第11話 蓮獄家のバレンタインデー そのなな

「おい。こんなところでなにやってんだよあすは」

「……あ、りくちゃんだぁ。むかえにきてくれたの?」

「おねぇちゃんたちが心配してるから、早く帰ろうぜ」

「……帰んない」

「すねんなよ。なんでそんなにおこってるのか知らないけどさ」

「……さゆちゃんがあたしの大事にとっておいたチーズ、かってに食べたの」

「チーズ?」

「ベビーチーズ。ちっちゃくてかわいいんだよ」

「へぇ。ぼくはチーズよりヨーグルトの方がすきかな」

「あすはヨーグルトもすきだよ」

「ぼくはヨーグルトよりプリンの方がすきだけどね」

「あ! それはズルだよ!」

「──なぁ、ぼくの家においしいプリンがあるんだ。帰って食べようぜ」

「ほんと!? ……でも、プリンで家出やめるなんて、かっこわるいよ」

「家出がかっこよくないよそもそも」

「それもそっか」

「ほかのみんなの分はないから、プリン食べたことこるるやすずねには言うなよな」

「うん……あたしとりくちゃんだけのヒミツだね」

「それじゃあさっさと帰ろう。寒いし」

「ん」

「ん? なに?」

「寒いから、手、つなご?」

「ぼくもあすはもいまは手、つめたいじゃん」

「つめたい手でも、だれかと手をつなげばあったかくなるんだよ」

「そうなの?」

「心があったかくなるんだって。まもちゃんが言ってた」

「まもさんが言うならまちがいないな。じゃあ、ほら」

「うん……ほら、やっぱり。りくちゃんと手をつないだら、あったかい」

「……そうかな?」

「あったかいよ。えへへ……」

「……? まぁあすはがあったかいならいいか。じゃあ、帰ろう」

「うん。ありがとうね。りくちゃん」


 ◆◆◆◆◆◆◆


「──てなことが小学二年生か三年生くらいの時にあったんだよ。いやぁあの頃のあすは──純真で可愛かったなぁ」

「なにその唐突な惚気話は。電話口で私がどんな顔してずっと黙って聞いてたと思ってんの?」

 普通にキモいんだけど──と、神谷龐しんたにみちるが引き気味に僕を罵倒してきた。

「おいおい。同世代の女子にそんな物言いされたら普通に傷つくぞ?」

「幼馴染のことになるとアンタがキモいのはいつものことか。私もう慣れっこなんだから、今更そこを指摘する必要は皆無だったわね。そこは謝るわ」

「随分屈曲した謝罪だなぁ」

「逆にアンタから真摯な謝罪の言葉がないのが不服」

「まぁそんなことは置いておいてだな。あすはの居場所知ってるか?」

「前置きで回想して気持ち良くなってないで先に訊きなさいよ。ちなみに居場所は知らない」


 神谷は僕とあすはの中学からの共通の友人である。

 僕らと同じ高校に通っていて、現在あすはと同じクラスに在籍している。

 つんけんした性格だが、意外と面倒見良く、なんだかんだ気のいい友人である。

 あすはと行動を共にしていることが多いので、何か知っているかと連絡してみたが、どうやら空振りのようだ。

「そりゃあ仕方ないな──ちなみにさっきメッセージでも確認したことだけど、今日のあすはの様子は変じゃなかったか?」

「返信の通り、いつも通りの平常運転──と言い切っておきたいけれど……はぁ……まぁ、ちゃんとアンタには教えとかなきゃダメか」

「ん? 歯切れが悪いな。ため息までついて」

「そりゃあため息もお戯遊ばれるわよ……あすはね、ここ数日私の家でアンタにあげるチョコレートを作ってたのよ」

「そうなのか? ここ最近何故か家に帰るのが遅いとは聞いたけど」

