きっかけ5 二年前のこと

文化祭の二日目。午後は有志のステージ発表が控えており、そこで文化祭はフィナーレを迎える。

最後の目玉ということで気合が入っているのか、有志発表前のステージ裏では文化祭実行委員や多くの生徒が、忙しなく準備を整えていた。


「バミリ終わりましたかー?」

「音響確認お願いします!」


舞台監督であるシイラ先輩は、あっちに呼ばれたり、こっちで仕事したりと忙しそうだ。

それを横目に、私と如月先輩はお互いの衣装チェックに勤しんでいた。


舞台前の緊張感を含んだ時が緩やかに流れている、そんな時だった。


「有志、最初は演劇だっけ?」

「演劇かあ……正直さあ、まだ怖いんだよな」


喧騒に紛れて聞こえた会話に、戯れあっていた私と如月先輩は同時に振り返った。

役員の先輩だろうか。どちらも男の人で、腕には生徒会の腕章が巻いてある。


如月先輩が、微かに息を呑んだのがわかった。


「怖い?……あ、二年前のあれ?いやぁ、さすがにもう大丈夫でしょ」

「そういう慢心がああいう不祥事を引き起こすんだよ。つか、あーいうことあったのに懲りずに演劇ってさぁ、正直、自己中ってか」


やめてほしいよなぁ。


すっ、と私の横で空気が動く気配がした。

きさらぎせんぱい、私が呼び止めるより、先輩が彼の腕を掴む方が先だった。


「ねぇ、待って」

「え?」


男の先輩のシャツの裾を掴むその手は、微かに震えていて。

困惑する男の先輩を、ぎろりと上目遣いで睨みつける。


「あんた今“不祥事“って言った?」


如月先輩の顔を見た男の先輩が、やべ、と口を手で押さえた。


「いや、それはその」

「あれは不祥事じゃないから!!合唱部だけが悪かったみたいに言わないで!!」


響きわたる怒声。

それまで慌しかったステージ裏が、一気に静まり返った。

何が起こったのかわからなくて、私はただ立ち尽くすことしかできなくて。

如月先輩は震える声で続ける。


「慢心じゃない……、私たちだって、きちんと感染対策はしてたっ!」


「おいお客さん入ってきてるから静かにしろ、って……どうした」


ステージ裏の異変に気付き飛んできたシイラ先輩が、足を止める。


薄暗いステージ裏。

動きを止めてこちらの様子を伺う、役員たち。困惑顔の生徒会の男子生徒。

その横で、如月先輩は静かに泣いていた。


そのうち生徒会の男の子が、「あー悪かったよ」とバツが悪そうに言った。


「あん時、生徒会もいろいろ言われてさ、ついキツく言っちまった。演劇部もその被害者だろ。……滝野」


「……あの時の、話は……今は関係ない」


話の趣旨を察したらしいシイラ先輩の声は、珍しく語尾が掠れていた。

如月先輩に近づく。「奥で休め」こそっと呟き、奥へ促す。


「けど、演劇部はそれで廃部に」

「今は関係ないと言っているだろう」


喰らいつく男子生徒の言葉を遮る。

けれど、私は不自然に馴染んだその単語を聞き逃さなかった。


何か、まだ私の知らないこと。

演劇の世界に浸っていた私たちは、ある台詞を「きっかけ」に、この物語の真実に迫っていく。


「今このタイミングで過去の話を掘り返すのはよせ。嫌がらせにもほどがあるぞ」


ブーーー


立ち止まってしまった私たちに追い討ちをかけるように、劇の開始をせかす本ベルが鳴る。俯いたまま立ち尽くすシイラ先輩を気にしていたら、腕を突かれた。


「……小此木先輩」

「いくぞ、


いつもと同じ、顰めっ面。そのまま、ステージに続く道をいつもより大股で歩いていく。


「始めちまえば、こっちのモンだろ」


そう語る小此木先輩の後ろ姿は、いつもより少しだけ頼もしく見えた。


かくして、私たちの物語の幕は上がる。

少しの不安を含んだステージ裏のことは、きっと誰にも知られぬまま。



今から二年前の2022年、夏。


シイラ先輩と如月先輩、まだ一年生だった二人はその頃、合唱部の定期演奏会に向けての準備に追われていた。

【リトルマーメイド〜うたかたの章〜】

有名なミュージカルをモチーフにした組曲だ。今回の定演はこれでいこう。せっかくだから本家をリスペクトしたミュージカル風にして披露しよう。そう決まり、演出や演技指導に演劇部が協賛していた。


