第2話
召喚後、案内されたのは魔女の部屋からは打って変わって清潔感漂うダイニング。奥にあるキッチンではローブからロングワンピースへと着替えた少女が紅茶を入れている。
改めて私は召喚者である少女を見る。
彼女の肌は雪のように白く、髪はカナリアの羽のように落ち着いた金色。年齢はおよそ10代前半といったところ。体格は天使を思わせるほど華奢で小さい。顔は醜いという単語からかけ離れた目鼻立ちをしている。紅茶を入れる姿から育ちの良さも伺える。
私は私の召喚者である少女のことを素直に綺麗だと思った。彼女の容姿を真っ向から否定することは無理だとも思った。それほどまでにこの少女は100点満点中100点満点の美少女であり、完璧無比な容姿をしている。
息をすることも忘れて彼女に魅入ってしまっていたのか。気が付いたらテーブルの上には紅茶が置かれており、机の向こう側で少女は椅子に座っていた。
「召し上がれ」
「あ、いただきます!」
少女に促されると私は慌ててカップを手に取り、一言挨拶を口にしてからカッブに口をつけて、一口飲む。紅茶を口に入れた瞬間、マイルドな茶葉の香りが口の中で舞って鼻をくすぐる。味は少し渋みがあるものの、ミルクを入れてくれていたのか濃厚な味わいになっている。礼儀作法を知らない私はごくごくとカップの中身を飲み干すと、カチャリと音を立ててカップをソーサーの上に置く。
「この紅茶、すごく美味しい」
「お気に召したようで何より」
褒められることが嬉しかったのか、私の飲み方が面白かったのか、彼女は屈託のない笑みを向けてくれた。
紅茶からカフェインを摂取したからか、私は非常に重要なことを思い出す。
「そういえばなんだけど、おまえの願いってなに? 願いを聞かないと悪魔は契約ができないんだけど」
私は少女に率直に聞く。
すると少女は顎に指先をあてて考える素振りを見せる。三十秒くらい考えた末にいいことが思いついたのか少女は悪魔よりも悪魔らしい意地悪な笑みを浮かべる。
「そうね、確かに口で言わないとわからないものね。───いいわ、手間をかけてあげる」
音も立てずに椅子から立ち上がるとポケットから果物ナイフを取り出す。するとピクリとも表情を動かさずに親指の指先をナイフで薄く肉を切り裂くと、机の上に上半身を乗せて、対面に座っている私の唇に有無を言わさず出血している親指をくっつける。
「契約よ、アンブラ。私を死ぬまでに幸せにして。そしたら私の命を全部貴女にあげる」
じくじくと指先から溢れる血が私の口の中に流し込まれる。あまりに自然な動作に抵抗することを忘れて私は呼吸を止めて血を受け入れる。口の中に血が満ちていく。さっき飲んだ紅茶とは真反対の錆びた鉄みたいな匂いが鼻腔に絡みつく。血は唾液と混ざって、粘性を強くする。
充分に血を流し込めたことがわかると少女は唇から指を離す。息をしてもいいと思ったから空気を吸おうとしたけど、血と唾液で満ちた口では上手く息が吸えないことに気付く。
こくん、と私は口の中にある血を飲み込む。飲み込んでしまった。
「これで血の契約は完了かしら」
くすりと笑う少女の真意をアンブラは遅れながらも自分が何をされて、何をしてしまったのかを理解する。
顔を真っ赤にして飛び上がり椅子を転けさせて少女に掴みかかる。
「な、ななななにやってるんだおまえぇぇぇ!」
「なにって。血の契約だけど?」
「バカっ、おまえそれ、軽く言うなよ! 血の契約は二度と取り消す事ができないんだぞ! そのくせ命を差し出すなんて言って! なんでこうも易々と一番重い契約方法をするのさあああ!」
「人間と悪魔のどちらかが魂ごと消え去れば自然消滅で取り消すことができるけどね」
掴んだ肩を前後に激しく揺らしながら必死に手遅れで凄惨な事実を訴える。けれど少女は眉ひとつ動かさず泰然自若に更に取り返しのつかない事実を告げる。
「私の人生を変えてもらうのだから、魂くらいかけてあげないと不公平じゃない?」
変わらず少女は悪意なく微笑む。
少しの間言葉が出てこなかった。言うべき言葉がわからなかった。だけど、それは間違いだと、手遅れであろうと言わなきゃならないことだけはわかった。
「おまえが結んだ契約は確かに筋は通っている。通ってはいるけど、まるきり成立しない。悪魔との契約で命を差し出すというのは異常なことなんだぞ」
慎重に言葉を選びながら一生懸命に諭す。今やっていることは間違っていると。
「たしかに。契約とはいえ、人間が悪魔に命を差し出せば死後地獄で悪魔に魂の状態で飼い殺される。現代まで残っている文献でも多くの悪魔が人間を都合よく扱って、契約の対価が魂となるように誘導する。そうしてようやく魂を奪い取れる。
けどそれって人も悪魔もすごく臆病。私は嫌、あんな姑息な過程。あんな情けない末路。それなら私は私の意志で天秤を使って、私の意志で地獄にいく」
少女は文献を思い出しつつ事実を並べる。自分がやったことはすべて正しいと。
全く動揺しない毅然としたその態度は芯があるように見える。けれど、どうしようもないくらいに大事な部分が決定的に欠落している。
「それは勇気じゃない」
「そんな綺麗なもの持ってたら悪魔なんて呼ばない」
私が睨みながら諭しても、少女にはちっとも響かない。それどころか逆にこっちが圧倒されて、呆気なく少女の狂気に飲まれてしまう。
泣きついてまでこの館に残ってしまったことを後悔する。あの時、素直に送還されていれば平和的に終われたのだ。こんな訳の分からない契約者を担当することなんてなかった。
微笑んだまま友愛の証として少女は血の滴る手を差し出す。
「遅れたけど、私はライラ。よろしくね、アンブラ」
差し出された手は可愛らしい小さな手のはずなのに、私にはその手がどんなモノよりも恐ろしく見えた。
逆らったらどうなってしまうのだろうとか。逃げ出したらどうなってしまうのだろうとか。握ってしまっまたらどうなってしまうのだろうとか。そういう恐怖心が脳みそを支配してしまっていて、私はただ震える手で差し出された手を握ることしかできなかった。
「よろしく、ライラ」
小さくかすかに震えた声で友愛を受け取る。そして直感する。
私はもう彼女から逃げられない。
欲望のカナリア 苦楽良 罅器 @otyaba
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