「ほら私今独り暮らしでしょ? だから頼まれて、台所貸してあげてたのよ」

「あぁ、なるほどな」

 たしか神谷は転勤する親父さんにあわせて引っ越しすることを拒んで、現在は両親とは離れて一人アパートで暮らしているんだったか。

 実家ではなく単身の友人のアパートなら、人知れず作業をするにはうってつけだろう。神谷という信頼できる友人なら尚更だ。


「しかしお前──大丈夫だったか?」

「なにが?」

「いや、あすはの調理に付き合うってのは……」

「調理? 黒魔術の儀式じゃなくて?」

「……壮絶な現場に居合わせたな」

「まぁ、あの子のあの腕前は知ってたし、覚悟の上よ」

「相変わらず懐の広い女だな」

「なんであすはの溶かしたチョコレートは、一度シンクにへばりついたら、ガンコな油汚れ並に落とせなくなるわけ?」

「そこはジョイ君にでも頑張ってもらってだな……」

 P &Gの企業努力の見せ所といったところか。


「まぁいいわ……で、今日もあすは、ウチに来てアンタに渡すための代物の創作に励んでいたわけ」

「今日も来てたのか?」

「えぇ、ギリギリまで何度も試行錯誤して──ほんと何度も何度も作り直して。それでなんとかそれらしくは仕上げて、十八時過ぎには帰って行ったはずなんだけど」

「十八時か……神谷の家からなら、遅くとも十九時には自宅に帰れるはずだな」

「えぇ。だから何処へいるのかは知らないけど、少なくとも放課後から十八時までは私と一緒に居たわ。まさかまだ帰ってないとは思いもしなかった」

 まったく何処ほっつき歩いてるんだか──と、神谷は呆れたようにぼやいた。

 

 しかしあすはの足取りはなんとなく把握できてきた。

 神谷宅から蓮獄家までの道のりであすはが何か事件に巻き込まれたというのは、人通りの多さから考えるとほぼ起こり得ない事象ケースだろう。

 となると、やはりあすはが意図的に帰宅していないというということだろう。

 あすはの様子に変わったところはなかったと神谷は言うし、僕にくれるというモノも完成しているとのことだ。

 ならあすはが帰宅を拒む理由とは、なんだろうか。


「──ちなみにだけどさ。あすはって、いったい僕に何を作ってくれたんだ?」

 これはついでの興味本位で何気なく尋ねてみたことなのだが、神谷は不機嫌そうにまたため息をこぼした。

「あのねぇ。あすはが直接渡す前に私がアンタにそれを教えたら、興醒めもいいところでしょ。あの子の気持ちを軽んじてるわけ?」

 そう指摘されてやっと、僕は自分の軽率さに遅ばせながら気がついた。

 神谷の言う通りだ。そんな無遠慮な探りを、陰ながらのあすはの努力を側で見てきた張本人にするのは、あすはのことも神谷のことも馬鹿にしているようなものだ。


「ごめん。そんなつもりはないんだ。失礼な問いかけだった」

「あすはにそんな舐めた態度とるんじゃないわよ……ま、アンタがあすはにそんなことするとは思わないけどね」

「気をつけるよ。ありがとな」

「ちなみに私がアンタに色々事情を喋ったことも、あすは本人には言わないでね。諸々口止めされてんだから」

「あぁ。色々教えてくれてありがとう。あすはのことは、必ず僕が見つけ出すよ」

「うまくやんなさいな」

「──そういや最後に訊きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「神谷から僕に、バレンタインのチョコレートとかはないの?」

