これまでの日常編

第5話 蓮獄家のバレンタインデー そのいち

 今年の冬、二月の事である。

 従来通り、暦の進行にともないやってきた、十四日目のこと。


 全男子待望の、バレンタインデーである。


 聖ウァレンティヌスに由来する記念日だとか、消費を促すための製菓メーカーの陰謀だとか、そんなことはどうでもいい。


 大事なのは“大切な人に贈り物をする”という習わしにこそある。


 その特別なイベントで男女の交流が活性化し、親愛関係の進展、発展が期待できるのだ。時代の流れによって、『女性が男性にチョコレートを贈る』という固定概念は変化しつつあるらしいけれど、僕の周囲では未だその側面は根強い。


 普段仲の良い、ちょっと気になるあの娘から、チョコレートを頂けるかもしれない。そんな淡い期待に男子は胸躍らせる、そんな日なのである。


 このイベントの良し悪しに関しては、男女ともに意見が別れるところではあるけれど、僕からすれば、お隣の蓮獄家よりチョコレートを拝領できる、とても美味しい日である。


 毎年七姉妹一同よりと、結構なお高いチョコレートを贈られている。

 普段、自発的にチョコレートを購入して食べることはないけれど、それはそのチョコレートが絶品すぎて、食べると一年分のチョコレートの摂取欲が満たされるからなのかもしれない。そのくらいの味わいなのだ。

 素人にも一般的に市販されている品との違いがわかるくらいに。

 まぁその分、翌月のお返しを熟考することになるのだが……。

 それも例年通りのあるある。


 またあのチョコが味わえるのかぁ……と待ち遠しく思っていたバレンタインデー前夜、蓮獄家四女、れいあちゃんより連絡があった。

 メッセンジャーアプリの文面でやり取りをして、明日の朝五時に家の前で二人で落ち合うことになった。

 こんな早朝に集まるとなると、朝のランニングの誘いだろうか。

 そういえばここ最近共に走る機会はなかったな。

 鈍ってる身体を鍛えつつ、後の糖分補給をさらにより良いものにするために、汗を流すのも悪くない。


 それならばと、僕は翌日の準備を整え、母親にその旨を伝えるといつもより早く布団に潜り込んだ。


 翌日、バレンタインデー当日。

 僕は身なりを整え、家をひっそりと発つ。

 時刻は午前四時五十分。

 外に出ると、鋭い冷気が顔にあたって、まだ微かに残っていた眠気が吹き飛ぶ。

 動きやすいジャージの上に、薄手のウィンドブレーカーを羽織っているものの、まだ少し肌寒いくらいだ。

 まぁ走ってるうちに身体もいい塩梅に火照ってくるだろう。

 

