たった一言の呪い

惰眠中毒

たった一言の呪い

「愛してる」

 たった一言。

 俺が言葉を発すると、時が止まったような静けさの中、お前は静かに涙を流した。



 


 池の水に足をつけて俯いているアイツの姿を見つけ、気配を消し近づいていく。

 背後まで迫り、腕を持ち上げ「なーに物憂いげな雰囲気纏ってんだよ」と言うのと同時

に、抱いていた猫のような生き物を、手は離さずにソイツの頭に乗せる。

「はっ……?!」

 酷く驚いたように此方を振り向きソイツは俺を見上げる。

「あはは! めーまんまる。猫みてぇー」

 期待通りの反応に思わず肩を揺らして笑う。

「お前……」不快さを一切隠すことなく目を吊り上げ怒り出す。

「ほんっと素直だよな、お前」

「うるさい、ニヤニヤしながら見下ろすな。あと、俺の頭に何乗せてるんだよ」

 相変わらず毒づいてくる。俺への嫌悪感がひしひしと伝わって来た。

「これ? 猫みたいな生き物。ちょーっと尻尾が増えるコトもある――」

 そう言いかけた所で言葉は途切れた。代わりに出た言葉は、

「あ」

「は?」

 随分と間抜けな声だった。

 猫のような生き物は体を膨張させるように、一回りも二回りも大きくなり、オマケに尻尾も増えた。そしてアイツを蹴飛ばし逃げていった。

 アイツはどうなったかと言うと――

 落ちた。

 池に。

 中々に芸術点が高い落ち方だったな。顔面から落ちれば完璧だったんだが。

 池の淵にしゃがみこみ、水面を覗く。

 確か、そこまで深くなかったから直ぐに浮き上がってくるはず……まぁ、暫くしても浮き上がってこなければ助けよう。だなんて、呑気な考えをしていることがアイツにバレたら、大目玉を食らうんだろうなぁ。

 膝に肘を立て、頬杖を突いてそんなことを考えていると、水面が揺れ始め泡が浮かんでくる。

 そして、アイツが水面から顔を出し、咳き込みながら重い動作で池から這い上がってきた。

「……濡れ鼠だな」

 俺がそう言うと、ソイツは髪をかき上げ此方を睨んだかと思えば、溜息を吐いた。

「誰かさんのせいでな」

 ソイツは不貞腐れたように、俺が初めて出会った頃に渡した眼鏡を外し、指で水滴を拭った。

「悪い悪い。悪気はなかった」

 ソイツの頭に手を伸ばし、風を吹かせ全身を乾かしてやる。

「いつも大体その言い訳してるだろ」

 顎を引き、上目遣いでじとりとした目線を俺に向けてくる。呆れている。だがその中には、確かに呆れ以外の感情が含まれていた。

コイツのそんな様子が、ちぐはぐな感情に戸惑っているような、反抗期の子どものような、幼子のように見え、

「……ふっ、悪い悪い」と頭を撫でると、顔を少し下に向け大人しく撫でられている。

 素直じゃない。ま、こんな所が尚のこと愛らしい。

 自身の口角が自然と上がっていることに気が付いた。

 頭を撫でていた手を止め、その手をソイツがまだ左手に持っている眼鏡へと伸ばす。

 俺がその眼鏡を取ろとすると、ソイツは素直に手を離す。

「ほら」

 少し屈み、手に取った眼鏡をソイツにかける。ソイツは顔を上げ、俺と目を合わせる。

 コイツの目に、まだ俺は映っている。


 



 初めて出会ったのは、もう何年も経って人々から忘れ去られ、廃れてしまった小さな神社だった。

 もう日は沈み始めていた。所謂、逢魔時。

 学生服らしき格好に、何処にでもいそうな黒髪の少年が鳥居をくぐった。俺はその様子を後ろから見ていた。少年は何かをする訳でもなく、ただ鳥居をくぐったところで立ち尽くしていた。

 何をしに来たのか分からなかったが、背中からでもソイツが抱えていたものは、目に見えて分かった。

「お前の孤独、埋めてやろうか?」

 背後からソイツの肩に両手を置き、目を細め、笑みを浮かべながら顔を覗き込む。

 ソイツはゆっくりと顔を此方に向け、目を見開き唖然としていた。

 何に対して驚いているんだろうか。自分以外誰も居ないと思っていたことからか、それとも何時の間にか背後に俺が居たことか、はたまた肩に手を置かれたことか。いや、恐らく全てだろう。

