欲望のカナリア

苦楽良 罅器

第1話


 『悪魔』とは。


 特定の伝承や宗教文化において邪とされ、悪とされる幻想生物。そしてこの世界における「悪」を象徴する超越者のことを指す。


 その姿は文書によって違い、ヤギの頭を持つ者、牛の頭を持つ者、コウモリの翼を持つ者、人と同じ姿を持つ者、天使と同じ姿を持つ者、といったふうに十悪魔十色となっている。

 姿形が違う彼らの唯一共通しているところは、人の領域を超越した能力を持ち、それによって己の目的である〝欲望〟を満たそうとすること。その〝欲望〟を満たすために彼らは必ず人間と関わり、人間の持つ〝欲望〟に漬け込むのだ。


        ✡ ✡ ✡


 無造作に草木が生い茂った暗い暗い山の中。

 およそ人が住んでいるとは思えないおどろおどろしい館の中。

 火のついたロウソクが均等に並び、大釜や得体の知れない薬品棚が置かれた部屋はまるで絵本の中にある魔女の部屋。

 部屋の中心には赤い線で象られた円の中に幾何学模様によって作られた謎の赤色の紋章が描かれており、その前には一冊の本を手に持ったローブの女が立っている。


 「■■■■■■■、■■■」


 ローブの女はブツブツと言語として存在しているのかどうか怪しい言葉を連ねる。

 言葉に呼応するようにして少しずつ魔法陣から光が溢れて、部屋の中にある物の背中から伸びる影が大きくなって壁に纏わり着く。ブツブツとローブの女が意味不明の言葉を重ねるごとに光は次第に強くなっていく。

 言葉を重ね、光が部屋全体を完全に呑み込んだ瞬間。


 部屋の時間が止まった。光も闇もぴたりと動きを止めて静まり返る。どちらも増えることもなく、減ることもない。部屋の中を未だに動くことができたのはローブの女だけ。止まったことを認識しつつ、音にもならない言葉を重ねる。

 異界の門が開かれる。礎には術者の血と欲望、生贄にはシールの貼られた肉、材料には膨大な魔力を以て。

 空間が軋む音を聞いた時、儀式は成功したのだとローブの女は理解する。あとは魔法陣からなにが出てくるかだ。

 時が動き出す。光が消える。闇が部屋を自分好みに飾り立てる。

 儀式を終え、役割を終えた魔法陣の上には頭に角が生えて、尖ったしっぽを揺らす正真正銘の〝悪魔〟が立っていた。


 「クックック・・・・・・。アーッハッハッハッハッハッハアーッ!」


 邪悪な笑い声が部屋に響く。


 「我こそは魔界を統べる上級悪魔アンブラ! さあ契約を果たそうじゃないか人間よ!」


 キラーン、と。綺羅星の輝きを思わせる効果音と共にアンブラと名乗る上級悪魔(?)は現れた。

 誇らしそうに胸を張って、鼻を自慢げに鳴らしながら悪魔アンブラはこの手を握ってくれるという確信を持ってローブの女に手を差し出す。

 けれど、彼女の予想に反して現実は彼女の予想外を固めたようなものだった。



  ぺしん。



 無機質な音が部屋にこだまする。握手みたいな重なる音ではなく、手と手がぶつかる無機質な音だ。

 ローブの女は私利私欲を抱いて召喚を行ったはずなのに差し出されたアンブラの手を丁寧に払った。


 「あえ?」


 困惑のあまり間抜けな声が喉から出てくる。

 ローブの女はそんなアンブラを他所に小さく溜息を吐いて手に持っていた魔導書を放り捨てる。


 「半額の豚バラで召喚されたのが上級悪魔なんて。失敗。送り返す・・・」

 「すみませんさっきのは嘘です私は下級悪魔の中の下級悪魔です」


 ローブの女が「送り返す」という単語を呟いたコンマ一秒ほどか。アンブラは持ちうるプライドのすべてを即座に捨て去り、両手指先によって完全な直角が作られた綺麗な土下座を披露した。ここにもし土下座評論家がいたとすれば高得点を狙えるものだ。


 「私ここ数十年仕事もろくになくてそろそろヤバいんです! これ以上パパとママに怒られたくないんです! お願いしますここに置いてください!」


 カブトガニを思わせる鋭い土下座をしたまま顔もあげずにただひたすらに懇願する。

 普通の感性を持っているのならばそんな彼女に心を痛めるのだろうが、ローブの女は気にも留めていない。


 「なんで見栄張ったの?」


 粛々とローブの女はアンブラに尋ねる。アンブラは姿勢を正座にしつつ、バツが悪そうに両手指を弄りながら答える。


 「いや私にだってプライドはあって・・・・・・。

 上級悪魔って言ったら恐れ慄くと思って・・・・・・」

 「へー、そっか。仕事上で経歴の詐称をするんだ。通りで仕事に数十年も就けないわけだ」


 アンブラの言い訳をバッサリ切って、ローブの女は粛々とアンブラの心を言葉で切りつける。

 アンブラは完全に言葉を詰まらせた。あれだけ情け容赦なく自分の図星を突かれて、自分の掘った墓穴に叩き落とされてしまえば当然だろう。アンブラの心は穴があったら一秒でも早く入りたい思うくらいにはズタボロだ。

 そんなアンブラの気持ちを知ってか知らずか、ローブの女はこの尋問に特に意味は無いと悟り溜息を吐いて切り替える。


 「まあいっか。下級悪魔なら私の望み通り。ここに居ることを許してあげる」

 「あざっす!!」


 承諾を得たとわかると調子よく直角に頭を下げる。

 支配者そのものの口調のローブの女に対して、上級悪魔を自称して大物感を出していた下級悪魔アンブラの口調は小物感丸出しとなっていた。

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