 蓮獄家の門前の道路に、れいあちゃんが既に待っていた。

 しかしその格好を見て、僕は意表をつかれ驚いてしまう。


「おはようれいあちゃん。待たせてごめんね」


「おはよう。悪いね、こんな朝から呼び出して」


「いやそれは全然良いんだけど……れいあちゃん、その服装は一体……?」


 れいあちゃんはこれから走るには似つかわしくない、トレンチコートを着ていた。

 ニット帽を深々と被り、マフラーも巻いて防寒はバッチリ。

 それとなんというか、いつもより化粧に気合いが入っている気がする。

 いつもランニングの際は、スポーツウェアに短パンとレッグウォーマーという一式が常だし、メイクも必要最低限って感じなのだが……。


 これから空港に赴き、旅行に出かけるのかと思うほどのキメ具合であった。


 僕が会って早々まじまじと服装を眺めているのに気がついたのか、れいあちゃんの頬が紅潮し、慌てた表情を浮かべた。


「わたしの格好、なんかおかしい!? 一応、ちゃんとオシャレしてきたつもりなんだけど……」


「いや、すごく似合ってて綺麗だけど……」


「綺麗!? おまっ……! い、いや、変じゃないなら良いんだけど……」


 れいあちゃんはより取り乱し、一呼吸置くと、安堵したように胸を撫で下ろす。


「でもさぁ、その格好だと走り難いんじゃないの? いくられいあちゃんといえどもさ」


「は? 走る? なんで?」


「え、今日はランニングしたくて呼んだんじゃないの?」


 僕が疑問を呈すると、れいあちゃんは一瞬困惑していたが「あー……」と得心がいったようで、


「今日は走るつもりないよ。確かに昨日は要件伝えてなかったな。ごめん」


 と軽く頭を下げた。


「え。そうなんだ。いや、要件はなんでもいいんだけど。じゃあ今日はどうしたの?」


 尋ねると、れいあちゃんはなぜか少し気まずそうに、モジモジしていた。

 やっと落ち着いてきた顔色が、徐々に先程のような赤みを帯びていく。


「今日はぁ……えーっと、散歩? そう! たまには走るんじゃなくて、近所を散歩するのも悪くないかなぁー、みたいな?」


「散歩?」 


 なぜに疑問系なのだろう。


「とりあえず近所の公園行こう! 立ち話もなんだし」


 そう言うやいなや、振り向いて公園の方へとさっさと歩き出すれいあちゃん。

 いまいち釈然としないまま、僕は彼女の背を追い、隣に並んで歩みを進める。

 今日のれいあちゃん、いつもと様子が違う気がする……。


 そのまましばらく二人無言で歩いていたが、このまま黙り込むのもなんだし、僕は顔を合わせた時からずっと気になっていることを訊いてみることにした。


「ねぇ、れいあちゃん」


「ん!? な、なんだ? 理玖」


「そのさっきから持ってる袋って何? 荷物なら、僕が持とうか?」


 れいあちゃんは、一つの紙袋を持っているのだ。

 白一色で、中心に見慣れないオシャレな金色のロゴがデザインされている紙袋。

 貴重品でも入っているのだろうか。


 僕の提案が予想外だったのか、れいあちゃんは「え!?」と素っ頓狂な声をあげた。彼女はしばらく逡巡した後、僕の申し出を固辞した。


「知らないのか理玖。これはね。今時の女子のオシャレアイテムなんだよ」


「え? 紙袋が?」


「そうだ。オシャレな店の紙袋を持って歩くのが、トレンド」


「そんなの、あすはからも他の女子からも、聞いたことないけど……」


「高校生のお子様と一緒にすんなよ。わたし、華の女子大生様なので」


 自信満々にそう言い張るれいあちゃん。

 まぁ最近の流行、特に女子大生のムーヴメントに理解が乏しい僕が口を挟める領域ではないだろう。

 

 そんなこんなで僕とれいあちゃんは、慣れ親しんだ近所の公園にたどり着いた。

 昔はよくここで蓮獄姉妹達や友人達と遊んだものだ。

 こうして顔を出すのは、結構久しぶり。


 僕らが子供の頃にはいくつか遊具があったけれど、いくつかはその危険性が問題視され、次第に撤去されていったようで、現在はほとんど遊具と呼べるものはなく、ただの広い土地と併設されたベンチがいくつかあるくらいだ。


「本当なんもないなぁ。球技も禁止なら、今の子供はここで一体何をして遊んでるんだか」


「そうだねぇ」


 無人の公園を見渡し率直な感想を述べるれいあちゃんに頷いてみせるけれど、思い返せば、公園の遊具をその柔軟な発想力で使い倒して、近所の大人達から危険視される遊び方を実践していたのが、隣に立つれいあちゃんだったような……。

 それを一緒に楽しんでいた僕が非難することはできないが、今改めて冷静に考えると確かにかなり危険と隣り合わせな遊びに勤しんでいた気がする。

 あのとてつもない勢いで回転する球体のジャングルジムみたいなやつとか、あれの遠心力って、今思うと半端なかったんじゃないか?


