第10話 蓮獄家のバレンタインデー そのろく

 蓮獄あすはの料理の技量は我々凡人の理解が及ばない領域に到達している。

 本作二話であすはの紹介をした時に、僕は彼女の名誉のためにこの情報を秘匿していたけれど、しかしこのバレンタインデーを想起するにあたって彼女のその本質を明るみにすることは避けられない。


 本人はいたって真面目に人並の調理技術の体得を目指し日夜努力していたこともあった。妹であるこるるに教えを乞い、包丁を握り鍋を振るった。

 だが、彼女の手から生み出される料理というものは、おおよそ社会的な文化圏で生活する人間が許容できる代物ではなかった。


 肉じゃがを作ってみれば、ジャガイモの毒素が滲み出てきているのかと思うほど混濁し謎の粘液にまみれた煮物というより供物みたいな物が産み出された。

 目玉焼きに挑戦したところ、白身の部分が漆黒に彩られ、沸騰し固形化した黄身が悪魔の目玉というに相応しい形相を呈していた。

 試しに魚を捌いてみたところ、鮮魚のはずが内臓が腐敗したかのような強烈なエグ味と匂いを発し、最終的に解体された惨殺死体のような凄惨な姿に成り果てた。


 何か超常的な力が働いているのかと疑いたくなるほど、彼女が手を加えた食物は奇怪な変貌を遂げてしまう。まるで呪いがかかっているかのような不可思議さだ。


 指導役を務めていたこるるは、あすはの真摯に料理と向き合う姿勢を尊重し根気強く付き合っていたようだが、その呪いを祓うことは出来ず、あすはの料理習得の鍛錬はそのメカニズムが解明されるまで保留となっている。


 食べてもギリギリ致命傷には至らないものの、明らかに人体へダメージを与えるであろうあすはの料理は、僕も何度か味わっている。

 彼女の練習に付き合う名目で試食役を請け負っていた。

 僕はわりとこれまで大きな病気もせず、基本的に滅多に体調を崩すことのない自他共に認める健康優良児なので、被験体にはうってつけの人選だった。


 一時期は週三くらいのペースであすはの作った昼食を食べていたのだけれど、一ヶ月経たないうちに僕の内臓が限界を迎えた。

 よくわからない病状で衰弱し三日間寝込んだ。

 思えばこの一件があってから、あすはが料理をする機会が減った気がする。

 どうやら僕がダウンしたことに責任を感じているようだった。

 当時あすは本人には気にすることはないとフォローはしたし、その一件でわだかまりが生じたことはないのだけれど、あすはからすればどうしてもそれが負い目になっているのだろう。


 そんなあすはが、今回のバレンタインデーというイベントにおいて一念発起し、手作りで人智を超越した“ナニか”を錬成しようとしているのではないか。


 それが僕の脳裏に浮かんだ一つの可能性である。


 確証はないけれど、どこか確信めいたものが僕にはあった。

 蓮獄あすはという人物ををよく知る友人として、よく知る幼馴染としての確信だ。


 これはただの自惚だけれど、こういう時アイツは僕のために、何かしようといつも動いてくれる。


 その優しさを僕は知っている。物心ついた時からずっと側で見てきたのだから。

 

 ただ今回ばかりはあすはのその優しさが、無自覚な凶行になりうる。

 あのあすはがお菓子作りという一般的な料理とはまた工程の異なるものに着手した場合、どういった事態になりうるかは未知数だ。

 どんな化学反応が生じるのか。僕の胃袋が耐え切れるのか。

 懸念点は枚挙にいとまがない。

 今朝のれいあちゃんの別れ際のあの妙な様子。

 あれはもしや、あすはの創り上げるやもしれない未知の菓子を摂取する僕の命が保証できないということを示唆していたのではないのか? 


 だから僕はそれらの事実確認をするために、授業を放り出して蓮獄家を訪ねたのだ。

 あすはを問いただすのは、流石に僕の良心が苛まれる。

 こういう話は、出来るだけ本人の耳に入らないほうがいいだろう。

 だがこういう時は、動き出しは早いほうがいい。


「理玖のその問いにはこう答えるべきでしょうね。“イエスでありノー”であると」

「イエスでありノー? それってどういう?」

「どうやらあすは一人で何か贈り物を用意しているようだけれど、それがチョコレートかどうかは知らないの。何をあげるつもりなのか家族の誰にも明かしていないんじゃないかしら」

「確かに。こるるに手を借りている様子もないし、家で何かを試作している姿も見かけないな」

「でも最近なぜか帰ってくるの遅い日あったりするし、コソコソ裏で用意してるようではあったねあの子」

「そっか……」

 どうやら蓮獄家のこの三人でもあすはの動向は知らないようだ。

 てっきりあすはのことだから、姉妹に相談を持ちかけたりしているものかと。


「でも一応ウチもあすはにそれとなく探りは入れてみたんだよねぇ。『理玖になにをあげるの?』って。『考え中』ってはぐらかされちゃったけどね」

「わたしも人気の商品ギフトをいくつか提案してみたが、感触はあまり良くなかったな」

「『手作りは貴方には荷が重いから既製品で我慢なさい』と私から言っておけばよかったわ」

「そんなことるりあ姉様に言われたらあすはのショック凄いだろうな……」

 その発言をした後の気まずい空気を想像すると、苦笑いしかでない。

 しかし、やはりこの三人もあすはの行動に予想はついていて、僕の身を案じて気にかけてくれてたんだな。本当頭が下がります。

 

 けれど逆にあすはのことだから周囲の態度を肌で感じて──いや、それ以前から自分がお菓子を手作りすると漏らせば家族から反対されると察していたんだろう。

 だから身内の誰にも相談せずに一人で用意をしていたんだとすれば納得がいく。

 

