第6話 蓮獄家のバレンタインデー そのに

 れいあちゃんと別れて自室に戻ると、時刻は五時三十七分。

 そろそろ両親が起きてくる頃合いだが、特にやることもないし、汗もかいてないので二度寝するかとベッドへ寝転び目を閉じる。


 枕元のスマートフォンから、無機質で規則的なリズムのアラーム音が鳴り響いた。平日の朝は毎度自動で規定時間に流れるように設定したもの。

 自分で仕掛けたモノなのだけれどその音のけたたましさに眉を顰め呻きながら、液晶画面に触りアラームを停止する。


 体感では十分ほどしか寝たつもりはないが、スマートフォンの液晶画面には七時二分と現在時刻が表示されている。

 なんだかんだ一時間ほどがっつり寝ていたらしい。

 

 自室で学校指定の制服に着替えてから、寝ぼけ眼を擦りながら洗面所で再び顔を洗いリビングへ向かうと、台所に立つ僕の母親と、見慣れた我が家の食卓で食事をしている蓮獄家六女──こるるがいた。


 制服姿のこるるは、ラーメン用の丼に入った味噌汁を黙々と啜っている。

 そのこるるの様子を、調理をしながら横目でチラチラと窺う母親。

 なんなんだ? この謎の構図は。

 提げられた食器を見る限り、どうやら父親は既に出社したようで姿が見当たらない。


 僕は今いまいち状況の理解ができなまま台所にいる母親に声をかけ、用意されていた僕の分の朝食を受け取り、木製のトレーに載せ食卓へ運ぶ。


「ねぇ、こるるちゃんにご飯美味しいかこっそり訊いてみて! あと今食べたい料理とか!」


 こるるに聞こえないような声で僕にそんなことを言う母親。

 食べたい料理って、リクエストがあればこれから作る気なのかこの人。

 久しぶりにこるるに手料理を振る舞っているからって、何を緊張しているのか。

 いくらなんでもそんな大量に朝から食べられるわけ──いや、こるるならそれこそ朝飯前か。

 本日の献立は、白飯に大根と豆腐にワカメの味噌汁、焼き鮭と焼き海苔という普遍的な内容。絵に描いたような朝食である。


「よう。おはようこるる」


「おはよう理玖にぃ。お邪魔してます」


 白米を口元に運ぼうとしていたこるるが、こちらを向いてぺこりと頭を下げた。

 僕はこるるの対面の位置の椅子に腰掛けて、トレーから料理の盛られた器を机に置いて、食事にありつく。こるるも食事を再開した。


 おかずの減り具合からして、今さっき白米をおかわりして二杯目を食べ始めたばかりという感じだろうか。


「どうだ? 我が家の朝飯は美味いか? こるる」


 母親に確認を頼まれたからではけっしてないけれど、食事をしているこるるを眺めていると、ふと気になってしまい質問してみることにした。

 

 こるるはあまり表情が変わらないから、内心を図りかねるところがある。

 誤魔化したり嘘をつくような子じゃないので、直接尋ねた方が手っ取り早い。


「うん。理玖ママの作るご飯は、いつも美味しい」


 こるるの返答を聞いて、台所の奥で母親がガッツポーズをしている様が、容易に目に浮かんだ。


「理玖にぃのお家の料理は──優しい味がする」


「ん? 味付けがマイルドってこと?」


「違う。ハートフルな味わい──ってこと」


それ以上の説明はなく、こるるは再び黙々と味噌汁を啜り始めた。

相変わらずこるるは表現が独特で端的だ。


 しかしこるるが加藤家うちで食事をするのも随分久しぶりな気がする。

 昔はよくお互いの家を行き来して、食事を共にする機会も多かったが、こるるが蓮獄家の料理を担うようになってからはご無沙汰だった。


「今日はどうした? 珍しいじゃないか平日の朝にご飯食べにくるなんてさ。蓮獄家みんなのご飯は?」


「それはもう済ませた。今日は姉妹一緒に食事を済ませたから」


「へぇ。そうなんだ。そりゃあ尚更珍しいな」


 皆の朝食やお弁当の準備をするため、毎日早起きなこるるや、仕事柄、早寝早起きが常の規則正しいまもさんなんかはまぁイメージ通りだが、さゆ姉やあすは、それにすずねは早起きが苦手だったと思うけれど。

 

「みんなして何か用事でもあったのか?」


「ううん。興奮したれいあねぇが他のみんなを叩き起こしてきただけ」


「ん? れいあちゃんが?」


 明け方に家前で僕と別れた後れいあちゃん──しいては蓮獄家の中で一体何があったのだろう?