「……」

 電話越しでも怖気を感じるほど伝わる神谷の無言の圧は凄いや。


 ◆◆◆◆◆◆◆


「おいあすは。やっぱり此処にいたのか」

「……りっくん」

 あすはは近所の河川敷に独り寂しく座り込んでいた。

 昔から、あすははよくここで川の流れを眺めていたっけ。

 十年近く経っても、ここに足を運んでいたか。

 景観は幾分か変化したし、当時は流石にこんな夜更けでもなかったけれど。


 厚手のコートを着込んでいるので身体の芯を冷やしてはないだろうが、風通し良く吹き荒ぶ寒気を浴び続けただろうあすはの頬や鼻、耳などは赤みを帯びている。

 ただそれだけじゃない。あすはの目はわずかに充血していた。

 どうやらしばらくここで泣き腫らしていたようだ。

 声も少し震えてうわずっていた。


「なに泣いてんだよ。お前らしくもない」

「……」

 あすはは蹲りながらなにも答えずに顔を伏せる。しばらくすると小さく啜り泣く声がこちらへ漏れ聞こえてきた。

 僕は隣へ腰掛けると、丸まったあすはの背中をゆっくりとさする。

 お互いに、なにも言わなかった。


 ──どのくらいこうしていただろう。

 途中過熱していったえずきや吃逆しゃっくりがだいぶ落ち着きをみせた頃、あすはは顔を上げると、コートの袖で自分の目元を力強く拭った。

「……りっくんにあげるお菓子、手作りであげたくて……でもあたし、全然上手に出来なくて。渡すのが怖くなって……ダメダメな自分が、許せなくって……」

 言葉をなんとか絞り出していくあすは。

 言葉を紡いで行く度に、止まっていた涙が堰を切ったようにまた溢れ出す。

 そんなあすはの隣で、僕はただただ、その思いの丈に頷いた。

「龐ちゃんにもあんなに協力してもらったのに……こんな子供みたいな真似してさ……ほんとに馬鹿だあたし……」

「そんなことない」

「……ごめんね」

「謝るなよ」

「もっとうまくやれるって、次こそはうまくやるって……そう思ってたの」

「僕のためにあすはがそこまで頑張ってくれたのが、あすはのその優しさが──僕は一番嬉しいよ」

「……」


「──なぁあすは。僕は今日、れいあちゃんからドイツのチョコレートを貰った。

 それからこるると一緒に朝食食べて、こるるのお手製ドーナツと、大量のスニッカーズをすずねから貰った。

 学校でクラスの女子何人かから義理チョコ貰って、るりあさんからこれまで蓮獄家一同から贈られてたチョコを貰って、まもさんとさゆ姉の二人からは手作りのトリュフチョコを貰ったよ」

「……」

「本当、僕なんかには勿体無いくらい充実した一日だ」

「……」

「でも僕は欲張りだからさ……まだ今日一番欲しいものが貰えてなくて、物足りないんだよ」

「……?」


「──まだ今日、あすはの笑顔が見れてない」


 ここで今日初めて、僕とあすは正面から目が合った。

 あすはの顔は真っ赤で、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 数秒、僕と向き合っていた呆然とした表情のあすはは、そこで自身の顔の有り様に気がついたのか、顔をぱっと逸らして急いで袖で顔を拭った。


「ははっ。すげー顔してたな」

「……最悪」

「怒るなよあすは。泣き顔や怒り顔も好きなんだけどさ。やっぱり僕は、お前の笑った顔が一番好きなんだ──昔のこと覚えてるか?」

「……昔?」

「小学生の頃、お前よく家出してたろ? お姉ちゃんと喧嘩したとか、学校で嫌なことがあったとか」

「……あー、あったね」

「その時僕はいつもお前を一番最初に見つけるために我武者羅だったわけだが、なんでか判るか?」

「え……」

「お前が迎えにきた僕に、笑ってくれるからだよ。今だから言うけどな」

「……」

「今日は、僕に笑いかけてくれないのか? あの頃みたいに」

「……ばか」

 そう言って、あすはは目を潤ませながら、やっと笑った。

 あの頃とちっとも変わらない──はにかんだ笑顔だった。


 しばらくそのまま、二人で肩を並べて、景色を眺めていた。

 心配しているだろう蓮獄家には僕から連絡を入れておいた。

 電話口のすずねは大層あすはにご立腹だったが、安堵して怒る余裕が出てきたのだろう。


 ぽつぽつと、普段するようなどうでもいい雑談をあすはと交わした。

 それにつれてあすはの表情も徐々に、いつものように笑って怒って拗ねて喜んでとコロコロ多種多様で魅力的な有り様を覗かせていく。

 そうしている間に、あすはも大分落ち着いたようで、

「あの、りっくん。これ……」

 と頃合いを見計らってか、意を決したように、おずおずと僕に一つの紙袋を差し出してきた。

 僕はそれを黙って受け取り、中を手でまさぐって中身を取り出した。


 中から出てきたのは、薄いラップに包まれた手のひら大の薄茶色をした丸い塊。

 わずかな弾力性のあるソレがなにか一目しただけでは判らなかったが、しかしどこか見覚えがある造形をしている。

 