 そんな昔のことを思い返しながら、僕らは近くの錆びれたベンチに並んで腰かける。


「何か温かいものでも飲む? 自販機で買ってくるけど」


「え? いやいや、わたしが買うよ。誘ったのはわたしだし」


「いいっていいって、遠慮しないでよ。ホットミルクティーでいい?」


「……う、うん。ありがと……」


 やはり寒さが原因か、また顔が赤くなってきたれいあちゃん。

 温かい飲み物で、身体を暖めてもらうのがいいだろう。

 

 僕は立ち上がり、少し離れた位置にある自販機に向かうと、ペットボトルのミルクティーと缶のホットコーヒーを購入。

 れいあちゃんにミルクティーを手渡し、座り直すと缶コーヒーのプルタブを押し開け一口。はぁーと息を吐くと、白くなった息が口から立ち上り、空で霧散する。

 れいあちゃんもミルクティーを一口飲んだ後、ペットボトルを両手で包むように握り暖をとっていた。

 

 やはりこの早朝独特の静けさは良いものだ。

 

 しばらく二人でぼーっと佇んでいると、れいあちゃんが口を開いた。


「な、なぁ! 理玖!」


「ん? 何?」


「今日って、何日か判ってるか!?」


「え、十四日でしょ?」


 唐突な、僕の認知機能を確認するれいあちゃんの問いかけに、思わずなんの捻りもなく返答してしまう。


「そ、そうだ。今日は紛れもなく、二月十四日だな!」


「そりゃあそうでしょう」


「だからわたしから、お、お前に贈り物がある!」


「贈り物……?」


 怪訝そうな僕に、れいあちゃんは「ん!」と僕に自身の隣に置いていた、例の紙袋を渡してきた。

 僕はおそるおそる差し出された紙袋を受け取る。

「中身見ていい?」と尋ねると、れいあちゃんは黙ってこくりと頷く。

 紙袋の口を閉じているシールを丁寧に剥がし、中身を取り出すと、それは赤い包装紙でラッピングされ金色のリボンが巻きつけられた、四角い箱だった。


「えっと、これって……」


「わたしからの……バレンタインの……チョコ、だよ」


 れいあちゃんの顔が、湯気が立ち上りそうなほど真っ赤になっている。

 というか、実際少し湯気が頭部から立ち昇っている。


「本当は手作りしようと思ったんだけど、わたし不器用で、姉さん達やこるるみたいに上手くできないから、買ったのだけど……」


「うわぁ……! ありがとう! 滅茶苦茶嬉しい!」


 予想外のサプライズだ。思わず僕はニヤけきって表情を綻ばせながら、まじまじと貰った赤い箱を見つめ続ける。

 れいあちゃんはそんな僕の様子を見て「良かったぁ……」と小声で呟いた。


「しかしれいあちゃんからのチョコかぁ……。僕はてっきり今年も、いつも貰ってるあのチョコが貰える腹づもりでいたよ」


「あー、いや、今年はそれぞれ各々自分で理玖に贈ろうってことになって……。もしかして、いつものチョコの方が嬉しかった……?」


 不安げなれいあちゃんに、僕は急いで「そんなのことないよ!」と告げる。


「あれも凄い嬉しかったけど、れいあちゃんから直接貰えるなんて、最高の気分だよ」


 そう言うと「そ、そうか。なら良かった……」とれいあちゃんは顔を伏せて答えた。


「これはありがたく後でいただくね」


「え!? い、いや、今わたしの目の前で食べて! ここで今食べてほしい!」


「ん? そ、そう? じゃあ戴こうかな」


 そのれいあちゃんの必死な剣幕での物言いに少し気押された僕は、箱の包装を綺麗に剥がして開封する。

 四角い箱の中には、仕切りで区切られたブロック状の容器に、四つの小さな丸いチョコレートが入っていた。

 それぞれ茶色、白色、桃色、淡いアーモンド色と色味が異なる。色によって風味も違うといったところだろうか。


 まずは一番チョコレート然とした、茶色のものを口にしてみる。

 濃厚で芳醇なカカオの香りが鼻腔をくすぐり、口腔内を満たしていく。

 

「美味しいなこのチョコ!?」と、語彙力ゼロの感想を叫んでしまう。

 