「れいあちゃんには早朝会ったけど、そんな興奮してたかな。なんか挙動がいつもより妙だったけど」


「れいあ姉が情緒不安定なのはいつものこと」


 実の姉に随分冷たく言い放っているが、こるるは誰に対してもこんな感じだ。


「れいあ姉が自慢してた。理玖にぃにチョコレートをあげたって」


「ん? 確かにチョコは貰ったけれど……自慢? なんで?」


 僕に朝会って、チョコレートを渡すことの、どこが自慢になるというのか。


「一番だから」


「一番? 渡すのがって?」


「一番は、一番近くて、一番偉い」


 こるるは意味深な物言いをする。

 確かにれいあちゃんも、これが僕が今年初めて貰ったチョコなのか、気にしていた様子だってけれども……。

 

「たかがチョコレートを渡す順番で優劣がつくと、僕は思わないけど……」


「……理玖にぃは、知らなくていいこと」


 そこ僕との話を打ち切ったこるるは、いつの間にか食事を終えていて「ご馳走様でした」と手を合わせて頭を垂れた。

 こるるはテキパキと空いた食器を重ねるとそれを持って台所の方へと、僕を一人残して行ってしまった。


「あらぁ、こるるちゃん。もうご馳走様なの? ご飯のおかわりまだあるよ?」


「もう四杯も食べたから大丈夫。ご馳走様でした」


 そんな母さんとこるるの会話が聞こえてくる。

 いや、こるる、めちゃくちゃ食べてるじゃんか。

 しかもさっきのこるるの発言的に、自分の家でも普通に朝食を食べてきたんじゃないのか?

 相変わらずの健啖家ぶりだな。時期的に成長期が本格化したというのも関係あるんだろうか。その食事量のわりに小柄で、痩せ気味な体躯なのはどういう栄養吸収効率なのだろう。


「じゃあ、私は学校に行く」


 食卓に戻ったこるるは僕の横に立って言う。

 

「どうした? もうちょっとゆっくりしていきなよ」


「中学校の飼育小屋の掃除がある」

 

「あー、なるほど」


 そういえばこるるは飼育委員の長として、積極的かつ献身的に動物達のため働いているらしい。

 ならば無理を言って引き止めるわけにはいかないな。

 こるると二人で話す機会というのは、なかなかレアで新鮮で、なんだか名残惜しい。


「その前にこれ」


 そう言ってこるるは、僕に手提げ付きで半透明の、ビニール袋を渡してきた。


「バレンタインの、おやつ」


 僕は礼を言って受け取ると、その袋の重量感に驚きつつ、れいあちゃんの時と同様に承りをいれてから中身を確認してみると、袋にどっさり入っていたのは、可愛らしいファンシーな柄の袋で個包装されたドーナツだった。


「うわ! すごいなこれ。こるるが作ったのか?」


「うん。ちょっと難しかった。形は少し悪いけど、美味しいはず」


 作ったこるるがそう言うならば間違いはなかろう。


「しかしこんな沢山一人で作るの、大変だったろ?」


「慣れれば楽しい。砂糖天ぷらよりは作るの楽だよ」


 どうして比較対象として挙げられるのが、沖縄の名品であるサーターアンダギーなのか、しかも何故なにゆえマイナーな呼び名を用いているのかはよく判らないが、でもまぁ確かにあれも形が違うだけで実質ドーナツなのは違いないか。


「そしてこれ」と続いてこるるが手渡してきたのは──スニッカーズの大袋だった。

 パッケージの表面を見ると、小さなスニッカーズが一キロ近く入っているらしい。


「すずねから、理玖にぃに渡してくれって」


「……これは見た瞬間に予想ついたよ」


 思わず笑ってしまう。

 実にすずねらしい贈り物のチョイスである。

 運動後や非常時の栄養補給に適しているし、ある程度腹持ちもいいもんなぁスニッカーズは。

 味も美味しいし、もうこれでいいじゃん。

 すずねなら本気でそう思っていそうな気がする。

 直に渡しに来ず姉に代理を頼むのも、らしさ全開である。

 

 すずねには今度ボイスチャットをした時お礼を伝えるとしよう。

 もしくは時間を合わせて、すずねが学校に登校しているところに背後から息を殺してひっそりと、声をかけに行くしかないだろう。

 いや別に背後から不意打ちのような形で接触を図る必要はないのだけど、僕は驚いたすずねの顔が、なんか無性に見てみたくなった。


「……もしかして、これを渡すために来てくれたのか?」


 僕が尋ねるとこるるは頷いて、


「それもあるけど、無性に理玖にぃの顔が見たくなったから」と続けた。


「僕の顔を?」


「そう──寝顔を、ふと見たくなった」


「寝顔……?」


「私はれいあちゃんと違って、一番には拘らない」


 別に私は二番目でも、七番目でもいい──と、こるるは、普段通りの声色と表情で言う。


「だけど、美味しいところはもらってく──おあずけも我慢しない」


 私はどちらかというと肉食だから──と、そんなことを最後に告げて、こるるは別れの挨拶をすると我が家を後にした。


 こるるの発言の意図を掴み損ねることはよくあることだけれど、今日は尚更発言が謎に満ちていたな。


 ドーナツやチョコレートを渡すためというのはともかく、僕の寝顔を見るって──一体なんのために?


 ──もしや今日我が家にきた際、こるるは僕を起こそうと部屋まで来てたのか?

 そしてその時見た僕の寝顔があまりに滑稽で、それを弄っているとか?


 僕は一体、どんな顔をして寝ていたんだろうか。

 

 そんな疑問を抱えながら、僕は鮭の切り身の小骨を抜く作業に取り掛かった。

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