Junction1.0 2009 円環


 孫が生まれてから、よく昔のことを夢に見るようになった。


 物心ついたころには孤児院にいて、米軍のジープがカラカラと音を立てながら、毎日施設の前を走っていた。時折気前のいい兵士が孤児院で遊ぶ子供にチョコレートや見たこともない異国の菓子をくれたことを覚えている。

 17の時、工場で今の妻の洋子と出会い、18の時結婚した。

 北部に移り住んでから二人の息子をもうけ、一人は結核で死んでしまったが、もう一人は立派に成長して、小さいながらも会社を持つまでになった。


 昼間思い出すのはそんな他愛もない、幸福な記憶である。

 でも眠っているときは、いつもどこか薄暗く、不気味な場所にいる。

 私は日本ではない国の生まれで、父が捕虜として沖縄へ連れてこられた後に生まれた子供らしい。だからきっとそこは戦火の沖縄のいずこかなのだろうとは思うが、なぜそんな夢を孫が生まれてから見るようになったのか、わからない。


「ねえおじいちゃん遊ぼ!」

 ほがらかな孫の声で、我に帰った。

「ああ、そうだなあ、なにして遊ぼう。追いかけっこかな?」

 瑞(みず)貴(き)はきれいな目をした子供だった。

 自分の息子より孫はかわいいというが、本当にその通りだと思う。

 彼の仕草や表情に、今は亡き洋子や、結核にやられた啓一の面影を見るたびに胸が熱くなるのを感じる。

 彼が生まれてから、私の今までの人生全部はこの子に会うためにあったんじゃないかと思えるくらい、お前は私にとって、かけがえのない存在だった。

「かくれんぼしよ!鬼はおじいちゃんね!」

 一人で勝手に決めると、お前は廊下をぱたぱたとわたっていった。

 いーち、にーい、さーん、

 目を閉じて、十まで数えながら、彼のたてる足音から私はもうお前がどこに隠れたのかを知っている。おおかた広間の押し入れの中だろう。


「さあ、十たった。どこにいるかな?」

 花壇を覗き、引き戸を開けてゆきながら、頭では私のことを息を潜めて待っているお前のことを考えている。

 そういえば、私は家族とこういった遊びに興じたことがなかった。そもそも家族がいなかったからだ。よく考えてみればいまだに両親の顔を知らない。

 家族、か。

 夜の夢には時折母の身体や、暖かい手が出てくることがあった。それでもなぜだろうか、顔だけが思い出せない。なぜかそれは私の恐ろしい記憶の断片をなしているらしく、夢の中で思い出そうとすると気分が悪くなってしまうのだ。


 お前にはたくさん家族とふれあって、私よりもっと幸せな人生を送ってほしい。だから私はお前と会うときはいつもたくさん遊ぼうと心に決めていた。


「お前。ここかな?」


 私は押し入れの襖に手をかけて、小さく開けた。暗い押し入れの中に、光が一筋差し込む。

 ―おや、いない。―

 お前はそこにはいなかった。


「おじいちゃんの負けー」

 後ろから暖かい手に触れられて、私は驚く。

「おおお前、どこに隠れてたんだ?」私が聞くと孫は誇らしげに笑って。

「おじいちゃんいつも僕が歩く音を聞いてるでしょ?だから最初は走ったんだけどね、そのあと抜き足差し足で机の下に隠れてたの。」

 といった。

 もう4歳になるんだったか。彼の成長に、素直に驚く。


「賢い子だなあ」と頭をなでると、お前はますます朗らかに笑った。



「そういえばさ、おじいちゃん。」

 お前が首をかしげて言った。

「おじいちゃんのポケットにいつも付いてるそのくさりって、なに?」

「ああ、これかい。」

 ポケットから古びた時計を取り出して、お前に見せる。

「これは懐中時計というんだ。」

「かいちゅうどけい?」

 彼の小さな手にそれを乗せると、お前は神妙な顔をしてそれを眺めた。

「ずいぶん昔の時計なんだね。」

 懐中時計を持ったお前の、澄んだ目がふとこちらを見た。沖縄の海のような、澄んだ…。



 そのとき、私はお前にずっと昔一度会ったことがあるような気がした。

 こんな澄んだ目をして、懐中時計を持った人をずっと昔に見たような…。

 奇妙な既視感だった。お前は4歳の子供なのだから、そんなはずはない。

 そんなはずはないのだが、それはあまりに鮮烈な感覚だった。


 そう、私は彼に会ったことがある。



「おじいちゃんどうしたの?」

 お前は懐中時計を私に差し出していた。もう飽きてしまったらしかった。やはり気のせいだ、と自分に言い聞かせながらそれを受け取ると、お前はすぐに畳の上に散らかっていた恐竜の玩具で遊び始めた。


 永劫回帰という言葉がある。

 私の人生はくるくると回転する円環で、その中で何度も私はお前に会い、そして別れてゆくのではなかろうか。何度も何度も。


 馬鹿馬鹿しい考えだったが今の私には妙に腑に落ちた。




 そうだ、私は沖縄戦の最中、日本軍の地下壕の中で生まれた。父は殺され、母は精神錯乱を起こし…私は誰かに助けられた。あの薄暗い地下壕の闇の中から、誰かが私を抱え上げ、連れ出してくれた。でも誰だったのだろう、あの人は。

 あの日私が死んでいたら、私がお前に会うことはできなかったし、お前も生まれてはこなかった。


 私とお前の恩人。あの人は…。

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