「これは……」

「チョコまん……」

 気恥ずかしそうに答えるあすは。

 言われてみれば確かに。基本は白い生地のイメージで形は少し歪だけれど、あすはのコレは、れっきとした“中華まん”の形だった。

 名の通りならば、チョコを練り込んだ生地にあんまんの餡子の代わりにチョコでも入っているのだろうか。

 しかしまさかこうくるとは。予想外の贈り物だ。

「前にコンビニとかで売ってるの見かけて、皮から作ってみたんだ……」

「おぉ、凄いじゃないか!」

 僕もこういった調理に疎いので詳しいことは判りかねるが、結構難易度の高い工程を踏んで作られる代物ではないか?

「でもなんか生地がうまく固まらなくてネバネバしたり、チョコが漏れ出たりして、なんとか原型を保てていたのが、ソレなんだよね……」

 神谷の話からして、これを作り上げるのには相当の苦労があったに違いない。

 これはあすはの努力の結晶だ。


 僕の心は充足感に満ち溢れていたのだが、そこで僕の腹の虫が声を上げた。

 思えば、僕は昼食後からなにも食べていない。

 おそらく今は夜の九時になったあたりだろうか。

 空になった胃袋が抗議をしだすのも仕方がなかろう。


「あすは。僕は空腹で辛抱できそうにない。お前も腹を空かせてるだろうけど、悪いがお先に戴くぞ」

 

 言うやいなや僕はチョコまんのラップを剥がすと、勢いよく齧りついた。

 この場で食べ始めるとは思ってなかったのか、あすはは不安そうに僕の様子を眺めていたが、僕が手を休めることなく食を進めるにつれて、顔にかかった影は晴れていった。


「──ご馳走様。ゆっくり味わおうと思ってたんだが、美味くて止まらなかったよ」


 僕はチョコまんをあっという間に平らげ、あすはに礼を告げた。


「り、りっくん!? 身体は大丈夫!?」

「平気平気。なに心配してんだよ」

「で、でもあたしが手作りしたやつだよ! また身体に悪影響が……」

「お前の手作りだろ? 悪影響だなんて酷い表現すんなよ。仮に何か起きるとしても、あすはお手製の品を摂取した身体が喜びすぎてちょいと胃や腸が炎症起こして爛れるくらいだろ」

「いや、それが悪影響じゃないのってことなんだけど!?」

「さぁ、腹も膨れたらなんか眠くなってきたな。みんな心配してるし、早く帰ろうぜ」

「え、その眠気って大丈夫だよね? 昏倒しそうって意味合いじゃないよね? ほんと大丈夫?」

「あすはは心配性だなあ──それよりさ、あすはにはもっと心配してもらわなきゃ困ることがあるぞ」

「え?」

 呆気にとられたような顔をするあすはに、僕は右手を差し出した。

 

「寒さで手が冷えちゃったんだ。お前の手で握って温めてくれよ」


 ──心は、もう充分あったかいのだけれど。

 その温もりを、今日あすはと分け合いたかった。


「──もう。甘えんぼなんだから」


 そう微笑んで、あすはは僕の手を握り、そしてそのまま二人で家路へついた。

 寒い外を、二人手を繋いで、身を寄せ合って。


「ねぇりっくん。あたし、あったかい」

「僕もあったかいよ。あすはが手を握っててくれるから」

「──迎えにきてくれてありがとね。りっくん」


 こうして僕の長かったバレンタインデーが終わる。


 ──あすはのチョコまんの味が実際のところどうだったか?

 

 ほろ苦いけど、甘ったるい。

 そんな大人の味だった。


 

  




 

 

 

 


 


   

 


 


 

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