当日、地域の小さなホールで定演は行われた。


劇はこれ以上にないくらいの大成功だった。関係者を中心とした限定公開だったものの、定演自体は二年ぶり。拍手喝采の中、ステージは幕を閉じた。


しかし、それは同時に地獄の日々の幕開けでもあった。


定演の翌日、合唱部員の一人が体調不良で学校を休んだ。その次の日、今度は五人が一気に学校を休んだ。同時に、前日休んだ部員から「新型コロナウイルスに罹患した」という連絡がひっそりと舞い込んできた。


欠席の人数は日を追うごとに増えていった。

結局、演劇部を含めたミュージカルに参加した部員の半数が新型コロナウイルスに罹患していた。

世間ではちょうど、「変異株」の襲来が囁かれはじめたころの話だ。


それは思ったよりも長引くコロナ禍に人々が辟易し、不満や不安の吐口を探していた頃でもあって。


始めに言い出したのは誰だったか。今とはなってはもう、わからない。けれどひとつだけ確かなのは、こんな片田舎の公立高校のクラスター騒ぎの話を、敵意を持った誰かがネットの海に放流したこと。


「学校の管理体制はどうなっていた?」

「マスクもつけずに歌、だって?コロナをばら撒くな」

「みんなは我慢してんだぞ」


学校のホームページから定演の写真が引き抜かれ、ばら撒かれた。役者同士が至近距離で歌い、手を取る場面。感動的なシーンのはずだった画像は一気に拡散され、有る事無い事、たくさん言われては叩かれた。

ネットニュースの片隅に載ったところで、慌てて学校が謝罪会見を行い騒ぎは少しおさまったが、火種はしばらく燻っていた。


「このご時世に合唱なんぞ、呑気だな」


合唱部はみるみる人数が減った。「合唱部員」であるだけでいつか自分も責められるんじゃないかと、皆泣きそうな顔で辞めていった。

演劇部は、ちょうど三年生が引退して部員が一年生一人になったことをいいことに、廃部を言い渡されたらしい。

まるで、あの日の事実ごと抹消するがごとき所業だった。



「そんなことがあってまた劇、ってさ。ほんとに懲りないね、滝野も……そして私も

怒られちゃうのも、わかるな」


語り合えた如月先輩が、自嘲気味に呟く。

ステージから漏れる光か、先輩の顔が青白く見える。1回目の出番を終えた私は、先輩の隣のパイプ椅子に座って、次の出番を待っていた。


「それでも、信じてみたかったんだよ。この劇みたいにさ、もう一度やりなおしたらさ、最後の最後には」


——幸せな結末にたどり着けるんじゃないかって。


先輩の声が途切れる。私はその背中にそっと手を乗せた。

微かに震える先輩の背中は、いつもより小さく、弱々しく見えた。


「ハッピーエンドなんて大嘘だ。現実は、こんなに辛いことばっかりなのに……」




「嘘かどうかは、終わるまで分からないんじゃないか」


声のしたほうをみる。出番を終えたシイラ先輩が、ステージから漏れる光に背を向けて立っていた。


「……滝野は、すごいよね」


如月先輩は無理矢理に笑ってみせた。頬に伝った涙の跡が、ふにゃりと歪む。


「すごいよ。部活が廃部になっても、ああやって先生に隠れてこっそり続けようとか考えるメンタル、私には絶対無い。

だって悲しいもん。定演の件だって、自分はこの世界に要らない存在だって、言われてるみたいだった」


先輩は表情を引き締めると、そうだな、とつぶやいた。


「俺もそう思ってた。零と出会うまでは」


不意打ちだった。

唐突に登場した自分の名前に、え、私?と声を出してしまう。

先輩はそんな私をみて、懐かしそうに目を細めた。


「新歓のとき、零は俺の劇に笑ってくれただろう。その時に、思い出したんだ。


『ああ、やっぱり演劇は楽しいな』、とな。


嬉しかったよ。ずっと一人で演じてて、わかんなくなってたんだ。『演劇を楽しむ』なんて、一番大切なことなのにな」


「……ずるい」

目元を拭って、如月先輩は呟く。

「何がだ」

「そのエピソード、今持ってこないでよ。ステージに立たざるおえないじゃん」


シイラ先輩は一瞬きょとんとすると、「当たり前だ」と笑った。


「この演劇に、“降りる“なんて選択肢は存在しないからな」

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