Act 2

小学生の頃だっただろうか、一度だけ深夜の常闇を彷徨ったことがある。反抗期を迎えたばかりの僕は、思春期的衝動の表現として家出というありがちで何の面白みもない逃避の手段を摂って、これまたありがちで何の面白みもない計画をたて、ありがちで何の面白みもない実行に移したのだ。それは結果として、傪傪たる大失敗に終わったのだけれど、その時に見た夜の美しさ。しんと静まり返った国道で無為に明滅を繰り返す信号機や蒼白い顔をして横面だけをこちらに向けている月、自動販売機の発するLED、それら光の妖しさが持つ、恐怖と美しさだけはいまだにはっきりと思い出される。今思うに、それは僕が生まれて初めて見た“死“の、その幽玄だったのかもしれない。

机の上に、無造作に置かれた時計は丑三時を指している。あの日見た、ハッとするような美しさは消え失せ、今6畳間を満たす闇は重く憂鬱に沈んでいる。その中心で塩分過多のインスタント食品と健康を謳う出来合いの惣菜を口に放り込み、インターネットのどうしようもなく下らない風説記事を見ながら考える。

どうしてこうなってしまったのだろう?

それは幾度となく反芻してきた言葉だった。もはやその問いを真面目に考えることもない。ただ自らの不遇と孤独を嘆くためだけに発せられる言葉だ。つまりこの煩悶は僕の最低の人生を最低たらしめるための儀式のでもある。

とにかく楽になりたかった。けれど自ら死を望むほど深い、度胸と絶望はない。

机の上の時計が「べべべべべ」と、どこか調子の外れたアラームを鳴らした。

部屋の隅に転がっていたヘッドギアを掴み、装着する。バイザーを下ろす。眠りにつく。僕は人間になる。そのための通行証には企業のロゴが描かれている。

                ◯

スッと体が浮くような心地がして、僕は「夢の国」へと降り立った。と言っても地面があるわけではない。辺りはモヤのようなもので包まれている。此処はまだ、世界と接続されていない従来的な、つまり真に個人的な夢の中であるからだ。身体と精神の同一性を流れ作業的に確認して、先ずロビーに向かう。

耳をつんざいたのは幾重にも層を成した怒号と悲鳴だった。

ゆっくりと目を開ける。

視界の隅で虹色の馬が跳ねた。その為に弁当箱とサインコサインがワルツを踊った。これを見て電波塔がシクシクと怒った。マンホールが「ハムレット」の一節を吟じているのが“見える“。一匹狼がダイエットのために河川敷を走っている。足跡は電車にかき消されてなお専守防衛を主張し、USBメモリを氷漬けにして情報の保全を宣う。昔隣の家に住んでいたあの子が優しく微笑みながら紅いうねうねとした毒クラゲを枯木に吊るして桜のように愛でている_______

<アナムネーシス>が緊急出動のコールを僕の脳髄に送っているのに気がつく。僕は想起アナムメーシスして、身体を薄紅色の外骨格で覆っていく。

<アナムネーシス>が接続の許可を求めていたので、僕は電流から生み出される幻影に向かって目線でサインをして、承認する。一瞬視界がブラックアウトして御国のロゴと企業の紋章が表示された後には、“本物“の世界が僕を暖かく迎え入れてくれる。ぼんやりとした頭で眺める世界は何もかもが鮮やかに煌めいていて、死にたくなるくらいに美しいのだ。きっと僕が、いや、僕たちが生まれるずっと前の世界はちょうどこんなふうだったのだろう。

<イデア>と接続する。この瞬間の為に生きている。この瞬間があるからこそ、僕は生きてしまっている。

               ◯

<エレクトリック・シープ>が今世紀最大の発明と言われる所以は夢を人類の制御下に置くという無謀とも言えるような果てしない挑戦を成功させたからではない。電気羊の、その功績の本懐は<イデア>とそれを支えるOSである<アナムネーシス>にある。

<イデア>とは人間の脳活動を基盤とした分散型汎用人工知能だ。政治、軍事の分野から電気、水道まで、もはや今日の人類の生活は彼、もしくは彼女_____________高度な自立性と汎用性を備えた、いわゆる「強いAI」の意識が僕たちの意識と同質かは議論の余地があるけれど、僕には<イデア>は人間よりも人間らしく思える__________なしにはあり得ない。それだけの莫大な計算をどう処理しているのかといえば、その答えはズバリ、僕たちの「脳」だ。<イデア>は<エレクトリックシープ>というデバイスを通じて僕たちの脳に侵入し、その皮質を計算用紙として用いる。そして、常に計算用紙をストックしておく場として「夢の国」は存在する。

人類は自らの頭の中、つまり自由をAIに切り売りして日々の便利で平穏な生活を得ているのだった。

けれども、どれだけ精緻な科学的芸術だったとしても、必ず綻びは生じる。それがシステムである限りは。それは悪夢バグと呼ばれる。<イデア>が人間の夢を養分として思考する以上、どうしても夢から余分なものを吸い上げてしまうのだ。その「余分なもの」はアルゴリズムに従って分離され、排除されるのが常ではあるのだけれど、それでも打ち捨てられた夢の形骸がデミウルゴスに向かって牙を向く時は、ある。それが分かったのはすでに<イデア>が世界全体に普及してしまってからのことだった。

大抵の、いや、ほとんど全ての悪夢は<イデア>の、その能力で十分に対処可能なものだ。だが、世界は納得なんてしなかった。世界は責任の所在を求めた。責任をとる者を求めた。自動運転のバスに座っている運転手のような。

責任をとる。これが僕らの主な業務内容だ。最低限のレクチャーと最低限の試験で生み出される交換可能な消耗品。悪夢が発生した際、赴いて<イデア>に身体を貸すためのからっぽの傀儡。つまり、この仕事に特別な資格や能力なんてものは必要とされない。

              ◯

<イデア>に接続した瞬間の高揚は次第に薄れて、やがて冷徹がその精神をとってかわる。僕は自分がマシーンになったことを実感する。いつの間にか周りには同僚がいて、めいめいに銃だとかなんだとかを検めている。やがて彼らはそれぞれの歩幅で不協和音を響かせながら行進を開始する。全体を見渡すと、音のチグハグさとは裏腹にその行進は整っている。そのアンバランスさにクラクラしそうになる。僕自身だって、そのアンバランスの一員なのだと思うと、どういう訳か嬉しさが込み上げてくる。歯車になれた歓び。One of same の愉悦。何かの部品として在れるということへの感謝。現実では決して味わうことのできない究極の連帯。AIの指示に従って、ゲームのように銃を撃つ。武器を想起し効率的に屠る。こうして悪夢を世界から“削除“してく。ああ、自分は生きているのだ。あんな最低の現実なんかよりも、こっちの夢の方がずっと“現実“なのだ……………………

パチンと、何かが弾けたように熱狂は終わり、銃声はパッタリと止む。僕もやがて冷徹と熱狂から抜け出していく。ふと、上を見上げる。偽物の満月が笑っている。

そういえば。と疑問に思う。今日の悪夢は先日“削除“したものとよく似ていた。いや、そっくり一緒だったと言っても良い。通常。そんなことは起こり得ない。

ふと。ネットで見た怪しげな風説を思い出す。曰く、集合的無意識の表出。曰く、世界への反逆者。曰く、幽霊。

偽物の満月が笑っている。その笑みが薄く引き延ばされて文字を形作る。その文字は下手人の名前を示している。

偽物の満月が笑っている。そこにはこう書かれてある。

「This MaN」______________________

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