Act 3
「アンタはすでに死んでいるのさ。幽霊だ。」男が言う。
畳から立ち上った埃が西陽に反射して、キラキラと光っている。
「なぁ、最後に太陽を見たのはいつだ?いいか、太陽だ。決して____」男は手で埃を払い除ける仕草をする。芝居がかった動き。
「___こんなチャチな光なんかじゃない。アンタらは『そこに光があるから』『暖かさの残滓があるから』『きっと太陽があるのだろう』という推測で『太陽がある』なんて考えるが、それじゃお世辞にも正しいとはいえない。太陽の実在を証明しろ。」
そんなことを言われても、僕には太陽の在りどころなんてわかりやしない。
そして僕はこういった手合いが苦手だ。修辞に塗れて繊細ぶって、その実どうしようもなく粗野で暴力的な連中が。だから僕は言い捨てた。
「いいから。そんな周りくどい言い方をしないでくれ。僕がダラダラと無目的に不必要に生きていることくらい、自覚している。文学的カウンセラーごっこがしたいのなら他を当たってくれ。うんざりだ。」
「そうかい。じゃあ少し趣向を変えてみよう。」
どうやら男はまだ話す気のようだったけれど、改善しようとはくれるようだ。案外優秀なやつだ。と思った。
「アンタ、本当に自分が生きてると思うか?」
あまり変わってはいなかった。今しがた上げたばかりの彼への評価を下方修正する。どうしても生き死にの話がしたいらしい。
「それは重要なことじゃない。生きていようが死んでいようが、哲学的ゾンビだとかクオリアだとか、僕には関係ない。平たくいえばどうでもいい。」
よりはっきりとした、僕の拒絶に、それでも男は気を悪くした様子もなさげに話を続ける。
「私は疑問に思っているんだが。幽霊ってのは、死者かね?人間を人間たらしめるものは精神だと言う。体の半分以上が機械のやつだって__実際どうだか知らないが、法律上は権利を保障されているんだ。つまり、人間が生きていることを証明するのは何かを「語る」ことでしかない。存在によって語る。実在によって語る。魂を持つ。それが『生きていること』だと言うなら。幽霊ってのは魂が剥き出しである分、そこらの人間よりよっぽど生きている。とはいえないだろうか?」
「あんた、幽霊なのか?」
男は鼻を鳴らす。
「さあね。」
男は消えた。僕の目の前で。まるで最初からいなかったかのように。
陽はすでに暮れ、窓からは闇が忍び込んでくる。ドアに目をやる。錆びついた扉は堅く沈黙を守っている。その足元、冷たい玄関口にはヘッドギアが転がっている。
それが、彼が僕に見せた。This MaNであることの、唯一の証明だった。
◯
夢の国を歩く。
極彩色の広告、ニュース、イメージ、メッセージその他諸々が空間を埋め尽くしていた。果てしなく続く空のどこかからから、柔らかい雨が降り続けている。それら全ては人間の想像力の産物だ。
<エレクトリック・シープ>によって夢はその神秘性を剥奪され、言語や絵画のような人間の道具の一つとなった。人類はついに自らの身体機能の全てを手中に収めるに至ったのだ。そして<イデア>の登場によってその道具はついにその機能を果たすことになる。<イデア>を中心としたネットワークの構築。つまり、夢が社会性を得るに至った。他者と夢を交換し共有し、交感して共感しあう。そんな社会が実現した。
その社会は果たして幸福なのか?
そんなことを考える暇もなく、皆がその渦に飲まれていった。<イデア>のサポートによるイメージの具現化、「感情」の直接的な交流、常時性と常在性。皆がその魔力に惹かれての新世界へと入って行った。僕たちは本当の意味で“いつでもどこでも“人と会い、合い、愛と哀を交わすことができるようになった。ある社会学者はこの世界を“第四世界“と評して議論や中傷を呼んだ。人々は夢の中で仕事をして恋愛をして、生きた。それこそ夢中に。もはや現実は「起きる」という生命維持に必要な活動の為の不自由な場所でしかなく、夢は現実に現実は夢にとって替わられつつある。
皮肉なことにこの新世界の煽りを受けて最も衰退したのはかつてのインターネットだった。その圧倒的な常時性と常在性によって世界を席巻したのも今は昔のことだ。より便利で、より多様で、より安全な「夢」に対して、インターネットは匿名性の高さ故に、粗悪な情報とデマ、誹謗中傷と卑猥なスラングに塗れたスラムとなっている。それは一種の回帰でもあった。
そのインターネットの怪しげな情報を頼りに夢の世界を徘徊しているあたり、僕は差し詰め哀れなヒットマンだろうか。いや、そんな上等なものではない。チンピラ風情と言った方が正確だろう。僕は彷徨う。This MaNは何処?
道が狭くて通行人と肩がぶつかる____と言うのはもちろん嘘だ。自分の想像によって生み出された自分の肉体は、いとも容易く他者をすり抜ける。これが夢の国だ。AIによって補正された妄想。それが何十、何百にも重なっているこの空間において、身体というのは一種の記号に過ぎない。この体が何に触れて何に触れないか、それは自分次第だ。
雨が鼻の先を打った。雨に濡れたところが熱くなるのを知る。この雨は酸性のようだ。このけたたましい視覚の中に雨を降らした誰かのサイバーパンク・ユーモアに敬意を評して自分の身体を少し溶かしてみたが、辺りの人間の容姿がどれも整っていることに気がついて、慌てて元に戻す。この雨に、彼らは気がついていないのだろうか。それとも気がついた上で無視しているのか。
男__This MaNは僕を指して「死んでいる」と言ったが。もしそうなのだとしたら、つまり現実から逃避して無意に人生を送っていることを、何も語り得ないことを、孤独であることを「死んでいる」というのなら、ここは「夢の国」などではなく「死者の国」になる。肉体を脱ぎ捨てて、精神だけの存在として生きているものを「幽霊」と呼ぶのなら僕たちは等しく幽霊だ。人類は安らかに死につつあるのかもしれない。けれども僕は、そうは思わない。僕たちはどこまで行っても人間であり、人間でしかないのだ。それは福音ではなく、絶望である。
でもまぁ、気持ちはわかる。実在から逃げて妄想の中で生きる者たち。僕のような、<イデア>から与えられる見せかけの連帯感と恍惚と思考停止に酔っ払ってしか生きていけない者たち。彼らを<人間>と呼びたくない気持ちは。ましてや「死者」だとか「幽霊」なんて言葉でも言い表したくないだろう。それは冒涜でしかない。ならば僕は彼らに、僕らに、僕自身に名前をつけてあげよう。名前によって規定する。名前によって規定される。主体性も人格も、もしかしたら意識でさえ投げ出した彼らはこう呼ばれる。
即ち_________
「「ゾンビ」」
気がつけば目の前に男がいた。彼は微笑む。その微笑の意味はわからない。僕も微笑み返す。その意味も、やはりわからない。
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