明かりに照らされハッキリと見えた。
そして、3人の顔はまるで絵の具をぶちまけたように血に染まっていて、開けられた口からゴボゴボと赤い血があふれ出ている。
私は腰を抜かしてその場にしゃがみ込んだ。
すると私に気付いた先生は無表情で私に近づいてくる。
殺される。
そう思った私は、突然足に力がみなぎるのを感じて立ち上がると逃げた。
家を飛び出して、ただ走った。
耳には鈴虫の綺麗な泣き声。
そして鼻に、肺に容赦なく飛び込んでくる秋の空気。
でも心臓が破裂するような痛みにも耐えて走った。
そして、もう大丈夫かな? と思い公園のベンチに座ってペットボトルのお茶を買った私は、それを一気に飲んだ。
すると、口の中ににょろん、と変な感触がしたの。
さて、ここで京野さんにクイズ?
私の口に入ってきたのは何だと思う?
……ふふっ、分からない?
正解は……ムカデでした。
ふふっ……そうなの! 買ったはずのお水の中にムカデが入ってたのよ!
私は激しく嘔吐した。
次の瞬間、うずくまる私の耳に「見つけた」と先生の声が。
私は気がつくと、近くにあった大きな石を持って先生を殴った。
何度も何度も。
頭が潰れるくらい。
まるで赤いザクロの実を割ったみたいに。
ううん……違うな。
イチジクの実を割った感じが近いかな? ね、京野さんはどっちが近いと思う?
人の……あ、先生は人じゃ無いか? 生き物の頭を割った時って。
……分からない?
あ、そう。つまんないの。
はい、これで話はおしまい。
え? それで終わり?
そうよ。
だって私、ここにいるじゃない。
と、言うことは生き延びたの。
助かったって事。
ふふふっ……本当にざまあみろ!
私はそれからもずっと怯え続けてた。
お陰でペットボトルも二度と飲めなくなっちゃった。
鈴虫の声を聞くのも嫌でね……だから、こういう都心部のマンションの高層階にずっと住んでるの。
先生はもういない。
先生は悪魔になっちゃった。
先生は生徒に……殺された。
あ、そうそう。
もうすぐ、最初に話した彼女が来るのよ。
私の事をずっと前から知ってる、って。
こんな私に興味を持ってくれてたなんて……幸せだわ。
え? 急用が出来たから、もう帰る?
ねえ、せめて彼女にだけでも会ってくれない?
私、あなたともお友達になれそうだから……
……そう、分かったわ。
ねえ、どうしたの? そんなに急いで。
さっきまで急用なんて言ってなかったじゃ無い。
まあ、いいわ。
じゃあ、素敵な夜を。
近いうちにあなたのカフェ、お伺いするわね。
【終わり】
今日のお話はここまでとなります。
今回は店主の私が出てしまい失礼致しました。
ちょっとライムが別の用があったので、最近仕入れたある女性の一瞬を切り取ってご覧頂きました。
え?
さっきの人はいつこのカフェに来る?
……来ることが出来れば……いいのですが。
ととっ、本当にスマホアプリって便利ですね。
地域のニュースまで見れちゃうなんて。
……うわあ、怖い。
見てください、このニュース。
「マンションの一室で老女の変死体」ですって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます