放課後旧校舎

@tonkatsu186666

第1話

 「やっと学校終わったよー」


 「なんかお腹空いたなー」


 「じゃあどっか寄ってく?駅前に新しくできたケーキ屋さんとかどう?安くておいしいらしいよ」


 「それめっちゃいい!行こ行こ!」


パタパタパタ…


 中断させていた集中力を目の前の数学の問題に戻す。どうしてあんな他愛のない会話をあれほどのハイテンションですることができるのだろう。中にはあなたたちとは違って集中して勉強に取り組んでいる人もいるというのに。ここは教室。他のみんなは部活や友達と遊ぶことで忙しいらしい。授業が終わると同時に教室を飛び出していったので、今もここにいるのは私1人だけだ。

 

 (そろそろ帰るか) 


 机の上に広げていた問題集とペンケースをカバンにしまっていると、突然、教室のドアが開く音がした。目線を上げると、担任の先生がドアの近くに立っていた。先生の視線が私を捉える。


 「堀川、残ってるのお前だけか?」 


 「はい、そうですけど」


 「じゃあ、悪いけど旧校舎から適当にダンボール取ってきてくれないか?明日から文化祭の準備を始めようと思うから、そのために」


 「そういうことですか。それなら任せてください!」

 

 私は得意の笑顔を浮かべながら答えた。この笑顔を見せれば相手に好感を持ってもらえるのは間違いない。だって、昔からそうだったから。

 

 「そうか。じゃあ、頼んだぞ」


ピシャリ、パタパタパタ…


 そう言うと、先生は素早くドアを閉めてすぐにどこかへ行ってしまった。先生も忙しいのだなと思いながら腕時計に目をやる。大丈夫、すぐに行けば間に合うはずだ。そう判断した私は教室を出て小走りで旧校舎に向かった。そういえば文化祭はいつあるんだったっけ。私のクラスの出し物はなんだっただろうか。興味がないので忘れてしまった。


 旧校舎は木造の2階建てで、3階建ての現校舎の後ろにかくれるように建っている。この高校に入学して1年半ほど経つが、旧校舎の中に入るのは初めてだった。老朽化が進み、今は完全に物置と化してしまっていると聞いていたが、中は思っていたよりも綺麗だった。昇降口を抜けて左右にまっすぐのびる廊下を右に曲がり、1つ1つの部屋を覗いていく。日光はほとんど入らない、聞こえるのは自分の足音だけ。まるで世界が私だけを取り残して時を止めてしまったような、そんな気がしたーーーーーいや、私だけではなかった。3つ目の部屋を覗いたときだった。そこに彼女はいた。その部屋は元々教室だったのか机と椅子が10組ほど置かれており、その中の1つの机に腰をかけ、窓側に顔を向けていた。私はその後ろ姿に見覚えがあった。すると突然、視線を感じたのか、彼女が私を振り返った。


 「あ…」


 「…」


 腰まであるストレートの黒髪、制服からのびる手足は色白で細く、二重でまつ毛の長い大きな瞳は私をしっかりと捉えて離さなかった。仕方がないので部屋のドアを開き、いつもの笑顔をつくって話しかけてみる。


 「あの…東條律さん、ですよね。私、堀川心音っていうんですけど、覚えてますか?1年の時、席が後ろだったんですけど…」


 「…」


 気まずい。


 「えっと…あ!ダンボールってどこにあるか知りませんか?文化祭で使いたくて、それで先生に頼まれてここにきたんですけど…」


 「…2階の1番奥の部屋」


 自分でも信じられないくらいの早口で喋ってしまったことを一瞬後悔したが、やっと反応を示してくれたことにホッとする。


 「そうですか!ありがとうございます!」


 それだけ言うと、私は逃げるようにその場を立ち去った。東條律、彼女はクラスで浮いた存在だった。無口で無表情で何を考えているのか分からない。いつも1人で、静かに自分の席に座っていた。そしてちょうど1年ほど前、彼女は全く学校に来なくなった。そんな彼女がなぜここにいるのか。気になるけれど、聞く勇気がない。そんなことを考えていると目的地に着いていた。2階の1番奥の部屋に、確かにダンボールが大量に置いてあった。私は手に持てる分だけのダンボールを持ち、教室に戻った。そして、自分のカバンを持って家に向かう。その帰り道、スマホの画面を見て笑い声を上げる女子高生2人組とすれ違った。巨大なビジョンから新商品のコスメの宣伝が流れた。どれも私とは無縁のものだ。なのに、さっきまで静かな所にいたせいだろうか。街を包むすべての音がいつもよりもうるさく、耳にこびりついて離れなかった。同じく街を包む夕日と街灯の光は、私には眩しすぎた。


 「ただいま」


 「ああ、おかえり」


 母親のいる台所に顔を出すと、母は最初に私のことを見たがすぐにその目線を左斜め上またりに動かした。母が見ているのは時計だ。私は母と2人で暮らしている。いわゆる母子家庭というやつだ。私が小学生の頃に両親は離婚し、それから母は私に厳しくなった。この家にはいくつものルールが存在し、その中の1つに門限は6時というものがある。ちなみに今が5時56分だということは玄関で確認済みだ。母は目線を私に戻す。


 「もう少し余裕を持って行動するようにね」


 「…はい」


 「それと」


 そう言うと母は私に右手を差し出した。私はその意味をすぐに理解し、差し出された右手にカバンから取り出したスマホを置く。これもルールの内の1つ、帰宅したらスマホは母に預けなければならない。スマホを受け取った母は私に背を向け、料理を再開した。


 「部屋で勉強してくるね」


 私は今できる最上級の笑顔をつくってそう言ってみたが、母は振り向くどころか返事すらしてくれなかった。私は2階にある自分の部屋に入るなりカバンを床に落とし、電気もつけずにベッドに飛び込む。


 (やっぱり覚えてないか)


 まだ両親が離婚する前、母は私の笑顔をよく可愛いと褒めてくれた。私が笑うと両親も笑ってくれた。私はそれが嬉しくて、人前ではいつも笑顔でいることを心がけた。なのに。最後に母の笑顔を見たのはいつだっただろうか。私はそこで考えるのをやめて、強く目を瞑った。すると何故か、瞼の裏に旧校舎と東條さんの姿がはっきりと映し出された。



 翌日の放課後、私は旧校舎を訪ねた。本当にこかは静かだ。まるでここだけ現実から切り離されてしまっているような、そんな感覚に陥る。


 (いた)


 昨日と同じ部屋に、今日は机ではなく椅子に座っている彼女を見つけた。私は1度深呼吸をしてから彼女がいる部屋のドアを開いた。2つの大きな瞳が私に向けられる。


 「あの、昨日はありがとうございました」


 「…」


 「えっと…」


 自分でもよく分からないが彼女に見つめられるとなんだか緊張してしまう。次になんと言って言葉を繋げようか迷っていた、その時、


 「あなたも聞きにきたの?心の声を」


 「…へ?」


 まさか彼女から話しかけられるとは思っていなかったので、反応するのに少し時間がかかってしまった。ていうか、今この人なんて言った?確か、


 「こころのこえ?」


 そう言うと彼女は小さく頷き、右手を顔のあたりまで上げて手招きをした。私はそれに促されるまま部屋の中に入り、彼女の隣の席に座る。


 「ほりかわここねさん」


 「は、はい?」


 「覚えてる」 


 「?」


 「昨日言ってたでしょ。『私のこと覚えてますか』って。覚えてる。いや、正確には思い出した、かな」


話の内容が見えてこない。私があからさまに首をかしげると、彼女は言葉を続けた。


 「ここったすごく静かでしょ。だからよく聞こえるの。毎日時間や仕事とかに追われて、人間関係維持するためにたくさん嘘ついて、時にはもう全部のことが嫌になって現実や自分から目を背けて、そんな風にしてだんだん小さくなって聞こえなくなってしまった、心の声が」


「…つまり、私が何か悩みを抱えているんじゃないかってことですか?」


 彼女が小さく頷く。


 「…ふふっ、あはは!そんなことないですよ。私べつに悩みなんて無いですから!」


 私はいつもの笑顔を彼女に向けた。


 「じゃあ、なんでそんな風に笑うの?」


 「え?」


 「自分じゃ分からないと思うけど、あなたの笑顔って左右非対称なんだよね」


 さゆうひたいしょう、左右非対称?私はその意味をゆっくりと咀嚼していく。スカートのポケットからコンパクトミラーを取り出し、鏡に映る自分に笑いかける。確かに、右の口角が若干左よりも下がっている。それに気づいた瞬間、鏡の中の私がグニャリと歪んだ。目から頬、顎に向かって熱いものが流れていく感覚がした。


 「ひっ……うぅ…」


 「…」


 本当は羨ましかった、休み時間や放課後に聞こえてくる楽しそうな声が。本当は知ってた、文化祭の日時と私のクラスの出し物が何なのか。本当は気づいてた、私が笑っても相手が笑ってくれなくなったことに。全部、全部、全部、知らないふりをしていた。だってそっちの方が楽だから。家のルールが変わらない限り、友達と放課後に遊ぶことも、スマホでおしゃべりすることもできない。現実が変えられないのなら、私が変わるしかなかった。ずっと我慢して、笑顔を作り続けた。そうすればいつか、誰かがもう1度私に笑いかけてくれるようになるって信じていたから。でも、その笑顔は偽物だった。お母さんが可愛いと褒めてくれた笑顔は、私も知らないうちに消えてしまっていた。


 「…聞こえたでしょ?あなたの心の声。これからはそれを大事にしてあげてね」


 東條さんの声を聞きながら、私は涙が枯れるまで泣き続けた。



 ありがとう、東條さん。そう言って帰っていった彼女の顔に浮かんでいた笑顔は左右対称だった。1人になり、静寂が訪れる。ここに通い始めて約1年、様々な理由で心の声が聞こえなくなってしまった人たちと接してきたが、いまだに自分の心の声は聞こえない。それどころか、喜び、悲しみ、怒り、そのような感情もよく分からないままだ。昔はそんなことはなかったのだが、


ガラガラガラ…


 ドアが開く音がした。そこには今にも泣き出しそうな顔をした女の子が立っている。それを見た私は、お馴染みの言葉を口にする。


 「あなたも聞きにきたの?心の声を」


 



 


 

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