 ソイツの返答を待っていると、暫くして口を開いた。

「不審者か?」

 今度は俺が目を見開く番だった。

 ソイツは眉を顰め、じっと俺を見た。ソイツの目に映った俺と目が合った。

 俺が暫く微動だせずにいると、返答がないことに痺れを切らしたのか、声を張り上げた。「おい!」耳が痛くなった。

「無視するなよ」

「……あはは!」再び口角が上がる。「不審者か。うん……くっ、あははっ」

 心の中でコイツが言った言葉を反芻すると、再び笑いが込み上げてくる。

「何で笑ってるんだよ。お前の情緒大丈夫か」

 ソイツは怪訝そうな顔をする。

「いや、ふっ……っく、悪い悪い。ちょーっと予想外な反応だったからさ」

 ――それに、お前の表情が余りにも、構って貰えなくて拗ねた子供の様だったから。

 なんて言葉は飲み込む。この様子だと、言った次には手が出てきそうだ。

「はー、笑った笑った」笑いの余韻を落ち着かせるように一度深呼吸をする。

「んでなんだっけ? 不審者だったか?」

 ソイツの肩から手を離す。

「残念ながら違う」

「不審者じゃないなら『孤独を埋めてやろうか』、なんて、意味の分からないことを急に言ってこないだろ」

 此方へ向き直りながら、嫌悪感を一切隠そうとしないソイツの表情に、俺の中に潜んでいた何かが揺れ動いた気がした。

 いや、揺れ動いたのは表情にじゃない。コイツの瞳の奥にあるモノに――

「……ははっ、確かにな。ま、お前がそう思ったならそうなんじゃないか」薄笑いを浮かべる。

「は?」

「それより、俺がした質問への返答は?」

 首を傾け、目を細めてソイツへ返答を促す。ソイツは困惑と不信感を含んだ表情を浮かべた。

「聞かせてよ。あぁ、それとも――」ソイツの頬に手を添え、顔を覗き込む。

「分かっていないのか? いや、お前は分かっているはずだ」

「何のこ」

「お前は不明瞭な感情に苛まれている。だが、お前はその感情が一体何なのか分かっていないんだろう」

 ソイツの言葉を遮り話を続ける。

「お前が抱えているソレは孤独だよ。心の何処かで分かっていたはずだ。でもお前は、それなりに愛されていて幸せなのに、何故孤独を感じるのかが分からず困惑している」

 ソイツの瞳は揺れていた。

「お前は自分が空っぽに思えて仕方がないんだ。本当に愛されているのか? 本当の自分を見てくれているのか? 自分の存在意義は? 本当の自分は?」

「こう思っているんだろ? お前は痛みを愛せていないんだ。不安で仕方がないんだ」

「……何が、言いたい」

「お前が愛せないんなら、俺が愛してあげる。そしてお前の孤独を埋めてやるよ」

 ソイツの頬に添えていた手を離し、代わりにソイツの手を取る。

「俺がお前の全てを受け入れてやるよ。醜い心のお前も、自分を嫌うお前も、不器用なお前も……もちろん優しい心のお前とかもな。だから、俺の前でいい子ちゃんで居ようとしなくていい」

 手を軽く引く。

「おいでよ。お前が知らない景色、見せてやるから」

 ソイツは、本当にどうしようもなく、何処かに消えてしまいたかったのかもしれない。それだけ心が弱っていたのかもしれない。俺が手を引いても、ただ大人しく付いてきた。

「あ、そうだ」

 俺はふと立ち止まり、眼鏡を取り出して、それにまじないをかける。

 コイツが、他の良からぬ奴等から目をつけられないように、と。『人間は儚く脆い』と誰かに教わった。

「これやるよ。お近づきの印」


 

