Do philosophical zombi Dream of ....

谷沢 力

Act 1

偽物の満月が笑っている。

視界の隅で虹色の馬が跳ねた。その為に弁当箱とサインコサインがワルツを踊った。これを見て電波塔がシクシクと怒った。マンホールが「ハムレット」の一節を吟じているのが“見える“。一匹狼がダイエットのために河川敷を走っている。足跡は電車にかき消されてなお専守防衛を主張し、USBメモリを氷漬けにして情報の保全を宣う。昔隣の家に住んでいたあの子が優しく微笑みながら紅いうねうねとした毒クラゲを枯木に吊るして桜のように愛でている。

“悪夢のような光景“____と言うのは正確ではない。なぜならこれは悪夢だからだ。

まさしく本物の。

その、本物の悪夢の中を隊列を組んで歩いている、薄紅色の装甲服を身に纏った一団がある。彼らの足取りは一様ではない。ちり、ちり、と硬い音を立てて神経質そうな一定のリズムで歩く者。かちゃかちゃと忙しなく動くもの。がちり かちり と大股で、いつものことだと言わんばかりの小慣れた憂鬱を表現する者。

それぞれの足音が重なって不協和音を響かせ、その音とは裏腹に統率された行進がこの悪夢をより悪夢的なものにしている。

神経質そうにリズムを刻んでいた男が右手を挙げる。彼らの腕にはいつの間にか銃が抱えられている。右手が振り下ろされる。閃光が迸って、馬が血を吹きながらゆっくりと倒れる。虹色の馬の血は、綺麗な真紅だった。

それからしばらくの間、閃光が止むことはなかった。そして弁当箱がサインコサインが電波塔がマンホールが一匹狼が足跡がUSBメモリが隣の家のあの子が蜂の巣にされた。

蜂の巣にしても物足りないものはは絞めたり吹っ飛ばしたり粉々にしたり。とにかく徹底的に破壊して“削除“した。

後には何も残らない。

これで少しだけ、この世界は綺麗になっただろう。

そう、これが僕の仕事、僕たちの仕事だ。夢守の仕事。夢の国のドブさらいの仕事。

                 ○

ゆっくりと目を開ける。風化して少し酸っぱくなった畳の匂いが鼻の奥をくすぐった。口の中に苦味と痺れのようなものを感じる。狭い部屋の中をバイザー越しに視線だけで見回してため息をついてみる。

布団から出る気になれない。

柔らかでどこか懐かしい夕陽が窓から闖入してきて僕の頬を撫でていった。小学生の服リコーダーの音が聞こえる。なんだか無性に腹が立った。優しさが、懐かしさが、暴力的に心の内側を引っ掻く。

うんざりだ。外界に対する感覚が鋭くなっていくのがわかる。まどろみが遠ざかっていく。それはちょうど彼岸から此岸へと、三途の川を渡るようなものだ。これまでの僕は死んで、新しい僕が生まれる。つまり、ペラペラの、なんの価値も持たない男が、いや幽霊とでも言うべきモノが一つ世界に記述されるのだ。そのことを現実はなかなか許してくれない。聖者には恩寵を、咎人には罰を。こうして目覚めるたびに罰を受ける羽目になっていることを見るに、僕の存在は罪なのだろう。

<エレクトリック・シープ>の奏でる「ぶ__ん」という音が消えた。こうして僕は世界に放り出される。

まだ布団から出る気にはなれない。

<エレクトリック・シープ>というのは一種のデバイスだ。ヘッドギアとバイクヘルメットの中間のような、僕が生まれるずっと前にやっていた合体ロボットアニメの主人公のヘルメットに似ている。頭の周りにぐるりと貼り付き、目の部分にバイザーがある。中には何かの液体が入っているようで、着けるといつもひんやりする。こいつで何をするのかといえば、それは、正真正銘の「夢の国」への旅行である。

「夢の中へ入る」そんなファンタジーのような挑戦に世界で初めて成功したのは高名な物理学者でもなければ脳科学の権威でもない。ただの一般市民だった。ある匿名掲示板の「明晰夢を見たいんだが」というスレッドに投稿された、「壊れたマッサージマシーンを頭に当てながら寝る」という方法が拡散され、それを見たある大学の院生がモニタリングした結果、外部から物理的に脳を“揺らす“ことによって「夢の中に入る」ことが可能になることが証明された。ここで言っておきたいのが「夢の中へ入る」という現象は「明晰夢」とは似て非なるものである。ということだ。「夢の中へ入る」というのはどちらかと言えば創作活動に近しいらしい。頭の中にあるモノを夢として出力する。明晰夢のように夢を「支配する」ものではない。つまり欲しいものしか具現化することはできないし、それ以上のこと、自分の手を離れたことが起きることはない。一般的には。

こんなことを、誰に聞かせるでもなくつらつらと考えているうちに、身体が現実と同化していくのが感ぜられる。少しだけ息がしやすくなる。与圧されたみたいに。

古びた軽トラックのワイパーのような機械的かつ緩慢な動作で片手で調節ネジを緩め、バイザーを押し上げ、ヘッドギアを脱ぎ、部屋の隅に放り捨てた。

ようやく、僕はこの現実世界に記述されることが許されたような気がして、布団からのっそりと、冬眠明けのクマのように這い出るのだ。

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