 ゆっくり味わうべきなのだろうが、僕は次々と一つ一つを口いれ、それぞれに衝撃を受ける。感動の連続パンチである。

 白がホワイトチョコレート、桃色はイチゴ、薄いアーモンド色は紅茶だろうか。

 それぞれのフレーバーの完成度に驚愕しながら舌鼓をうつ僕を、れいあちゃんは嬉しそうに眺めていた。


「──いやぁ、全部美味しくて、あっという間に食べちゃったよ」


 食後、一抹の寂しさ、名残惜しさを僕は抱えていた。

 美味しいけれど、もっと食べたい! という欲求が身体の芯から湧き上がり続けるのだ。

 恐ろしいチョコだ……いくらでも平らげてしまうぞこれは……。


「そんなに喜んでもらえたなら何よりだよ」


 満足そうに頷くれいあちゃん。

「分かるぞ理玖。美味しいよなぁそのチョコレート」とでも言いたげな顔である。


「いやもうビックリ。ちなみにこれどこのチョコなの?」


「ドイツ。やっぱ本場は違うなーって感じだよなぁ」


「なるほど、ドイツのかぁ。どこのお店で売ってるの?」


「ん? ドイツの現地で買ったから、店名はよくわかんないや」


「え!? ドイツの現地で!?」


 しれっと明かしてきたけれど、ドイツまで行って買ってきたのか!?


 驚愕する僕にれいあちゃんはハッとして「い、いや、違うからな!? つい最近、大学の友達とドイツ旅行に行ってたんだよ! そのついでに買ったんだよそれは! けっしてわざわざドイツまでチョコを買いに一人で弾丸旅行を敢行したわけではない! 断じて!」と焦ったように捲し立ててくる。


「な、なるほど……もしかしてわざわざ買いに行ったのかと勘違いしたよ」


「へ、変な勘違いするなよなぁ、まったく……」


 いくらなんでも、僕に渡すチョコレートのために、そんな労力を割くわけはないのだけれど、れいあちゃんはたまに思い切った行動をするからな……。


「で、理玖。お前、今日はもうチョコ、貰ったのか?」


 平静を取り戻したれいあちゃんがそんなことを切り出してきた。


「え、れいあちゃんから貰ったこれが最初の一個だよ。こんな朝早くだし」


「そ、そうか! わたしが初めての女ってことだな! そうかそうか!」


 どこか嬉しそうなれいあちゃん。何やら表現の仕方が独特な気がするが、喜んでいるれいあちゃんを見ていると、そんなことどうでもよく思えてくる。


「えへへ……わたしが一番……理玖の一番……えへ……」


 何やられいあちゃんはどこか恍惚の表情を浮かべてしばらく固まっていた。


 しばらくして、陽が登り始めた頃合いで、僕達は家への帰路についた。

 来た道をまた共に歩き、互いの家前まで戻ってきた。


「それじゃあれいあちゃん。わざわざこんな朝早くからありがとう。お返し期待しててね!」


 流石に海外で購入するまではいかないけれども、これはホワイトデーのお返しの品に関しては、相当の気合をいれなければ。


「そんなこと気にするなよ。大したことじゃないし──まぁ、美味しそうにわたしのあげたチョコを食べてる理玖の姿を見られただけで、わたしは満足だから」

 

 慈しむような顔でそう言うれいあちゃん。


 ……ん? 何か違和感が……。


「じゃあな理玖。達者でね」


「……うん、またね」


 まるで今際の際のような神妙さで別れを告げ自宅に這入るれいあちゃんを、僕は見送る。


 何故こんな早朝にチョコレートを渡したのか。

 何故れいあちゃんはチョコレートを渡すだけの用事で、あんなにお洒落をしていたのか。

 何故渡したチョコレートをその場で食すことを促したのか。


 疑問点はいくつかあるけれど、れいあちゃんの別れ際のあの様子が、もっとも不可解だった。


 かすかな疑問符を浮かべながら、僕は自宅のドアノブを握り、扉を開けた。


 ──しかし、蓮獄家の姉妹からそれぞれチョコレート貰えるのかぁ。


 そんな呑気な僕の、十六歳のバレンタインデーがこうして幕を開けた。

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