 それから俺は異界を案内してやった。

 そこは人ならざる者らが住まう世界。魑魅魍魎だらけだ。

 てっきり少しは恐がると思っていた。だが、ソイツは恐がっている様子はなく、むしろ好奇心に溢れていた。

 相当な変わり者だ。

 少し、試したくなった。


 ある時はわざとアイツが襲われるように、俺が渡したまじないがかかった眼鏡を一時的に取った。

「は? っ、おい! なんか急に襲われっ……お前なんかしただろ!」

「あはは、お前意外と足速いな」

 俺は、アイツが必死に逃げる様を高みの見物をしていた。


 ある時は鬼ごっこに巻き込んだりしてみた。本当の鬼との。

「お前っ、あいつらに何した!?」

 息を切らしながら俺の後ろに付いてきていた。

「あー、なんだっけ? 分かんねぇーや。忘れた」

「はぁ!? 忘れたって――」

「右からも来てるぞー」

「あっぶっ!」

「ナイス回避〜」


 またある時は、幻覚作用のある花が群生している土地に連れて行った。

「これの面白い効果はなー、幻覚作用以外にも……あれ」

 アイツの焦点が定まっていなかった。

「……聞こえてる? おーい」

 アイツの顔の前で手を振ったが反応はなく「あれ、もしかしてヤバい?」

 流石に少し焦った。


 他にもアイツを危険な目に遭わせてみたりしたが、驚いたり慌てたり焦ったり、怒りながら俺に助けを求めたりすることはあっても、一度も恐がることはなかった。

 何がお前をそうしている? それともそれがお前?

 ある時、ちょっとした好奇心から俺はソイツにこんなことを言ってみた。

「……実は俺、人間じゃないんだよね」

「……知ってる」

「あ、やっぱ?」

「逆に人間と思うやつなんて居ないだろ。こんな人間が居てたまるか」

 ソイツは冷ややかな目を向けてくる。

 すんなり俺に連れて行かれるがままに付いてきたコイツだが、警戒心はかなり強かった。中々心を開いてくれない。態度が冷たい。

「じゃあ逆に、俺の正体何だと思う?」

 自身を指差し、笑顔で問いかける。

「はぁ? ……知るかよ」

「つれないな。ま、教えてやるよ」

「頼んでない」

 ソイツの言葉を無視し、顔を覗き込み目を合わせる。

「俺は神使に取って代わった化け狐だ」

「……取って代わった?」

「そうそう……」目を閉じ相槌する。再び目を開ける「ん?」

 ソイツは自分の靴を脱ぎ頭に乗せていた。

「……な、なにしてんの?」

 ソイツの急な奇行に思わず困惑する。

「狐に化かされない方法」

「……えぇ……それ意味あるのか?」

「知らない」

 そこらの奴等よりコイツの方が恐いかもしれない。

 でも、コイツの挙動や反応が面白くて――もっと遊びたくなる。

 

 


 

「懐かしいな」

 露店が多く出ている通りを歩きながら、出会った当初のことを思い出し、つい笑みが零れる。

「何が?」

 隣を歩いていたソイツの方に顔を向けると目が合う。

「初めて会った時のこと。お前に俺の正体を教えた途端、急に頭に靴乗せたこととか」

「あれは狐に化かされてるのかと思ったから……てか、別にいいだろ!」

「まーそうだけど」

「……本当、お前といると退屈しない」ソイツは溜息混じりに言った。

「褒めてる? 皮肉?」

「両方」

 褒めてはいるんだ、という言葉は心の中にしまう。

「お前と会ってから、食われそうになったり、何度も死にそうになったり、山ほど散々な目に遭ったけど……でも、悪くはなかった。化かされているような気分だったけど、目に映るもの全部が新鮮で――」

 コイツからそんな素直な言葉が出てくるとは思わず、つい目を見開く。

「楽しかったんだ。心の底ではわくわくしてた」

「ど、どうした。池に落ちた時に頭打ったか? 見せてみな」

「違うって。打ってない」

「……そうか」

「お前と会えて、良かった」

 心地の良い沈黙が流れる。すると、何処からともなく鈴の音が聞こえてきた。

「鈴の音? お祭りか何かか?」

 ソイツは音の出所を探すように当たりを見渡す。

「……かもな。此処ら辺は露店が多いし、何かあるのかもな」

 そうであって欲しい。

 でもそうか。もう時間か。

「……どうした?」

 俺の様子が気になったのか、ソイツは不思議そうに顔を覗き込んでくる。

「ん? いやー、関係ないこと考えてた」

 俺が笑顔でそう言うと、ソイツは呆れた表情をした。

「お前、ほんと気まぐれだよな」

「ま、それが俺だからな。……なぁ、思い出巡りしないか?」

 人間のお前と、そうじゃない俺は長く一緒には居られらない。


 お前はきっと忘れるだろう。全ては夢のように。


 