 これ以上余計な詮索はせずにあすはのアクションをただ待つのが一番か。


「三人ともありがとう。とりあえず僕は帰って大人しくしてることにするよ」

 僕は別れの挨拶を告げると、玄関へ。


「理玖──あすはが、面倒かけるわね」

 見送りに来ていたるりあさんが、僕の背後からそんなことを呟くように言った。

 それはるりあさんにしては珍しい、どこか不安げな声色だった。

 この人も、七姉妹の長女として、僕が知るよりもずっと重く大きな責任を感じているのかもしれない。 

 姉妹へも、僕にも。

 そんなるりあさんに僕が示せる答えは、これだ。


「安心してください──僕はなにがあろうと、あすはを傷つけるような真似はしませんから」

「──そう。それじゃあ、あすはをよろしくね」


 向き合った僕に、るりあさんは安堵したようにそう微笑みかけた。


「また元気な貴方にこうして会えることを、心待ちにしているわ」


◆◆◆◆◆◆◆


 自宅に帰った僕は、自室でそれとなく漫然と時間が過ぎるのをただ待っていた。

 とりあえず反安には、放課後にあすはが僕を探しているようだったら、僕に連絡するように伝えてほしいという旨はこちらから伝達済みだ。

 また同様にあすはと同じクラスの友人である神谷にあすはの本日の様子を訊ねてみたところ、通常通りの平常運転だと返答があった。

 

 ではあすはが帰宅するのは部活が終わる頃だとすると、十八時過ぎあたりといったところか。あすはが所属するテニス部が今日活動日かは判りかねるけれど。

 とりあえずあと少なくとも四時間以上は特にやることはないか。

 僕は授業をサボタージュした埋め合わせとして、気は進まないけれど予習復習に取り組むなどして時間を潰した。ふと気がつくといつの間にか日は沈み辺り一面闇に包まれたように真っ暗だった。

 時刻は十七時半ほど。もうしばらくしたらあすはも帰宅する頃合いだろう。

 スマホを確認するも特にあすはからの連絡はなかった。


 勉強に一区切りをつけ、ベッドに寝転んで惰眠を貪っていると、いつの間にか眠りこけていたらしい。

 スマホが発する電話の着信音で目が覚めた。

 いまいち状況を把握しきれぬまま画面もよく見ずに電話に応答する。

「あ、もしもし。理玖?」

 声から察するに電話の主は蓮獄家の末妹である蓮獄すずねのようだ。

「すずね。どうした? 電話なんて珍しいな。ゲームの誘い? あ、あとスニッカーズちゃんと貰ったよ。ありがとな」

「そんなことは今はどうでもいいのよ! 寝ぼけてんのアンタ?」

 相変わらず年下のくせに手厳しいすずね。

 しかしその声は、いつもの気丈なそれとは違って、どこか焦っているようだった。

「慌ててどうした? もしかして何かあったのか?」

「だからわざわざ電話してんの! アンタのとこに、あすはちゃん来てない?」

「え、来てないけど」

「何か連絡は?」

「いや、ちょっと待て」

 僕は通話画面を切り替えていつも使っているメッセージアプリを確認するも、夕方に見た時と同じく、あすはからの連絡はなかった。

「連絡もきてないけど……あすはがどうかしたのか?」

「この時間になっても帰ってきてないのよ。いつもは帰宅が遅くなる時は家族のグループチャットで連絡入れるのに。こっちから連絡もつかないし……」

「連絡もつかないってのは、そりゃあ妙だな」

 しっかり者のあすはが連絡を忘れているということもないだろうし、意図的に連絡をしていないとするのが妥当か。もしくは何か事件に巻き込まれたか。


「もしかしてチョコ渡すついでに、理玖の部屋でよろしくねんごろやってるのかと思ったけど、その反応からしてその線はなさそうね」

「その線を洗い出すのはいくらなんでも早とちりがすぎるだろ」

 しかも表現がなんでそんな古臭いんだ。現代っ子筆頭だろお前は。

 いやいや、こんな下世話な話をしている場合じゃない。

 僕は自室の壁掛け時計に目をやると、十九時五十七分。

 年頃の女子が家族にもなにも連絡せずにこの時間まで帰らないというのは、確かに不穏な気配はする。

 

「とりあえず僕はあすはと仲の良い同級生何人かにあたりながら、近所を探してみる。なんとなくアイツが行きそうな場所は心当たりがあるから」

「入れ違いにならないようにあたしとこるるちゃんは家で待機してる。お姉ちゃん達は探しに出ているから、見つかったら理玖にもあたしから連絡するわね」

「あぁ、よろしくな」


 通話を切ると、僕はダウンジャケットを羽織って家を出た。

 こんな時になんだが、僕はわずかな不安の中にどこか懐かしさを抱いていた。


 幼少期の頃、あすはは何か嫌なことがあるとよく家出する癖があった。

 自らの決意表明か、幼き反骨心からか。

 あの頃も僕はよくあすはを探して近所を走り回ったものだ。

 早く無事なあすはの顔が見たかったから──僕も必死だった。

 所在を突き止め僕があすはの元に辿り着いた時、人の心配を他所にあすはのヤツは決まって照れ臭さ混じりのはにかんだ笑顔を浮かべていたっけ。

 当然何かトラブルに巻き込まれた可能性もあるけれど、幼馴染の勘が告げている。


 これは──あすはが僕の迎えを待っているんだ。


 ただの自意識過剰かもしれないけれど。


 もう十年近くあすはの家出もご無沙汰だったが──またあのはにかんだ笑顔が拝めるなら安いものだ。

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