 一通り思い出巡りをし、最後に、俺とソイツの出会いの地の神社へと行った。鳥居を見上げれば、空が目に映った。何時の間にか夜は明けようとしていた。

「そういやあの時から気になっていたんだけど、お前、何でこんな所に居た?」

 隣に居るソイツに問いかける。

「何で?」暫くの沈黙後、ソイツは口を開いた。

「分からない、ただ何となく。母さんと父さんが、たまに此処に来ていたって知っていたからかも……しれない?」

「お前の母さんと父さん、ね……」

 なら尚更コイツを返さないといけない。

 俺はコイツの両親を知っていた。一言で言えば変わり者。こんな廃れた神社なんかを掃除しに時々来る。そして供え物を置いていく。

 嫌だな――何故かは分からない。けど、どうしようもなく、嫌だという感情が渦巻く。手離したくない。どす黒い感情が溢れ出しそうだ。

 ソイツの頬を両手で包み込む。ソイツは不思議そうに見上げている。

 いっそ事の閉じ込めてしまおうか。一生幸せな夢の中に閉じ込めて、『帰りたい』という言葉なんか忘れさせて。

 でも、それはコイツの本当の幸せじゃない。

 頬を包み込んでいた片手を離し、ソイツの額にその手を添え、前髪を上げる。

「……何?」

 ソイツの言葉を無視し、額にキスを落とす。

「は……?」

 幸あらんことを願って。

 顔を離し、ソイツの顔を見てみると酷く驚いたように目を見開いていた。

 小さな笑みが零れる。

ひいらぎ

 ソイツの名前を呼ぶ。柊は目を更に見開き、俺と目を合わせる。


「愛してる」


 たった一言。

 俺が言葉を発すると、時が止まったような静けさの中、お前は静かに涙を流した。


 柊の頬を伝う涙を指で優しく掬い上げる。

 本当に愛おしい。

 柊へのこの愛が一体何なのかはよく分からない。でもその愛がなんだっていい。だって、愛していることに変わりないから。

 純粋な愛なんだ――

「柊、また会える日を楽しみにしているよ」

「は、だから急に何を言って……っ!」

 我に返った柊に何かを言われる前に、鳥居をくぐらせるように柊の胸を押しやる。

 なぁ、柊。お前はちゃんと愛されているよ。だからお帰り。お前を待つ人の元へ。

 ただ、俺も素直に返すほど優しくはない。『愛してる』という言葉はせめてもの執着心から。俺のことを、俺との思い出を覚えていなくても、お前の心の中に残り続けるようにと。

 ちょっとした呪い。

「大丈夫だ、柊」優しく微笑む。

 会えなくなる訳じゃない。俺は何時までも此処に居る。


 柊が鳥居をくぐってしまう。


「……鳥居」

 鳥居を見上げた後、柊は辺りを見渡す。

「……柊」

 柊の目の前に立ち、頬に手を伸ばせれども、柊の目に俺は映らない。

 コイツの目が好きだった。

 ただの黒じゃなく、透き通るような黒。その透き通るような黒の奥にあるモノ。どんな言葉で言えば分からない。けど、柊が柊で変わらないモノ。きっと、そんな感じのモノだ。

 けど、その目にもう俺は映らない。

「……長い、夢?」

 柊は静かに涙を流していた。何故涙を流しているのか分からず困惑している様子だった。

「……クソ……訳分からないのに、どうしてこんなに胸が痛い? ……本当に夢だったのか?」

 きっとお前はハッキリとは思い出せないだろう。でも、どうか忘れないで欲しい。忘れて欲しくない。

「……なんだよ、愛してるって……誰かが言ったのは覚えてるのに、誰か分からない……誰だよ……」

 柊は俯き胸を押える。

 なぁ、柊。もしまたお前の心が弱った時、今度は俺が連れて行ってやるよ。他の奴等になんて付け入れさせない。それまで俺はお前を永遠に呪い続ける。

 何時までも此処で待っているよ。また逢う日まで。

 


 ――彼は誰ぞ。


 俺の大切な――決して失いたくない、初めて手に入れた宝物。

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